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急浮上 平和五輪 <上> 突然の宣言

■記者 五輪問題取材班

核廃絶 世論喚起図る

 広島市と長崎市が近く2020年夏季五輪の招致検討委員会を設置する。平和五輪を訴え、複数都市での開催という高いハードルを乗り越える戦略だ。被爆地の2人の市長が世界に発信した夢は、どのように生まれたのか。課題と実現への可能性を探る。

 13日夕、東京都渋谷区の日本オリンピック委員会(JOC)。「温かく迎えていただき感謝したい」。広島市の秋葉忠利市長は市原則之専務理事との約15分の会談を終え、約100人の報道陣に時折、笑顔をみせた。

 広島、長崎と複数都市での五輪招致を検討する-。訪問の目的は、田上富久長崎市長と一緒に2日前の記者会見で打ち上げた「宣言」の説明だった。壮大な構想は国内外の反響を呼ぶ一方、各方面に戸惑いも広がる。

 「東京が再び2020年開催を目指した場合、スタンスはどうすべきか」。広島拠点のトップスポーツチームでつくり、16年の東京五輪招致を応援していた「トップス広島」の幹部は打ち明ける。広島商工会議所の福田昌則副会頭は「白紙の状態。広島で五輪開催なんて考えたことがなかった」と驚く。

 秋葉市長はこれまで現実的な計画として五輪招致を語ることは少なかった。ただ、2007年の市議会6月定例会での答弁で熱意が見え始める。「オリンピックが過度な商業主義から脱却し、本来の『平和の祭典』として再生したあかつきには、招致も行いたいと考えます」

 水面下で事態が動き始めたのは昨年5月。市職員が、東京都の五輪招致計画や競技施設の収容人数についてJOCに照会した。関係者は「市長の思い入れを踏まえ、事務方が動いた」と明かす。

 昨年9月の市広報紙では秋葉市長が「長崎との共同開催の夢」をしたためた。だが、現実味のある構想という受け止めは、ごくわずかだった。

 そんな中、核兵器をめぐる国際情勢は今年1月、「核なき世界」を掲げるオバマ米大統領の就任で一変。秋葉市長が会長を務める平和市長会議が目指す「2020年の核兵器廃絶」への追い風が強まる。

 長崎市であった8月8日の平和市長会議総会では、行動計画に「2020年までに廃絶を実現したあかつきには、五輪を広島、長崎両市で開催し、廃絶を祝えれば喜ばしい」と明記。秋葉市長の照準は、悲願達成の目標年と開催年が重なる五輪の招致に定まった。

 それから約2カ月。「五輪は核兵器廃絶と恒久平和のシンボル」―。11日に両市長が記者会見で振るった熱弁は、テレビのワイドショーでも取り上げられ、世界的にも注目され始めた。

 記者会見は、東京が「2016年五輪」から落選して9日後、そしてオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞が決まって2日後だった。「市長はインパクトの強い公表のタイミングを探っていた」。根回しより発表を優先した秋葉市長の心中を、複数の市幹部はそう推し量る。

 周囲に唐突感を放ち、県や地元の関係団体との事前調整なしに発した「平和五輪宣言」。そこには今の世界情勢を「好機」ととらえ、核兵器廃絶への世論を盛り上げるしたたかな戦略が透けてみえる。

広島、長崎市の五輪招致検討委員会
 両市長と賛同する他都市のトップで構成し、近く設置する予定。(1)複数都市による開催が国際オリンピック委員会(IOC)に受け入れられるか(2)国の支持が得られるか(3)開催資金の調達が可能か―などの課題を協議。来年春までに正式に招致に名乗りを上げるかどうかを最終判断する。

(2009年10月14日朝刊掲載)

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