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連載・特集

『生きて』 日本被団協代表委員 坪井直さん <6> 級友

励まされ何とか似島へ

 被爆して、何とかたどり着いた御幸橋西詰め(現広島市中区)で死を覚悟した。そんな時、偶然、大学の同級生に発見された

 「坪井、やられたな。じゃが、戦争には負けられんぞ。頑張れ」。そう言って、同級生は何度も励ましてくれたんです。妹を捜しに行く途中だったので、すぐ別れましたが、私は意識が戻りました。同級生の妹は消息不明のままだそうです。

 再び意識が遠のき始めた。しかし軍のトラックが来て、目が覚めた。軍人が「若い男性だけ乗れ。その他の者は後回し!」と叫んでいた。女性や子ども、年寄りは乗ることができなかった

 6、7歳の少女が乗ろうとすると、軍人が怒って追い返した。少女は泣きながら火が燃えている街中へ走って逃げたんです。私は不公平さに腹が立った。戦争に役立つ若い男性だけが人間扱いされる。じゃが、私はどうすることもできん。歩くことはもちろん、立つこともできん。トラックは何度か来ては去って行った。私は乗る元気もなかった。

 ところが、警防団の人がシャツを着せてくれ、背負って乗せてくれました。自分のシャツを脱いでくれたと直感で思った。名前を聞いたが、「元気になって一人でも敵をやっつけてくれることがお礼になる」と言われ、教えてもらえませんでした。

 トラックは広島港(現南区)へ向かった。その間、意識はもうろうとしていた。港は多数の死者、負傷者であふれていた

 トラックから降り、その場に崩れた。気付いた時は夕暮れだった。偶然にも、また別の同級生が私を見つけてくれました。彼も上半身の前面を大やけどし、一緒に似島(現南区)の臨時野戦病院へ行って治療してもらおうと言ってくれた。私はもう動けんかった。「おまえが生き残ったら、俺の分まで敵をやっつけてくれ」と答えたんです。

 じゃが、彼は「俺たちは友達じゃないか。さあ来い、背負ってやる」と言ってくれた。友情のありがたさを胸いっぱい感じ、涙が止まらんかった。似島へ向かう船に乗っていた人は、ずっと泣いている私を見て、こんな根性なしがいると戦争に負ける、と思ったかもしれんがね。

(2013年1月23日朝刊掲載)

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