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連載・特集

復興の象徴は今 平和都市建設法60年 <4> 旧広島市民球場

■記者 新田葉子

 市民の心を熱くした、あのカクテル光線が街を彩ることはもうない。夜のとばりが下りると、旧広島市民球場(広島市中区)は闇にそっと溶け込む。隣接して延びる相生通りの先には、4月にオープンしたマツダスタジアム(南区、新広島市民球場)が、ひときわまばゆい光を放つ。

 広島平和記念都市建設法第6条は、広島市長の責務を「住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない」と記す。地元財界の寄付で1957年に完成した旧市民球場もまた、建設法の理念の結晶だった。

 以来51年間、広島東洋カープの本拠地として、にぎわいを引き寄せてきた。相生通りを挟んだ、鎮魂と平和の祈りをささげる世界遺産・原爆ドームとの対照は、被爆地の歩みを凝縮していた。

 それだけに、跡地利用の計画はすんなりとは結論が出ない。折り鶴展示施設を盛り込んだ市の計画に対し、市議会は集客力不足を理由に異論を唱える。

 旧球場で全国高校野球選手権広島大会を観戦した広島県府中町の元国鉄職員坂本正見さん(81)は「人生の思い出とともに、旧球場はある。今後も街の活気を生み出す場であってほしい」。

 <メモ>
 旧広島市民球場は1957年7月22日、地元企業10社が約1億6千万円を寄付し、完成した。終戦までは西練兵場だった一帯。広島平和記念都市建設法に基づく建設計画により、広島市中央公園の一部として整備された。原爆犠牲者慰霊盆踊りや原水禁世界大会、コンサートの会場にもなった。

(2009年7月30日夕刊掲載)

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