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東友会の50年 <下>

友の遺志 共同墓で追悼 組織高齢化 会員が減少


■記者 道面雅量

 東京都八王子市の霊園に「原爆被害者之墓」と刻んだ共同墓がある。都原爆被害者団体協議会(東友会)の有志が2005年に建てた新しい墓だ。故郷に身寄りがなかったり、合葬を望んだりした被爆者と家族の骨を納める。

 11月23日、今年新たに合葬した人をしのぶ集いが墓前であった。その1人に、1999年に79歳で亡くなった織田アヤさんがいる。

 婚約者を戦争で亡くし、広島で母娘の2人暮らしだった時、原爆に遭った。母は遺体も見つからなかった。上京後、都内の寺にある東友会の慰霊碑を母の墓代わりに思い、「死んだらここに入りたい」と願ったが、墓ではないため果たせず、無縁塚に葬られた。

 共同墓ができたのを機に仲間が改葬費を募り、9年ぶりに遺志に沿うことができた。「織田さんとの約束だから」と改葬を世話した東友会事務局主任の村田未知子さん(57)は「織田さんを苦しめ、お母さんを奪った核兵器をなくすことが新しい約束」と誓う。

 東友会が50年間に育てたきずなは、時に血縁をしのぐこともある。そもそも共同墓は、孤独死した被爆男性の遺骨を村田さんが広島の親族に届けた際、「そこに置いといて」とぞんざいな扱いを受けた体験から発案されたという。

 一方で、半世紀の歳月は仲間の高齢化も意味する。「葬儀とか献体とか、死後のことを相談されることが多くなった」と飯田マリ子会長(77)は実感する。

 都によると、都内で被爆者健康手帳を持つ人は昨年度末で7810人、平均年齢は74歳。人数は1万365人いたピークの87年から減り続けている。

 日本被団協に所属する「滋賀県被爆者友の会」が5月に解散するなど、維持できなくなる地方組織も出始めている。東友会の内部でも、一部の区で同じことが起きている。

 東友会は今月、「東友会の50年」と題した記念誌を刊行した。歴史を座談会で振り返っている。表紙は、あどけない少年が双眼鏡でこちらを見ている不思議な絵だ。父を原爆で亡くした画家長尾祥子さん(75)が描いた。

 11月8日の50周年記念式典で配られた。手にした東友会理事の西野稔さん(76)は、その絵にはっとした。「ああ、見られてるんだ、おれたちは。あの日亡くなった友達に。早く核兵器をなくしてくれ、と」

 見られているのは、会員だけではないかもしれない。

(2008年11月27日朝刊掲載)

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