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連載・特集

『生きて』 日本被団協代表委員 坪井直さん <12> 世界を回る

人類滅ぼす核廃絶訴え

 被爆者として、体験の証言に力を入れてきた。国内では修学旅行で広島を訪れる子どもや寺の住職をはじめ対象者はさまざま。海外での証言や交流はこれまでに米国、フランス、英国、アルジェリア、北朝鮮、ベトナムなど12カ国、21回に上る

 もっともっと世界に訴えんといかん。核兵器も戦争もなくせえ、と。世界には原爆の被害について知らん人が多い。生涯にわたって苦しみと不安が続くヒバクシャを、二度と生み出してはいけないんです。

 1998年、インドとパキスタンが核実験を強行。連合と原水禁国民会議、核禁会議が現地で開いた原爆展に合わせ、同年秋、パキスタンを訪れ、核兵器廃絶を訴えた

 あちこちに銃を持った兵士がいた。私は市民に出会える路地裏が好きでねえ。バラックのようなコーヒー屋に入った。汚れた服を着た男性が4、5人おった。日本人が珍しいようで、「よう来てくれた」と喜んでくれました。彼らにとってコーヒーは高価なものじゃが、どうしてもおごってくれるというので、ごちそうになった。彼らの気持ちに国や人種は関係なく、同じ人間同士なんだ、というのをつくづく感じた。  ただ、パキスタンを回って、「国を守るために核兵器を持っている」という主張を覆すのはなかなか難しいと思った。

 2003年、原爆を投下した米国を訪れた。5度目の訪米の目的はスミソニアン航空宇宙博物館(ワシントン郊外)での原爆投下機エノラ・ゲイ展示に抗議するためだった

 エノラ・ゲイを見て、意識が遠のいた。「憎き野郎」ですよ。博物館は、広島に原爆を落として市民を殺したという説明は書きませんと言う。「アメリカは反省しとらん」と大反対しました。アメリカの市民団体も抗議活動をしてくれました。しかし退役軍人の力は強いし、原爆を正当化する米国の世論もまた、根強かった。

 被爆証言は大切じゃが、「お涙頂戴」だけでは世界は動かん。後々まで被害を及ぼし、人類を滅ぼしてしまう核兵器の非人道性を理性で分かるように訴えないといけない。そして日本は、アメリカの「核の傘」から脱却しないといけないのです。

(2013年2月1日朝刊掲載)

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