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連載・特集

フクシマとヒロシマ2年 <4> 支援のかたち

息長く 世代を超え模索

 約束の2年が来ようとしている。

 東日本大震災直後から広島市内で続いてきた復興支援コンサート「東日本エイド」は10日、県立広島産業会館(広島市南区)の5回目が最後となる。

 広島県内に暮らす福島出身者でつくる福島県人会と広島県内の音楽家たちが2011年4月に始めた。「とりあえず2年は頑張ろう」。関係者だれもが、そんな覚悟を抱いていた。

 福島県人会の島田兵二会長(75)は「とにかく必死にやってきた。一応の区切りをつけたい」と打ち明ける。半年に1回、ステージをつくり上げ、チケットを手売りするのは、相当のエネルギーが必要だ。当面のめどがなければ、やりきれなかったかもしれない。

 2回目は鑑賞料と募金で108万円が集まった。前回4回目は85万円。宮城、岩手、福島の3県の災害対策本部に送った。

 「一定の成果はあった。ただ、エイドがなくなると広島の人の関心が薄まってしまうのではないか」と島田会長。エイドが終わった後も、ここで培った人の輪を生かした息の長い活動の道を探る。

 「支援を一過性に終わらせたくない」。広島県被団協(坪井直理事長)はことし2月から、県内の地域組織にカンパを呼び掛けている。集まった全額を福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町に送る計画だ。

 事故直後、全国で沸き上がった支援の熱が、次第に冷めるように見えるいまだからこそ行動した。箕牧(みまき)智之(としゆき)事務局長(70)は「わずかな額でも、同じ放射線被害に遭った者として、心はそばにあることを示したかった」と説明する。

 広島経済大(安佐南区)の東北支援プロジェクトの学生10人は、昨年2月と9月に福島県いわき市の保育園を訪問。園児に絵本の読み聞かせをした。

 学生の活動を支援する同大興動館の柾本伸悦プロジェクトセンター長(45)は「広島の学生だからこそ、福島に行った意義は大きかった」。若い芽が今後、大きく育っていくことを願っている。(田中美千子、石井雄一)

(2013年3月7日朝刊掲載)

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