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連載・特集

50年の原水爆禁止運動 <5> 組織への依存

■記者 金井淳一郎、桜井邦彦

市民巻き込む方策探る

 原水禁国民会議系の原水爆禁止世界大会広島大会のまとめ集会があった6日。「原水禁運動? 聞いたことはあるけど、よく分かりません」。男子大学生(19)はそう言い残し、会場前の通りを歩き去った。

原点は大衆運動

 ビキニ被災事件をきっかけに、東京・杉並の主婦たちの核実験禁止を求める署名活動が被爆地の叫びと結合し、原水禁運動に発展して50年。政党色の強まりによる分裂もあって、出発点である大衆運動の性格は影をひそめがちだ。被爆地の市民の間でも「特定の人たちの運動」と思われたりもする。

 「運動には暗くて硬いイメージがある。正しいことを言い続けるだけでいいんでしょうか」。5日、日本原水協系の大会で女子大学院生(23)が切り出すと、ベテラン運動家の苦笑が広がった。「平和を求める人はたくさんいる。そんな人たちにどうやって売り込むか考えなきゃ…」。発言が終わると、会場からはひときわ大きな拍手が起こった。

 原水禁運動の歩みには、政党や組織が重要な役割を果たしてきた現実がある。共産党支持の労組や市民団体が支える原水協。高草木博事務局長は「政治の場での訴えがなければ、運動は一過性になっていたかもしれない」と話す。

若者に変化の芽

 自治労などの組織で構成する原水禁の福山真劫事務局長も「国民の核への危機感が高まれば運動は広がるが、関心が低い中で続けるのは難しい」。組織の動員、資金力に依存しながら運動を続けてきた一方で、市民を巻き込むような運動の拡大が課題であることは両団体に共通する。

 変化の兆しがないわけではない。原水協系では今年、大学生たちが自ら企画し、被爆体験を聞く集会を初めて開催。「私たちは何を伝えたらいいんでしょう」と被爆者に問い返す若者たちの姿があった。原水禁系でも3年前から始まった小中高校生らが平和のメッセージを発信する集会が定着。今年も会場から、電子メールで日本や核兵器保有国の政府に一斉に送信された。

 六日の原水禁系の集会は、最後に「広範な国民運動や平和教育の再構築を」とのアピールを採択。別の会場であった原水協系の集会も「世界中の人々と手をつなぎ、いまこそ行動に立ち上がろう」と決議し、広島での日程を終えた。

 それは平和を求める人々やグループへの呼び掛けにとどまらない。原水禁、原水協自身の内なる課題でもある。(おわり)

(2004年8月7日朝刊掲載)

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