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連載・特集

緑地帯 俳人寒太と山頭火と私 田辺雅章 <1>

 防府市生まれの俳人種田山頭火(1882~1940年)が自作の句をしたためた自筆のはがきが、亡き伯父の家から見つかった。未発表の句も含まれている。山口県文書館によって、2011年に初めて公開された。

 「そこに島が家が人がうごいてゐる」

 はがきの日付は1933年の9月26日。糸崎から音戸へ向かう船上からの眺めを詠んでいる。旧制尾道中学の英語教師をしていた伯父に宛てた礼状だ。伯父とは「ツルの俳人」として知られる亘理寒太(本名正、1895~1963年)である。

 伯父と山頭火、そして私をつなぐのは「ツルの里」周南市八代。JR岩徳線高水駅から北へ10キロ足らずの盆地にある烏帽子岳のふもとだ。冬は深い雪に包まれるが、夏は涼しく過ごしやすい。

 1945年8月6日の原爆投下で、私は両親と弟を奪われた。7歳だった私は山口県高水村(現周南市)に疎開中で無事だったが、今は原爆ドームになっている広島県産業奨励館そばの生家をはじめ財産は全て失った。

 残された私と祖母は、生きるために親戚を頼るしかすべがなかった。広島から時折訪れる私たちに、八代は安らぎを与えてくれた。

 村の人々は素朴で温和。多感な少年時代のすさんだ心をいつも穏やかに包み、癒やしてくれた。亘理の家族はいつも温かく優しかった。八代は、第二の古里になった。(たなべ・まさあき 記録映画監督=広島市西区)

(2013年3月27日朝刊掲載)

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