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連載・特集

カザフ被曝者 癒えぬ痛み ドロン村住民証言

 旧ソ連が繰り返した450回を超す核実験で、100万人以上が被曝(ひばく)したカザフスタン。セミパラチンスク核実験場に近いドロン村を訪れ、被曝者の証言を聞いた。核実験場の閉鎖から21年たった今も、がんなどの病気に人々は苦しんでいた。国の救済制度はあるものの、周辺部では十分な医療態勢は整っていなかった。(増田咲子)

 セメイ市の西約75キロ、草原を貫くでこぼこ道を車で約1時間40分。約500人が住むドロン村に着いた。多くの人が馬や牛、羊を飼って生活している。

 村の診療所に通う被曝者の女性3人に話を聞いた。村で生まれ育ったショルパン・シャマルバエワさん(75)は何度も核実験のきのこ雲を目撃し、地面が揺れるのを感じた。しかし、核実験だとは知らなかった。

 1995年ごろから乳腺がんを患い、手術代は国が負担。被曝者への補償として月1万800テンゲ(約5600円)と、年金を国から受け取るが、薬代に消えるお金も多い。

 「核実験は許せない」と強調するマクザー・スマグロワさん(67)。「5歳の時、子どもたちは一つの家に集められた。でも家が揺れたので外に出てしまった」と振り返る。高血圧に苦しみ、昨年は目を手術した。ニュースで知った福島第1原発事故について「子どもたちのことを考えると核の被害を二度と起こさないようにして」と訴えた。

 ナデジュダ・プルジャルスカヤさん(77)は、建築の仕事のため、30歳の時、村に移り住んだ。36歳から歯が抜け始め、今は2本残るだけ。村では40歳代で亡くなる人が多く、家畜も毛が抜けて死んだ。「国から補償金をもらえるが、頻繁に病気になり、薬を買わなければいけない。娘と住んでいるから何とか暮らせるが…。望みは、元気になりたいだけ」

 診療所のグリナラ・ルステモア医師(42)らによると、被曝者には国の救済制度があり、無料で診察や検査を受けられる。心臓病や血圧の病気、肺がんなどが多いという。

 周辺の三つの村の患者も診ているルステモア医師は「今年から心臓病の薬が国から無料でもらえるようになったが、もらえない薬もある」と話す。また、ここで治療ができない患者は、車で30分ほどかかる病院まで運ぶ必要があるが、そのための車もないという。

 ドロン村へは、カザフスタンを学習ツアーで訪問中の広島の国際交流グループ「CANVaS(キャンバス)」と8月31日に訪れた。

セミパラチンスク核実験場
 旧ソ連最大の核実験場。広さは四国とほぼ同じ約1万8500平方キロ。1949年8月29日、ソ連が初の核実験を行い、冷戦下、米国との核軍拡競争が始まった。以来、89年まで450回を超す核実験が繰り返された。うち100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質が広く拡散、がんや異常出産が相次ぐなど被害が深刻化した。住民による核実験反対運動の盛り上がりを受け、91年8月29日、同核実験場の閉鎖が宣言された。92年には、周辺住民を救済する「核実験被害市民の社会保護法」が成立、翌93年に発効した。

(2012年9月3日朝刊掲載)

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