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連載・特集

原爆症認定 見直しの視点 <下> 援護策 

■記者 岡田浩平

手当の在り方探る兆し 医療費給付は平行線

 「自分を苦しめる病気を原爆のせいだと認めてほしい」。国に原爆症認定を求める訴訟に参加し、あの日の体験を公の場で訴えた被爆者たちの思いである。勝訴を重ね、認定される病気は増えた。一定の成果を得た今、認定に伴う援護策を議論する芽も出てきた。

 原爆症の援護策は二つある。一つは医療特別手当(約13万7千円)の支給だ。日本被団協によると、認定者が病気のために働くのも苦労する状況から1960年以後、通院費補助や生活保障を目的に設け拡大してきた。

 こうした状況は変わった。被爆者の平均年齢は75歳を超え、大半は年金で暮らす。認定される病気の種類も増え、11の障害を伴う病気にかかった被爆者に支払われる健康管理手当(約3万4千円)と適用面での差も縮まった。被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長(77)は「原爆症の対象が広がるほど、生活保障という側面は小さくなる」と認める。

 被団協など原告側は2006年10月、厚生労働相への「当面の要求」で、一律の手当金額を改め、13万7千円を上限に病気や生活状況に応じて段階を付ける仕組みを提案した。

 もう一つの援護策は、原爆症と認定された病気の医療費を対象とした国の全額給付だ。認定制度ができた1957年から続く。後に被爆者全員の医療費の自己負担分(現行1~3割)を国が支給するようになり、実質的に医療費が全額無料化されても残った。

 衆院選前、日本被団協など原告側は、認定制度の見直しについて民主党議員らと非公式で議論した。その際、問題となったのが医療費全額給付だった。すでに医療費は無料である点を踏まえ全体の見直しの中で譲歩を求めた議員側に対し、被団協側は首を縦に振らなかった。

 10月の被団協の会議で、田中事務局長は議論の経緯を明かし「医療費を国が全額給付する施策は極めて異例。原爆被害への国家補償を求める立場から決して譲れない」と強調した。

 民主党はマニフェスト(政権公約)で「被爆実態を反映した原爆症認定制度の創設」を掲げた。鳩山由紀夫首相は先月、被団協の坪井直代表委員(84)たちとの面会で「みなさんの気持ちに少しでも応えられるよう努力したい」と約束した。

 半世紀を超える被爆者の運動で常に交錯してきた理想と現実に今、新政権がどう向き合うかが問われている。被爆者に待つ余裕はない。

被爆者援護施策
 1957年施行の原爆医療法で原爆症認定制度が創設され、被爆者健康手帳の交付や認定された病気の医療費を国が全額給付したのが最初。1968年に被爆者特別措置法が施行された後、1995年施行の被爆者援護法への一本化をはさみ援護施策は数十回にわたり拡充された。現在は医療特別手当、健康管理手当のほか、認定された病気が治った人への特別手当(月額約5万1千円)、爆心地から2キロ以内で被爆した人への保健手当(月額約1万7千~3万4千円)などがある。

(2009年12月17日朝刊掲載)

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