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連載・特集

子どもたちの2年 福島から避難して <下> 

居場所見つけた

もう泣かない 部活夢中

ふさいだ日々支えた母と妹

 みんなと音が重なる瞬間が気持ちいい。メロディーに合わせて体を揺らしながら、サックスに息を吹き込む。広島市安芸区の矢野中吹奏楽部。2年の三浦莉衣菜(りいな)さん(13)は、先生のタクトを真っすぐに見つめる。

 「やりたいこと、見つけたから」。放課後の練習を終えると笑顔で言った。「今は、いわきに帰りたいって思わない」

 安芸区で暮らす祖母を頼り、福島県いわき市から避難したのは、福島第1原発の爆発の3日後。両親は娘3人の健康を心配した。ただ経営している会社も被災し、自分たちは動けない。「ひとまず子どもたちだけ、おばあちゃんの家へ」。当時小学6年の莉衣菜さんと4年の友菜(ゆうな)さん、4歳の愛奈(あいな)ちゃんの広島での生活が始まった。

 でも、莉衣菜さんは次第に元気をなくしていく。最初に通ったのは自宅近くの船越中。5月、数学の授業中に窓の外をぼーっと見ているうち、涙がぽろぽろこぼれた。先生は教室の外にそっと連れ出してくれた。「今日は帰るか」。涙目でうなずいた。

 クラスの友達はすぐ話し掛けてくれてうれしかったし、先生も優しかった。「でも、夢中になれるものが急になくなったから」。いわきの小学校では吹奏楽部で全国大会を目指していた。なのに、広島では放課後の時間をどう過ごせばいいのか分からない。

 寂しさ、悲しさ、無力感。ごちゃ混ぜの感情が渦巻いた。早退したり、保健室にこもったりする日々が続く。張り切って部活をしていた小学生の頃を思い出しては、家でひとり泣いた。

 自分が変われたのは、お母さんや船越中の先生が背中を押してくれたから。莉衣菜さんは避難して8カ月後の一昨年秋を思い出す。一緒に暮らせるようになった母綾さん(40)が先生と相談し、隣の矢野中吹奏楽部の見学がかなった。

 ああ、これだ―。部員の真剣な表情。きびきびとした動き。いつもの感覚がよみがえる。サックスを渡され、演奏の輪に加わった。高鳴る思いを母にぶつけた。「私がやりたいことは、あれなの。もう泣かないからやらせて」。3週間後、矢野中に転校した。

 お姉ちゃん、急に忙しそうになって。よかったな…。二つ下の妹友菜さん(12)は、元気を取り戻した姉を見てほっとした。うれしかった。「だって、泣き虫なのは、お姉ちゃんらしくない」

 でも本当は、自分も悩んでいた。中学進学を控え「いわきに帰るなら、今かな」と。ただ、お姉ちゃんがまた学校を変わるのはかわいそう。お姉ちゃんだけが広島に残るのも寂しくて。考えた末に決意した。もう少し、ここで頑張ろうと。

 「帰りたかったけど、無理だよね」。ぽつりと言った友菜ちゃんの言葉が、母綾さんは忘れられない。「広島に来て、あの子たちはお互いをすごく思いやるようになった。お姉ちゃんも妹たちの面倒をよく見てくれたから」

 今年2月、莉衣菜さんは吹奏楽部の副部長になった。練習は厳しくて泣いてしまうこともある。でも、一人でふさぎ込んで流した涙とは違う。「みんなとうまくなりたい。春からは友菜も一緒に」。4月、妹は矢野中に入学し、部員になる。早く暖かくなれ。お姉ちゃんは心待ちにしている。(教蓮孝匡)

(2013年3月12日朝刊掲載)

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