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連載・特集

フクシマとヒロシマ2年 <6> 風化

証言集め体験を記録

 テープレコーダーが回った。「住んでいたのは原発から13キロ。避難した当初の4日間、食べ物はビスケットだけだった」

 高田英子さん(57)は、広島市中区の市社会福祉センターの一室でゆっくり語り始めた。人生をめちゃくちゃにした福島第1原発事故。「忘れることなどできない」

 福島県浪江町から逃れてきた。夫と東広島市で暮らす。証言は広島市被災者支援ボランティア本部が依頼した。東日本大震災後、東北や関東から避難してきた12人の証言集作りを進めている。

 震災から2年たち、ニュースが伝えられる機会は減った。支援の輪も縮んできた。鈴川千賀子本部長(55)は「被災の記憶を風化させてはならない」と力を込める。勤め先の市社会福祉協議会では、ソーシャルワーカーが原爆被爆者の証言残しを手伝っている。

 原爆投下から、ことしで68年。広島では、被爆者の証言集めを続けてきた。体験風化の危機から、被爆者に代わって証言する「伝承者」の養成も進む。

 広島大平和科学研究センターの川野徳幸准教授(46)は「被爆者の証言は反核平和の訴えに重みを持たせる」と指摘。「フクシマの人たちの証言も、原発の是非の判断材料になる。フクシマの事故が忘れられたら、われわれはあの事故から何も学ばなかったことになる」と強調する。

 証言や記録を残す作業には別の意義もある。当時の行動記録は、放射能による健康被害が出た際に有力な「証拠」となる。

 被爆者健康手帳の申請を支援する「原爆被害者相談員の会」(中区)は昨年11月、福島県を訪問。三村正弘代表(67)は、住民が差別や偏見を恐れて行動記録を残していない実態に触れた。

 「広島では原爆投下時の記録がなく、手帳交付や原爆症認定で遅れや混乱が生じた。ヒロシマの失敗をフクシマで繰り返してはいけない」と三村代表。被爆者の証言収集に携わったノウハウを、福島県の医療関係者に伝える場を設けたいと考えている。(今井直樹)=おわり

(2013年3月9日朝刊掲載)

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