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核密約「実効性失う」 外務省表明へ 持ち込み実態なく 

 外務省は、核兵器搭載の艦船、航空機の領海通過や寄港、飛来を日米安全保障条約で義務付けられている事前協議の対象外にする核密約に関し、現在は領海通過などの実態がなく「実効性を失っている」との認識を表明する方向で調整に入った。外務省関係者が8日までに明らかにした。

 省内調査と有識者委員会の検証を踏まえ外務省は来年1月にも核密約を認める方針。しかし、鳩山政権が堅持を言明している非核三原則のうち、領海通過などを含め「持ち込ませず」とした部分との間に矛盾が生じる。このため領海通過などの対象となる実態がない密約は「存在するが、実効性はない」とすることで矛盾の解消を図る。

 冷戦の終結に伴い1991年、米政府はそれまで核を搭載して日本を含む同盟国の港湾に寄港していた攻撃型原潜や空母などに短距離型の戦術核を一切配備しないことにした。航空機の航続距離も大幅に改善。有事以外は「領海通過、寄港、飛来」の可能性がない、とされている。

 日米両政府は1960年の安保改定時に領海通過などの「核持ち込み」を事実上容認する「秘密議事録」に調印。1963年、当時の大平正芳外相とライシャワー駐日米大使との間で核搭載の艦船、航空機の立ち寄りは事前協議を必要としないと再確認した。

 一方、1967年12月に当時の佐藤栄作首相が国会で「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を公式表明。1971年11月には衆院本会議で沖縄返還協定に関連して三原則順守を盛り込んだ決議を採択した。

 核密約は米政府の公開文書などから明らかになっていたが、日本政府は長年にわたり「事前協議の申し入れがない以上、核は持ち込まれていない」との見解を示し、存在を否定、三原則との矛盾を隠ぺいしてきた。


<解説>密約死文化で非核アピール

 米軍核搭載艦船の通過・寄港を容認した核密約問題で、外務省が密約に「実効性がない」との認定表明を検討している背景には、冷戦終結後の米核戦略をめぐる本質的な変化がある。

 米核戦略上、日本の港湾などに核を持ち込む必要性はもはやなく、密約を〝死文化〟させることで、「核廃絶の先頭に立つ」とマニフェスト(政権公約)で表明した民主党の「非核」理念をアピールする政治的効果も狙っているとみられる。

 冷戦時代、核の軍事的役割は大きく分けて二つあった。一つは強大な通常戦力を誇るソ連軍が西側に侵攻しないよう「核の脅し」で抑止すること。もう一つは、いざ東西間で戦争が起これば、有利な戦闘終結を導くために、重要局面で核を実際に使うことにあった。前者が戦争そのものの抑止が目的だったのに対し、後者は戦争を行う「道具」としての役割に比重が置かれていた。

 しかし破壊力が広島型原爆の数十倍もあり、戦地から遠く離れた場所からも敵の拠点を狙える「戦略核」が主力を占めるようになると、艦船で日本の港湾に持ち込まれていた短距離型の「戦術核」の役割は相対的に低下。冷戦終結がこの傾向に拍車を掛け、1991年に当時のブッシュ米大統領は日本に寄港していた軍艦船などからの戦術核撤去を決定。戦略核重視の方向性が確定した。

 こうした米核戦略の変遷を踏まえ、外務省は日本に核艦船が既に来ない以上、密約には「実効性がない」とし、国論を分断しかねない非核三原則の見直し回避を画策。「核なき世界」を提唱したオバマ米大統領も「核の役割を下げる」と表明しており、密約の実効性を否定しても、政策上の支障はないと判断している可能性が高い。

非核三原則
 核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」という核兵器に関する日本政府の基本政策。1967年12月、当時の佐藤栄作首相が表明した。さらに衆院本会議は1971年11月、沖縄返還協定に関連してこの三原則の順守を盛り込んだ決議を採択、「国是」とされてきた。しかし米国の「核の傘」に依存する日本の防衛政策自体、同原則に矛盾するとの指摘もある。

(共同通信配信、2009年12月9日朝刊掲載)

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