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連載・特集

チェルノブイリの今 平岡敬 <上> 負の事業

際限なき人間と核の戦い

放射線覆い続ける4号炉

 福島第1原発と同じ史上最悪レベルの事故を起こしたチェルノブイリを、現地の被曝(ひばく)者の意識を3年前から調査している広島大平和科学研究センターの川野徳幸准教授と訪れた。チェルノブイリの現状を2回にわたり報告する。

 チェルノブイリ原発はウクライナの首都キエフから北へ130キロ。立ち入り制限区域の30キロ地点にあるディチャーチキ検問所を過ぎて、白樺(しらかば)や松、ポプラなどの森の中を進むと、チェルノブイリに着く。

 この街は原発事故の際、風上にあったため、大きく汚染されることはなかった。現在、除染作業員、科学者、技術者たち4千人が滞在し、原発の封鎖や汚染物の管理などに従事している。しかし、放射線から身を守るため、4日働いた後、3日は市外の家族のもとに帰るという。

 中心部に昨年、1986年の事故から25年を記念してつくられた公園の中央には、強制避難で消滅した30キロ圏内の集落や村をしのぶ162もの標識が立っている。それは失われた故郷と人々の暮らしを悼む墓標のように見えた。

 チェルノブイリを出て間もなく、事故を起こした4号炉の太い煙突が目に入ってくる。車を降りて5基並ぶ原発(2000年にすべて廃炉となる)の全容を眺めた。

 ソ連の崩壊を加速させる大きな要因となった原発事故の惨状がよみがえる。フクシマもまた日本社会の変化を促す契機となった。歴史の歯車と犠牲者の苦しみが織り成す核時代の一断面である。フクシマがなければ、チェルノブイリの記憶も薄れていったに違いない、と自責の念に駆られた。

 厳しいチェックを受けた後、4号炉に近づく。事故後、厚いコンクリートの「石棺」で暴れる核を抑え込んだが、内部では今も放射能を帯びたがれきがくすぶっている。300メートルくらい離れたところで、線量計は毎時12~13マイクロシーベルトを示した。

 4号炉を眺める2階建ての展望室で、女性の説明員ユーリア・マルシーキさんは、4号炉の現状と新しい石棺の構想を熱を込めてしゃべり続けた。

 石棺は老朽化が激しい。屋根がゆがみ、隙間もできている。腐食が進んで雨水や雪解け水が入り、底にたまっている。崩壊すれば再び悲劇が起こる。それを防ぐため、米国、フランスなどの協力を得て2010年からアーチ形の石棺を造り始めた。このシェルターは幅257メートル、長さ150メートル、高さ108メートルに及ぶ巨大な構造物である。完成後は軌道を滑らせて、4号炉をすっぽりと覆うことになる。

 工費は8億ドル以上、2015年に完成するとユーリアさんは強調したが、放射線量が高いところでの作業であるだけに、簡単には進まないようであった。

 作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎さんは、今年4月に現地を視察し、新石棺を見て「灰色のマトリョーシカ」と呼んだ。マトリョーシカはロシアの入れ子人形である。新しい石棺で覆っても、放射能の寿命は気が遠くなるほど長い。老朽化すれば、また上にかぶせる石棺を造らねばならない。

 これは何も生み出さない負の事業である。それゆえ事業が巨大であればあるほど、むなしさもまた募り、思いはフクシマに及ぶ。

 限りなく続く人間と核との戦いを象徴する4号炉であった。

ひらおか・たかし
 1927年生まれ。中国新聞記者時代に「ヒロシマ二十年」報道を担当。91年から広島市長を2期務め、現在は旧ソ連の核実験による被害者らの支援活動などにも取り組む。

(2012年10月12日朝刊掲載)

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