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連載・特集

広島とカザフ 深まる絆 薬や機器贈り医療支援

 原爆が投下された広島と、450回を超す核実験で多くの被曝者(ひばくしゃ)を生んだカザフスタン。二つの核被害地を結ぶ絆は、被曝者支援を10年以上続ける広島の市民グループを中心に、年々深まっている。今夏、被爆地から現地を訪れた医師や若者たちの取り組みを報告する。(増田咲子)

99年からヒロセミ 医師育成にも力

 被爆地から医療支援を続けているのは、市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)」だ。今夏は、被曝者に多い甲状腺がんや乳がんを検診するための超音波診断装置(エコー)を贈った。受け取ったセメイ市のセメイ国立医科大(旧セメイ医学アカデミー)は「被曝者のために役立てたい」という。

 ヒロセミが医療支援を始めたのは1999年。当時のカザフスタンは、旧ソ連から91年に独立して以来、経済的に困窮していた。

 最初は、セミパラチンスク核実験場の周辺にある村を巡回検診するための車を贈った。以後、毎年のように、エコーや関連機器、血圧降下剤などの医薬品を贈っている。

 99年から2010年までは、広島の医師が現地を訪れて被曝者らの甲状腺に異常がないか検査。地元の医療技術の底上げも図った。現地では、継続して検査に訪れる医師への信頼が厚く、医療機器も村の病院などで喜ばれているという。

 物資代や医師派遣など医療支援の総額は、平和団体からの寄付金などを含め、5千万円を超す。

 「支援を始めたころに比べ、医療状況はかなり改善された」とヒロセミ副世話人代表の小畠知恵子さん(60)。「今後は、広島の医師や研究者に協力することで、現地の医師の技術力アップに力を入れたい」と話している。

≪主な医療支援≫
エコー         7台
エコー付属品
顕微鏡        2台
検診用のワゴン車 1台
手術器具
医薬品
医師の現地派遣
●総額約5千万円

元留学生の2人 「懸け橋」へ奮闘

訪問団通訳や案内役担う

「核被害 世界へ伝えたい」

 「ヒロシマとの懸け橋になり、核兵器廃絶を訴える手助けをしたい」。広島で高校生活を送った元留学生が、ヒロセミをはじめ、広島からセメイ市を訪れる市民・若者グループの活動を支えている。

 今年3月、セメイ市に戻ってきたアイダナ・アシクパエワさん(18)や、昨年春に帰国したヌルダナ・アディルハノワさん(17)。2人は今夏、広島の若者グループ、CANVaS(キャンバス)のカザフスタン訪問に協力し、通訳を務めた。

 日本語とカザフ語だけではなく、カザフスタンでよく使われるロシア語も話せる2人。現地の案内役を兼ねながら、核実験の被曝者や医師に話を聞いたり、現地の若者と交流したりする場面などで活躍していた。

 アシクパエワさんは9月から、首都アスタナのユーラシア大国際関係学部に進学。「外交官になって駐日大使になるのが夢」と話す。頭にあるのは、核実験の影響で白血病になり、16歳の若さで亡くなったという伯母のこと。「カザフスタンの核実験と広島の原爆の被害を世界に伝え、核のない世界をつくりたい」と力を込める。

 アディルハノワさんは、来年5月に高校を卒業する。大学に進んで社会学を学びたいという。「核の悲劇を二度と繰り返さないよう、平和の大切さを伝える活動がしたい」と願う。

 2人は、廿日市市の山陽女学園に通っていた。学園はヒロセミの協力を得て、2000年からセメイ市の高校生を各1年間受け入れている。毎年1、2人で計19人。学園が授業料と寮費、ヒロセミが旅費などを負担する。帰国後、医師になる勉強をしたり、再び海外留学したりとさまざまだが、広島を離れても被爆地を思い、ヒロセミの活動に協力してくれる人が多いという。

医師や研究者 初の集中講義

がん手術 ノウハウ伝授

被爆地の知見 共有手応え

 「この方法は、外科医師なら誰でもできる安全で確実な手術です」。テーブルを囲んだ約40人の医学生や研修医らが広島の医師の話に耳を傾ける。目は、スクリーンに映された甲状腺の手術の写真に集中する。

 セメイ市の中心部にあるセメイ国立医科大。広島市南区で甲状腺クリニックを開業する医師武市宣雄さん(68)の講義だ。長年、被爆者治療に当たった経験を生かし、英語で甲状腺がんの手術などを説明した。

 今年初めて実現した広島の医師や放射線研究者を招いた集中講義。広島大で学び被爆者も治療した島根大医学部教授(腫瘍外科)の野宗義博さん(62)、広島大名誉教授(放射線生物・物理学)の星正治さん(64)を加えた3人が8月末からの4日間、約90分の講義を計12回実施した。テーマは、核実験被曝者にも多い甲状腺の病気、大腸がんや乳がんの治療法に加え、放射線の基礎知識や福島第1原発事故など幅広い。

 武市さんと野宗さんは長年、セミパラチンスク核実験場の被害者を検診、星さんは核実験場周辺で放射能に汚染された土壌などの調査を続けてきた。

 熱心に聞いていた4年のエルケブラン・エスボラトフさん(21)は「広島の医師らの研究をカザフスタンの被曝者の治療に役立てたい」。武市さんは「ヒロシマの蓄積を学んでもらえる良い機会になった」と満足そう。

 被爆地の知見を、核実験の被曝者にも生かす―。広島からの医療支援は、現地の若手医師育成という段階に達した。大学に招かれての集中講義は、その象徴。今後も、現地での手術指導などを通して支援を続けていく。

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)
 1994年に広島市で開催されたアジア競技大会に合わせ、市内の公民館と周辺住民が参加国・地域の応援に取り組んだ「一館一国運動」をきっかけに、西区の鈴が峰公民館周辺の住民を中心に98年設立。主にカザフスタンの核実験被曝者(ひばくしゃ)を支援している。99年から医療支援、2000年からは広島への留学生受け入れも支援。会員は約100人。事務局Tel082(274)1634(橋村さん)

(2012年9月17日朝刊掲載)

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