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連載・特集

復興の象徴は今 平和都市建設法60年 <3> 平和の鐘

■記者 新田葉子

 セミの声が響き、子どもたちが中央公園ファミリープール(広島市中区)に駆けていく。その姿を、木々の間からひっそりと見守る鐘楼がある。

 市青少年センター北東に立つ、高さ9メートルの鉄塔。内径1.2メートル、高さ1.4メートルのベル型の鐘が掛かる。ハトと「ノーモアヒロシマズ」の英文が刻まれている。

 「鐘があるのは知っとるが、いわれは分からん」と、公園の清掃作業員たちも首をひねる。忘れられた「平和の鐘」は1949年、広島平和記念都市建設法案が衆参両院で可決された記念に、地元の鋳物業者たちが制作した。同年8月6日に現在の市中央公園で開かれた第3回平和祭で、その音を響かせた。

 しかし、慰霊の場はその後、平和記念公園(中区)に移り、鐘が鳴ることはなくなった。旧広島市民球場の跡地利用計画に絡み、今その行く末は揺れている。市都心再開発部は「広場にする予定のエリア。場合によっては移設を考えることになる」と説明する。

 鐘の制作の中心になった鋳物業の故松村米吉さん(93年死去)の妹石田智子さん(80)=安佐北区=は「60年前の鐘の音は、高く短く鳴り響いた。兄たちの平和への情熱がこもっていた」。忘れられた鐘が再び使われる日を待ち望む。

 <メモ>
 平和記念式典などの慰霊祭で「平和の鐘」が鳴らされるのは、前身の1947年8月の「平和祭」から慣習となっている。地元の業者が集まった「広島銅合金鋳造会」が制作した鐘は、市中央公園で開催された1949年に一度だけ使われた。被爆した金属を回収し、造られた。

(2009年7月29日夕刊掲載)

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