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連載・特集

『生きて』 前広島市長 平岡敬さん <13>

■編集委員 西本雅実

平和宣言 アジアへの謝罪を表明

 広島市長は8月6日の平和記念式典で平和宣言を発する。1947(昭和22)年から続く平和宣言(朝鮮戦争が起きた1950年は中断)に1991年、5人目の市長として立つ

 平和宣言は基本的に二つのことしか言っていないわけです。原爆の犠牲者に対する鎮魂・慰霊と、それを踏まえて核兵器廃絶を訴える。歴代の宣言を読むと、その時々の政治情勢や国際情勢の中で、広島が何を考えていたかの証明でもある。

 最初の年の宣言をするに当たり私の頭を占めたのは、広島アジア競技大会を3年後に開く意味は何か。それまで都市基盤整備の起爆剤だという考えが強かった。だがアジア大会は単なるスポーツ大会じゃない。インドのネール(首相)がリーダーシップをとり1951年に始まった大会は、戦争に負けて国際社会から締め出されていた日本を迎え入れた。その恩義を忘れてはいけない。何より、被爆地広島はアジアに対して、こう考えているんだと伝えなくてはと思った。

 広島が訴える平和はアジアで必ずしも肯定されていない。原爆によって日本軍国主義は倒れた、独立できたんだと中国の人も韓国の人も言う。歴史的な認識をきっちり発していかなきゃあいけない。それが最初の年の宣言のポイントでした。

 1991年の平和宣言は、日本の植民地支配と戦争が「大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と、1995年の村山富市首相談話に先立つかたちでアジアに謝罪した

 市議会で自民党の支持を得ているという政治的なことは念頭にあった。本島等さん(当時の長崎市長)が「天皇に戦争責任はある」と言って、前年に撃たれたことも意識した。人間としてすまないという思いをどう表すか、そこは苦労した。だから歯切れが、ちょっとよくない。

 例えば「左」の人からすれば、もっときちんと謝るべきだとみただろうし、「右」からは何様に代わって言っているんだとなる。でもアジア大会を広島で開く以上、やはり言っておく必要があった。それまで宣言を書いていた担当者の見方を少し取り入れたが、自分で全文を書いた。

 平和宣言は市民に代わって発するんだけれど、市長の思想や歴史観が反映する。前面に出すぎると個人の宣言になる。その辺の案配は難しいですよね。

(2009年10月20日朝刊掲載)

 

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