×

連載・特集

震災2年 岩手からの報告 記録映像作家 澄川嘉彦 <上> 助け合い自然と生きる

すべてを奪った水。命つないでくれたのも水

助け合い自然と生きる

 東日本大震災から11日で2年。岩手県花巻市に住む記録映像作家の澄川嘉彦さん(49)=広島市東区出身=は震災後、同県内の津波被災地でテレビ番組の制作などに携わりながら、被災者や遺族の声に向き合ってきた。被災地の今を2回に分けて報告してもらう。

 2月末、わが家の隣に住む坂本洋子さん(73)が亡くなった。朝になっても起きてこない妻を心配した夫の寛さん(78)が見に行くと、すでに冷たくなっていたという。

帰郷かなわず

 坂本さん夫婦は2年前の大津波で岩手県大槌(おおつち)町にある自宅を流され、100キロほど内陸にある花巻市に避難してきていた。当初は夫婦で仲良く犬の散歩をする様子をよく見掛けたが、いつの間にか寛さん独りのことが多くなっていった。

 内陸の冬は温暖な海沿いの町に比べて雪が多く、寒さも厳しい。坂本さんは2度の冬をどのような思いで過ごしたのだろうか。その故郷・大槌はいまだに空き地が広がったままである。「復興にはそれなりの時間がかかる」と言わんばかりの風景だが、2年という月日は故郷に帰ることのない被災者を生み出してしまった。

 震災直後、私が初めて訪れた被災地が大槌だった。岩手に移り住みドキュメンタリー映画を作っている私の作品を初めて上映してくれたのが大槌の人たちであった。

 上映会でお世話になった人たちを探して歩くと、元消防士の徳田健治さん(63)が山あいの畑にある小屋に避難していた。訪ねてみると「飲み水、ご自由にどうぞ」と書かれた板が立っている。そばでは徳田さんが手押しのポンプを動かしていた。近くの避難所の人たちがもらい水に来ているのだ。多い日には100人以上の人が来るという。

古井戸を修復

 巨大な水の渦にのまれた被災地で最も深刻だったのは〝水〟であった。水道が壊れ、飲み水がなくなったのである。被災地のあちらこちらで人々は湧き水や沢水を集め、使われていない井戸を再生させた。徳田さんの井戸も手押しのポンプが壊れていたが、近所の人たちと力を合わせて修理した。

 「水は命だ。何はなくてもまず水。俺一人の力ではとても直らなかった。人の情けに助けられ、情けに泣いた」。徳田さんは涙を流しながら話してくれた。

 水はすべてを押し流していったが、人々の命をつないでくれたのも水である。東北の地に長く暮らして感じるのは、ここには自然と助け合うという生き方が色濃く残っているということだ。木や水を森からいただき、大地を耕し、海で漁をするという生業が第一のこの地では「自然と離れては生きていけない」という考えが理屈ではなく身に付いている。避難所で皆がお互いをいたわり合いながら長い間過ごすことができたのも、暮らしの中で培ってきた「助け合いの心」があるからだと思う。

 国の津波対策は超巨大堤防の建設など「自然を人の力で抑え込む」というものである。それは、海と助け合いながら生きてきた人々の思いに本当に沿ったものなのだろうか。祖父から3代にわたり大津波に遭った徳田さんは「津波には絶対かなわない。逃げるしかない」と言う。

 被災地では住居や仕事場の再建は遅れ、「復興道路」など大型の公共事業が続いている。誰のための復興なのか。故郷を離れて亡くなった坂本さんの静かな顔に手を合わせると、何ともやりきれない気持ちになった。

すみかわ・よしひこ
 1963年生まれ。NHK仙台放送局ディレクターなどを経て、99年からフリーの映像作家に。岩手県川井村(現宮古市)タイマグラ地区に生きた一女性と村の四季を追った記録映画「タイマグラばあちゃん」(2004年)は国際的に高い評価を得た。震災後、NHKの委託で「証言記録・東日本大震災」シリーズなどを制作している。

(2013年3月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ