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神崎小の「空白」 在校生名簿で復元へ 

■記者 桑田勇樹

 原爆投下で校舎が全壊した広島市中区舟入中町の神崎小が、記録の焼失で詳細が分からない当時の在校生の名簿作りを進めている。「母校の歴史の空白を埋めたい」。来年3月の創立100周年の記念誌に掲載しようと、卒業生や保護者たちが情報提供を呼び掛けている。

 1945年当時の神崎国民学校は児童数1860人の大規模校で、うち1440人は疎開していた。爆心から南西1.2キロ。「あの日」は140人が亡くなったとされる。

 校舎が再建されたのは1950年4月。生き残った児童は被害が少なかったり、仮設校舎が整備されたりした舟入小や本川小などに移り、それぞれが転校した学校を卒業した。神崎小に1946~50年度の卒業名簿はない。

 被爆当時の在校生の名簿作りは、今年3月末まで校長だった菅田文夫さん(61)たちが、卒業生や保護者、教員でつくる「百周年記念事業実行委員会」の記念誌部会に提案した。「神崎小を卒業したかった」との当時の在校生の思いを聞いたことが動機になった。

 部会のメンバー12人が4月、調査を始めた。疎開先の北広島町で暮らしていた児童のうち、今も連絡を取り合う友人同士がいることが判明。11月末までに約150人分の名前を確認した。

 ただ、当時の児童台帳など関係資料はほとんど失われ、西村博蔵部会長(58)は「皆さんの記憶に頼るしかない状況。広く情報を寄せてほしい」と話す。菅田さんは「学校の歴史にぽっかり穴がある。一人でも多くの名前を載せたい」と願っている。神崎小Tel082(293)1925。

(2009年12月11日朝刊掲載)

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