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連載・特集

「核」の災害から何を読み取るべきか 柳田邦男さんに聞く

 ノンフィクション作家、柳田邦男さんは、災害や事故の現場を半世紀余り追い、被害に遭った人間の視点から報告や提言を続けてきた。取材活動の始まりは被爆地広島である。政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会で委員長代理も務めた柳田さんに、2011年3月11日を機に再び直面する「核」の災害から、私たちは何を読み取り、考えるべきなのかを聞いた。(編集委員・西本雅実)

  ―調査・検証委が7月に公表した450ページ近い最終報告書を、どう自己評価しますか。
 事故の構造的な分析が、事務局の役所的な発想で提出期限が初めから設けられ、人手も足らず十分にできなかった面がある。なぜ、住民をこんなに過酷な目に遭わせているのか、被害の拡大を防げなかったのか。そこで私は、「重要な論点の総括」で「被害者の視点からの欠陥分析」という新しいキーワードを持ち込み、被害を受ける側に立った対策や責任を強調して執筆したわけです。

 事故は何が起こるか分からない。しかし、原発は安全神話がつくられ、行政も設計する側やエネルギー事業の展開から見てきた。住民がどう避難するかでも防災計画はおざなりだった。(1986年の)チェルノブイリ原発事故でもみられたように被害は予測がつかない。住民の安全と健康を守る独自性を持った対策が必要です。

  ―より安全な対策をというのは、原発を維持・推進する考えにもつながりますが。
 推進するための条件ではない。(福島第1原発を含め)54基ある原発を減らすにしろ核燃料を抱えた施設がそこにある。最低限保障されなくてはいけない地域の安全対策はどうしても要るし、原発が広がる世界各国へのメッセージでもある。

 その体制が確立されないまま、(福井県にある関西電力)大飯原発を再稼働させたのは納得できない。考えは「3月11日」前と変わっていない。(事故発生時の現地対策本部)オフサイトセンターの放射線防護設備もなく、(放射線量を測定する)モニタリングポストが停電しても機能するようになっていない原発が多い。その危険性に目をつぶり、原発は安全と言って動かしていくのは矛盾極まりない。住民や地域の安全対策は3年とか5年で整えるという考えにはあぜんとします。

  ―首相官邸ホームページで全文を公開する報告書を、各地域でどのように活用してほしいと?
 次は福島と違う形で起こり得る。想像力を働かせ地域の特性に応じてシミュレーションする。まず自治体に取り組んでほしい。原子力規制庁は住民の目線で情報の透明性をはかるべきです。どんなリスクがあるのか、最悪の場合にはどうなるのか。住民が地域の防災計画と照らせば、守られていないさまざまなことが見えてきます。

 もう一つは被害の全調査です。厚生労働省は医療、環境省は放射能汚染と断片的だし、当面の対策です。福島県の1年間の災害関連死者は761人に上った。心の中心軸である古里を奪われ、家族や仕事を失ったストレスで亡くなった人が少なくない。風評被害もあり畜産や果樹園が続けられない、子どもの教育もままならない。被害の全調査は大変な作業だが、明らかにすることで安全を守ることがどれだけ大事かが分かります。

  ―全調査の重要性の事例として、原爆災害を挙げたら反対されたそうですね。
 原発事故とは違うと委員会で言われ、びっくりした。広島・長崎で数十万人が殺傷され、大量の被爆者が出たのは戦争だから違うと言うのですが、「核」の被害という点で変わらない。(福島では)核汚染で16万人もの人たちが帰ることができていない。

 報告書では注になったが、全調査の例に広島市の「原爆戦災誌」全5巻(1971年刊)を挙げた。東京でいえば、市民団体の「東京空襲を記録する会」は全5巻(「東京大空襲・戦災誌」74年完成)を編さんし、人間が町や何丁目ごとにどう焼け死んだのか生き残ったのか、膨大な証言を集めた。都も予算支援した。

 全調査のために、行政は第三者組織をつくり、地域住民と専門家が「人間の被害」の記録を残す活動を支援していくべきです。

 ―広島原爆と続く枕崎台風の災害を掘り下げた「空白の天気図」(75年刊、昨年再刊)で、核をめぐる問題は「今日、現実離れしたイメージ」とも指摘されました。若い世代を含め、「核」とあらためてどう向き合うべきだと考えますか。
 現場、現物、被害者に向き合う。その3点が大切です。被災地を訪れ、荒涼たる光景を目に焼き付ける。喪失された地域の残骸を見る。被害に遭った人の話を聞く。そして、わが身に引き寄せて議論する。ネット上の情報は頭の中を素通りするだけ。現場に立つと実態に即した考えが生まれ、議論が黒か白か、右か左かといった短絡的でない熟したものになる。

 「核」をめぐる問題は、政治経済や国際戦略から論じられてきた。しかし、ひとたび使われたり、事故が起きたりしたら、どうなるのか。原発を輸送機関の安全率と比べたり、経済的コストから見たりして優位性を説く人がいるが、原発事故の特異性は放射能汚染が何十年も続く。地域、ひいては国の盛衰を左右しかねない。次元が違う。

 東日本大震災は2万人近くが亡くなり行方不明となった。親を子を夫を妻を失い、帰れなくなってしまった。一人一人の被害、悲劇はそれぞれに違います。2万件の悲劇が同時に起きた複合災害と見ると実態に近づける。マクロな見方でなく個々の被害から考えることこそ重要だと、私は広島での記者時代に気づかされました。

 ―「3月11日」以降、日本社会は変わったでしょうか。
 国会を取り巻く「反原発」デモなどこれまでにない動きや、多くのルポが書かれた。ただ熟成した議論になっているのか。現場から問題を掘り下げ、現代文明や人々の価値観を深くえぐり、半世紀後にも評価される思想を探るのが、私自身これからの作業だと思っています。

やなぎだ・くにお
 36年栃木県生まれ。60年、東京大を卒業してNHK記者となり広島放送局へ。63年東京に転勤となり、71年刊行の「マッハの恐怖」(大宅壮一ノンフィクション賞)で日本のニュージャーナリズムを切りひらく。74年退職し作家活動に専念。主な著書に「ガン回廊の朝」、(講談社ノンフィクション賞)「犠牲 わが息子・脳死の11日」(菊池寛賞)、近著は「『想定外の罠』大震災と原発」。東京都杉並区在住。

(2012年9月30日朝刊掲載)

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