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連載・特集

50年の原水爆禁止運動 <1> マンネリか

■記者 金井淳一郎、桜井邦彦

進行固定 市民と距離も

 1954年のビキニ被災事件は国内に、原水爆禁止運動を燎原(りょうげん)の火のように広げた。それから半世紀。核兵器廃絶を求めるスローガンこそ不変ではあるものの、政治色の強まりや組織分裂を経て、広範な大衆運動という「原点」から遠ざかってはいないか。被爆地での今年の世界大会を通して、運動の現状と課題を探る。

 2日、被爆地広島で今年も、原水爆禁止世界大会が始まった。原水禁国民会議系、日本原水協系とも国際会議から始まり、世界大会が6日まで広島で、さらに9日まで長崎でと、例年通りの日程は代わり映えしない。

 マンネリではとの問いかけに、広島県原水協の松本真事務局長は反論する。「海外代表がそれぞれ、各地の運動を持ち込んでくる。論議は活発になった」と。

 被爆地での大会の口火を切った原水協系の国際会議。260人の参加者のうち海外代表は24カ国66人。今年はマレーシア、メキシコ、キューバから政府代表が顔を見せた。エジプトからも外務次官が三日から合流する。事務局によると、国際会議で政府代表が討論に加わるのは異例という。

 うち、マレーシアの国連ウィーン事務局常駐代表を務めるフセイン・ハニフ氏はこの日、発言席に進み出て、核兵器国の軍縮努力が不足している現状を懸念しながらも「希望を捨てず努力しよう」と訴え掛けた。被爆者の体験証言も交えた会議の進行にも満足そうだ。

「若者少ない」

 だが、政府代表が持ち込んだ新しい風とは対照的に、日本側の顔ぶれには運動のベテランが目立つ。初参加という大学生(20)=埼玉県=は「内容は難しいが、僕たちには伝えていく義務がある」と討論に耳を傾けつつ、「若者が少なくて驚いた」とこぼした。

 若者が少ないのは、1日に東京都内であった原水禁国民会議系の国際会議も同様だった。こちらは、米国から招いた核政策アナリスト1人と国内の研究者2人によるパネル討論。例年と同様のスタイルで会議は進み、原水禁幹部がこの一年間の核情勢を報告。ブッシュ政権の核政策や北朝鮮の核問題などをテーマに報告や意見交換した。集まったのは約100人だった。

 原水協、原水禁ともに政党や組織に運動の資金や動員を頼るのが最近の実情。それは、毎年夏の世界大会開催にとどまらず、戦争や核実験反対の座り込みなど運動を日常化させる原動力となっているのは確かだ。

育たぬ「個人」

 しかし「組織動員が多く、個人で運動する人が育っていない」と広島県原水禁の横原由紀夫常任理事は悩みを明かす。世界大会についても「国際情勢に詳しい人同士の質疑が大半で、市民に運動との距離感や疎外感を与えている」と危ぐする。

(2004年8月3日朝刊掲載)

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