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連載・特集

フクシマとヒロシマ2年 <1> 古里

帰るか残るか 決断の時

 フクシマか、ヒロシマか―。

 「半年後はどっちで暮らしているのか」。菅野佐知子さん(40)は、広島市西区の雇用促進住宅で自問する。

 菅野さんは福島第1原発の北西約60キロの福島市から、13、11、5歳の息子3人と逃れた。古里は最重点除染地域になった。「放射能の影響がいつまで続くか分からない。三男の成人まで広島にいたい」と本音を漏らす。

 しかし、来年3月には雇用促進住宅の家賃を全額免除する国の制度が終わる。教諭の夫(50)は古里に残っており数カ月に1度しか会えない。二重生活を続けていける見通しは立たない。

 帰るなら子どもの転校などの準備もいる。「夏までには結論を出してほしい」。夫がそう示したタイムリミットは近い。

 広島県営と広島市営住宅でも、避難者への住まいの無償提供は、入居後3年が限度だ。福島県から広島県への避難者は約320人。原発事故から2年がたち、将来への決断に迫られる家庭は多い。

 「同じ悩みを分かち合いたい」。菅野さんは広島市中区のNPO法人「ピースビルダーズ」の契約職員として、市内で帰還支援の無料講演会を開く活動を企画。福島県から補助金を取り付け、現地から放射線研究者や県教委の職員を招く。

 「古里の現状をともに学び、先を考えたい」。講演会は1~3月に計4回開く。

 南区の市営住宅に住む坪井美沙紀さん(15)は12日、段原中を卒業する。春から福島県いわき市の高校へ通うことを自ら選んだ。

 いわき市から約40キロ離れた福島県大熊町で生まれ育った。原発事故後、両親、姉との計4人で避難してきた。一家は3月下旬、母親の実家がある茨城県北茨城市に移る。

 「古里に近いと落ち着く。放射線のことは極力考えない」と美沙紀さん。電車で約30分かけ、県境を越えて高校に通う。原発事故が起こるまで遊んでいた幼なじみも、この高校に多く通うという。

 古里への愛着と放射線への不安。そのはざまで、避難者の心は揺れ続ける。(教蓮孝匡)

    ◇

 被爆地広島は東日本大震災後、模索を続けてきた。福島第1原発事故に遭った人たちに、何ができるのだろうか―。核被害と医療についてヒロシマが蓄えてきた知見の重みとそれを生かした支援への期待はいま、一層高まる。フクシマからの避難者は古里に帰るか、どうかの選択を迫られ、支援団体は活動を見直す時期に来ている。事故から2年がたつのに合わせ、ヒロシマとフクシマを結ぶ現場のいまを報告する。

(2013年3月4日朝刊掲載)

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