×

連載・特集

3・11半年 あすへ 中国地方の避難者 <下> 母親たちの苦悩

 福島県本宮市から広島市西区に避難中の岡本久美子さん(37)は8月下旬、岩国市内でのフリーマーケットを訪れた。脱原発を呼び掛ける市民団体「なないろの会」のブースが出ると聞いたからだ。

 会場で福島から来た話をすると、矢継ぎ早に質問された。「原発の危険は前から感じていたの」「知り合いの避難は」…。涙をこらえ、「仕事や家庭の都合で地元にとどまる友人もいる。心配だけどどうしようもない」と思いの丈を伝えた。

 震災から半年。福島第1原発事故で大量に放出された放射性物質の汚染に、不安は募るばかり。3歳と9カ月の娘2人への影響は正直、分からない。福島で暮らす知人たちのことを気遣う日々だ。

 岡本さん自身、「原発も放射線も全く意識していなかった」という。原発事故後、友人から避難を促された。3月下旬、岩国市出身の夫真人さん(37)の実家に家族4人で身を寄せた。広島市で真人さんの仕事が決まり、7月上旬に西区の公営住宅に落ち着いた。

 それでも心のもやもやは晴れず、悩みや不安を話そうと決めた。脱原発やエネルギー問題を考える集いに足を運び、吐露する。「みんなが何かを考えるきっかけになれば」

 幼い子のため、食品選びに心を砕く。野菜や乳製品はもちろん、加工品の離乳食もインターネットで製造元を調べる。複雑な思いをにじませ「福島の親子たちを何とか守ってあげたい」と続けた。

 フリーマーケット会場で話を聞いた会社員河村由美子さん(36)=岩国市美川町=は「被災者が何を求めているかを知り、こちらができることを考えたい」と受け止めた。

 8歳と5歳の息子と一緒に、福島市から夫の実家がある東区に避難している佐々木紀子さん(40)。8月、福島の子どもたちの避難を支援する住民グループに加わった一人だ。

 被爆地で育った夫から「放射能の恐ろしさ」を聞き、被爆者が長年抱えてきた健康不安も知った。「福島の人たちも、今は同じ思い」と感じる。避難先で自分にできる行動の一歩を踏み出した。

 放射線への対応に加え、避難者の住まいや仕事、学校の受け入れ、食の安全など課題は尽きない。自ら情報を集め、母親仲間にメールを送る。「子どもたちの健康を守りたい」。不安だらけの毎日だが、あすへの決意は固い。(赤江裕紀)

(2011年9月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ