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連載・特集

『生きて』 政治学者 北西允さん <1> 顧みて

反戦・反核に意義見つけ

 広島大名誉教授の北西允(まこと)さん(87)=広島市西区=は「反戦・反核」を生き方に選び、深く関わってきた。ヒロシマの裏面史にも詳しい政治学者の思想と行動の軌跡をたずねる。

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 きなくさい動きが台頭していると思います。死票が大量に出る、民意を最も反映しない小選挙区制で自民党は政権に返り咲き、日米軍事同盟の強化にひた走っている。武器輸出三原則を緩和し、集団的自衛権の行使、憲法改正を公然と唱えている。

 為政者は侵略戦争の総括ができていません。戦争責任を追及していない。憲法を、与野党の有力政治家は「押しつけられた」と言う。制定過程をみれば、政府は敗戦後に明治憲法の手直しで済ませようとして、GHQ(連合国軍総司令部)が業を煮やして作ることになった。

 自主憲法の制定を盛んに唱える政治家は、沖縄の米軍基地や(垂直離着陸輸送機)オスプレイの訓練になると、米国の言いなりではないか。北朝鮮の核実験は確かに危なっかしいが、日本が米国の「核の傘」に入っていることは棚上げしている。

 憲法は与えられた要素が強かった。それに、首相に権限が集中しすぎるなどの欠陥はあるが、戦後民主主義の足がかりとなった。憲法の条文を文字通り実行していくことが、理想社会への基盤にもなり得る。ところが実際はそれに逆行する動きが強まっています。

 僕は行き当たりばったりで生きてきたけれど、戦争は二度とやらない。この信念はぶれていない。死ぬまでマルクス主義者たらんとも思っています。僕が言うマルクス主義の社会ってのは、虐げられている人や社会的な弱者、汗して働く者が幸せになれる社会です。

 英国政党論の研究から始まり、学問の延長として反戦・反核に取り組んできた。僕自身の戦争体験というか、同世代の多くが戦死したのに、自分は戦難を免れた後ろめたさも影響しています。根っからの軍隊嫌いは、顧みれば少年時代から。権威や権力に抵抗する性分は、家庭環境にもあったと思う。国文学者のおやじは外ではリベラリストでしたが、家では父権を振りかざしていました。(この連載は編集委員・西本雅実が担当します)

(2013年4月9日朝刊掲載)

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