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連載・特集

原爆や戦争 漫画で表現 比治山大短期大学部客員教授 こうの史代さん

 原爆投下後の広島市に生きる庶民を描いた「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」、太平洋戦争末期の呉市を舞台にした「この世界の片隅に」で知られる、広島市西区出身の漫画家こうの史代さん(43)=東京都中野区。今春からマンガ・キャラクターコースを新設した比治山大短期大学部美術科で客員教授として教壇に立っている。原爆や戦争を作品の主題とする思いや、漫画という表現に挑む若い世代への助言を聞いた。(渡辺敬子)

 ―「この世界の片隅に」は、山代巴ら広島研究の会が被爆者の戦後を報告した「この世界の片隅で」を連想させます。
 山代巴の「ひとつの母子像」は、被爆者の母親が仕事から戻ると、子どもたちがわあっと駆け寄ってくる描写が印象に残った。「片隅で」だと広島に根を張るたくましさが表現されるが、私は広島から呉に移り、居場所を見つける物語の軽やかさを表すため、「片隅に」とした。

 ―作品の準備として原爆文学や関連の文献を読み込んだそうですね。
 「夕凪の街と人と」を書いた大田洋子は、私の人生や健康を分けてあげたいぐらい好きな作家。観察眼も感性も鋭く、何が起こるんだと思わせるタイトルのセンスもいい。原爆について書く人がいない時代、よその家から障子紙を集めて書いた。勇気のある人だと思った。

 ―こうのさんは被爆者の体験談を直接聞くことはあえてしなかったそうですが、なぜですか。
 文字になった体験記は既にたくさんある。また「話したくない」「思い出したくない」という人に、何回も聞きに行くのは残酷ではないか。逆に、こちらから体験者に問い掛け、私たちにきちんと伝わっているのか、確認をとる作業をそろそろすべきだと思った。

 今も体験を語れない人はたくさんいる。いきなり「あなたの体験を語れ」ではなく、「これについてどう思いますか」と聞かれれば、その人も答えやすいかもしれない。「私の体験とは全然違うね」でも、話すきっかけにはなる。従来の体験談をより重厚なものにできればいいと思う。

 ―戦争体験のない世代が、原爆や戦争をテーマに作品を描くのは難しい仕事ではありませんか。
 戦後の漫画は、常に時代の最先端の事象を扱ってきた。戦争漫画はこの業界のそんな伝統の一つ。難しくてもやらなければならない。それは任務だと思った。

 また、いろんな人に届けるためには、いろんな人が描けばいい。私は決して「原爆作家」ではない。「この人に任せておけばいい」という風潮は、他の人が出にくくなり、原爆漫画の衰退につながると思う。

  ―現在は、ボールペンで描く「ぼおるぺん古事記」や、東日本大震災の被災地を舞台としたイラストエッセー「日の鳥」に取り組んでいますね。
 古事記は小学生の時から好き。でも神々の名前や敬語表現が難しく、あまり読まれていないのが残念だった。ならば漫画の出番だろうと。国語表記のない時代に、漢文と万葉仮名を交ぜた当て字で、一生懸命に記録を残そうとした人々と対話するような気持ち。今はこんなに便利に記録できるようになったと伝えたい。

 イラストエッセーは、おんどりが津波で離れ離れになった妻を捜して歩く設定。漫画家の、とだ勝之さんに誘われ、ボランティアで被災地のために絵を描いたのがきっかけで、今も2カ月に1回は東北に行く。自分の目で見て、リアルタイムで復興していく様子を記録したい。東京に住む作家の使命だと思っている。

 ―大学で教える立場から、漫画家を目指す人に助言をお願いします。
 自分が面白いと思ったことを信じること。自分のものさしで考えること。「絶対駄目だ」と言われた作品でも、作品を出して初めて「こういう漫画を読みたかった」と気付いてもらえるときもある。私がやってみたいことは、みんなも見てみたいかもしれない。明日のことだって誰にも分からないのだから。

こうの・ふみよ
 1995年「街角花だより」でデビュー。「夕凪の街 桜の国」は2004年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、「この世界の片隅に」は09年度同部門優秀賞を受賞。主な作品に「長い道」「さんさん録」「平凡倶楽部」などがある。「ぼおるぺん古事記」は平凡社のウェブマガジンとして発表し、近く第2巻を刊行予定。「日の鳥」を「週刊漫画ゴラク」(日本文芸社)で連載中。呉市の観光特使を務める。

(2012年9月5日朝刊掲載)

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