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なぜなに探偵団 被爆樹木 なぜ大切に保存しているの?

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 被爆樹木(ひばくじゅもく)の保存(ほぞん)活動などを支援(しえん)する共同広告企画(きかく)「緑の伝言プロジェクト」に取り組んでいる中国博報堂(広島市中区)と中国新聞社は、企業(きぎょう)・団体(だんたい)から募(つの)った協賛(きょうさん)金の一部20万円を広島市に寄付(きふ)しました。(12月20日付朝刊(ちょうかん)23面から)

原爆の悲惨さ 無言で人々に訴え

 被爆樹木とは、爆心(ばくしん)地から約2キロ以内にあり、原爆(げんばく)投下の前から生えていた樹木のことです。広島市は1996年度から登録を始めました。一般(いっぱん)の人が立ち入りできない個人宅(こじんたく)を除(のぞ)き、公園や寺、神社など55カ所に約170本あります。

 市は、地元の人の証言(しょうげん)や樹木医の確認(かくにん)といった裏付(うらづ)けをして、被爆樹木を登録。現在(げんざい)、ツバキやイチョウ、エノキなど約30種類があります。

 平和記念公園(中区)にあるアオギリは、よく知られています。爆心地から約1・3キロの旧(きゅう)広島逓信(ていしん)局(現中区)の中庭で被爆し、73年に移植(いしょく)されました。原爆によって焼けてえぐられましたが、その傷痕(きずあと)を包むように成長しています。すぐそばでは、自然発芽した2世も育っています。

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 爆心地から約1・7キロの鶴見(つるみ)橋東詰(ひがしづめ)(南区)にあるシダレヤナギは、根元から二手に分かれています。老木の方は、2007年に枯死(こし)が確認されました。もう一方は被爆後に同じ根元から生えました。葉を茂(しげ)らせ、今も生きています。

 なぜ、大切に保存しているのでしょうか。原爆の惨禍(さんか)をくぐり抜(ぬ)けた被爆樹木が、被爆の実態(じったい)を伝えてくれるからです。被爆して傷つきながらも、たくましく成長する樹木は、原爆によって焼け野原となった広島の人たちに生きる勇気や復興(ふっこう)に向けた希望を与(あた)えたからです。

 市は登録に続き、97年度からは、爆心地からの距離(きょり)などを記した説明プレートを取り付けています。01年度からは、肥料(ひりょう)を与えたり、害虫を駆除(くじょ)したりといった樹木の治療(ちりょう)もしています。

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 被爆樹木の種や苗(なえ)を広げる取り組みも進んでいます。市は92年度から、被爆アオギリの2世である苗を国内外の自治体や学校、平和団体などに配っています。平和を愛する心や命を大切にする心を大事にしてほしいという願いを込(こ)め、6795本(12年3月末現在)を配りました。

 世話をしている樹木医の堀口力(ほりぐち・ちから)さん(67)=西区=は「原爆の悲惨(ひさん)さを伝え、二度と繰(く)り返してほしくないという訴(うった)えを無言で発している。木も人間と同じように、命ある存在(そんざい)。大切にしていく必要がある」と話しています。

 「緑の伝言プロジェクト」のホームページ(HP)には、被爆樹木の詳(くわ)しい場所が地図とともに掲載(けいさい)されています。皆さんも、市内に残っている被爆樹木を探(さが)し、訪(おとず)れてみませんか。アドレスはhttp://www.green-greetings.com/map(増田咲子(ますだ・さきこ))

≪そもそもキーワード 広島原爆≫

 1945年8月6日午前8時15分、米軍が人類史上で初めて原爆を投下した。広島は爆風(ばくふう)と熱線、放射線(ほうしゃせん)の影響(えいきょう)で壊滅(かいめつ)し、その年のうちに約14万人が亡(な)くなったとされる

(2013年1月6日朝刊掲載)

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