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連載・特集

シンポジウム「核なき世界へ」 25日 広島国際会議場 ヒロシマどう発信

 中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンター設立5周年記念のシンポジウム「核なき世界へ 広げようヒロシマ発信」が、25日午後1時から広島市中区の広島国際会議場で開かれる。ヒロシマ平和創造基金、広島国際文化財団、中国新聞社の主催。入場無料。

 人類史上初めて都市の上に原爆が投下された広島。悲惨な体験を基に核兵器廃絶と世界平和を訴え続けてきたが、今も核の脅威は続いている。シンポでは、米国の核時代平和財団会長のデービッド・クリーガーさんの基調講演やパネル討論、平和に向けた取り組みの事例報告を通して、被爆地の果たすべき役割は何か、何をいかに発信すべきか、議論を深める。(二井理江、増田咲子)

 パネル討論に参加するのは、基調講演者のクリーガーさんを含む4人。ヒロシマを訪れる外国人たちに英語を駆使して体験を話す被爆者、核実験の被曝(ひばく)者が多いカザフスタンとの交流を続ける若者グループの代表、豊富な国際経験を生かし、被爆地でヒロシマ発信に努める元国連職員…。地道に実践を続けている人たちである。

 司会は、ヒロシマ平和メディアセンターの田城明センター長が務める。

≪基調講演者≫

核時代平和財団(米国)会長 デービッド・クリーガーさん

≪パネリスト≫

クリーガーさん
小倉桂子さん(75)       ・被爆者、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ
                    (HIP)」代表=広島市中区
小麻野貴之さん(33)     ・国際交流グループ「CANVaS(キャンバス)」代表
                   =東京都
ナスリーン・アジミさん(54)  ・国連訓練調査研究所(ユニタール)特別顧問=広
                   島市中区

パネル討論

基調講演

核時代平和財団会長 デービッド・クリーガーさん

「希望の都市」前へ

 米国の非政府組織(NGO)核時代平和財団会長のデービッド・クリーガーさんが、「希望の都市 広島」と題して基調講演する。初めての広島訪問は半世紀前。その後、何度も訪れ、多くの被爆者に出会ううち、被爆者は自分たちが経験した悲惨な体験を、ほかの誰にも味わわせたくないという強い思いで生きていることを知った。

 1982年に、核時代平和財団を創設。核の時代に平和が欠かせない、との思いを団体名に込める。平和と核兵器のない世界の実現のために情報発信するとともに、平和活動するリーダーを支える活動を展開。被爆者と被爆地広島への熱い思いが、原動力となっている。

 若い世代には、被爆者の魂を受け継ぎ、核兵器のない世界のために希望を持って活動を続ける大切さを強調する。「広島は希望の都市として、その希望を前進させる責務がある、ということを忘れないでほしい」。核兵器のない世界は必要だし、実現は可能だ。そう指摘する一方で、継続して取り組まなければならない、と繰り返し訴える。

デービッド・クリーガー
 1942年米ロサンゼルス生まれ。68年ハワイ大で博士号(政治学)取得。サンフランシスコ州立大准教授などを経て、82年に核時代平和財団を創設、会長に就任。米国の高校生たちへの平和教育にも取り組む。

被爆者、HIP代表・小倉桂子さん

消えぬ心の傷 英語で語り10年

 8歳の時、爆心地から約2・4キロの牛田町(現広島市東区)で被爆した。「68年たっても消えない被爆者の心の傷の深さを伝えたい」と願う。

 1962年、後に原爆資料館長も務めた小倉馨さんと結婚。79年に夫と死別した後、海外から被爆地広島を訪れる平和活動家やジャーナリスト、作家、学者らの通訳やコーディネートを始めた。

 84年には、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」を設立。10年ほど前からは、被爆体験を英語で海外の若者たちに語っている。「将来を担う若者たちの心に火を付け、核弾頭をなくすための行動を起こさせたい」

 4月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第2回準備委員会で、「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同しなかった日本政府の対応に憤る。「世界に訴える前に、ヒロシマの思いを国内にも伝えないといけない」と強調している。

CANVaS代表・小麻野貴之さん

セミパラツアー重ね若者交流

 原爆と核実験、国境を超えて二つの核被害地を結ぶ活動を続けてきた。原点にあるのは、広島市立大の学生のころ訪れたカザフスタン。旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場で450回以上も繰り返された核実験の影響で、苦しんでいる人が多くいた。

 「将来を担う若者が核問題を自分のこととして考えないといけない」。自ら立ち上げ、代表を務める若者グループ「CANVaS(キャンバス)」は今月、設立10周年を迎えた。毎年のようにスタディツアーを計画し、交流の輪を広げている。

 昨年は、地元の若者と一緒に企画して平和フォーラムを初めて開催。互いの核被害を継承しようと、ウェブサイトの共同制作も決めた。核兵器廃絶の署名活動で、現地の反核市民団体ネバダ・セミパラチンスク運動との協力にも乗り出した。着実に歩を刻んでいる。

 安佐北区出身。「被爆体験を直接聞ける最後の世代としての使命がある。地道な活動を続け、若者が行動を起こすきっかけを提供したい」。東京で働いてはいるが、心はずっとヒロシマ人だ。

ユニタール特別顧問・ナスリーン・アジミさん

被爆樹木の種や苗 世界に寄贈

 国連加盟国の政府関係職員らを研修するユニタールに長年勤務。ニューヨーク事務所長などを経て、2003年、広島事務所の初代所長に就任した。

 約6年間務め、退職した後も広島市内に住み続けている。11年からは、被爆樹木の種や苗を各国に送る活動を始めた。「被爆者が高齢化する中、惨劇を二度と繰り返さない、というヒロシマの思いを広げたい」からだ。

 市民団体「緑の遺産ヒロシマ」の共同代表として、出身地のイランやアルゼンチン、南アフリカなど既に海外14カ国に寄贈。各地で根を広げている。原爆の惨禍をくぐり抜け、たくましく生きる被爆樹木を育てながらヒロシマに思いをはせてほしい、と願う。

 「許しても忘れない」精神で復興を遂げたヒロシマ。だからこそ、核の脅威を訴えると同時に、復興への勇気を与える希望の象徴になり得たと考える。

 「紛争が絶えない世界に、ヒロシマの精神をもっと伝える必要がある」。国際社会での豊富な経験を基に、そう言い切る。

事例報告

 五日市高(広島市佐伯区)の生徒13人は2012年11月、東日本大震災の被災地、宮城県を訪れた。農地復興などのボランティアをする一方、津波で壊滅的な打撃を受けた宮城県農業高(名取市)を訪れて交流した。今回のシンポジウムの事例報告に、両校の生徒が登壇し、被災地の現状や支援の在り方について話す。

 このほか、ヒロシマ平和創造基金の国際交流奨励賞を今年受賞した国際協力機構(JICA)の元青年海外協力隊員が海外原爆展について紹介。中国新聞ジュニアライターによる活動報告もある。

被災地の復興支援

五日市高

 五日市高は、昨年秋の宮城県訪問前に、同校の復興スローガン「顔晴(がんば)ろう」とスマイルマークの人文字を校庭でつくり撮影した。メッセージボードに写真を貼って、宮城県農業高に持って行った。

 現地では、仮設住宅でお年寄りと交流し、農地復興ボランティアにも参加。しかし、生徒たちが逆にもてなしを受けてしまい、「自分たちは本当に役に立っているのだろうか」と戸惑うこともあった、という。

 シンポでは、どうすれば被災者に寄り添った支援ができるのか、などの思いを発表する。小路口(しょうじぐち)真理美校長は「被爆地と被災地の生徒同士が語り合い、どんな未来を築いていくべきか、きっかけを見いだしてほしい」と話している。

宮城県農業高

 宮城県農業高からは白石喜久夫校長と3年生4人が参加し、復興に向けて進む取り組みをはじめ、震災から2年余りが過ぎた現地の様子を報告する。

 生徒は、今も名取市内の仮設校舎で学んでいる。ただ、農業実習用の田畑を確保し、寄付のおかげで農業機具もそろえた。今も仮設住宅で暮らすお年寄りたちを支援する活動も始めた。お年寄りを招いた農業体験や、塩害に強いという綿花を栽培するプロジェクトにも参加している。

 気掛かりなのは、福島第1原発事故の影響だ。宮城県でも、農作物の出荷制限や風評被害などが起きている。「いったん事故が起きると想像を絶する被害になる。被爆地広島の経験と支援を支えに、復興に頑張りたい」と白石校長は話す。

 シンポに参加する横山千鶴さん(17)は「今の復興状況や活動について話し、震災があっても私たちは負けないで頑張っていることを伝えたい」。畑井加奈子さん(17)は「多くの人に原発事故の脅威を知ってほしい」と願っている。

広がる海外原爆展

元青年協力隊員

 元青年海外協力隊員で小学校教諭の小坂法美さん(36)=広島市安佐南区=は、「海外原爆展を通して見えたヒロシマ」と題して報告する。

 2003年7月~05年7月の2年間、中米ニカラグアに派遣された。内戦が終わって間もない現地は貧しく、人々は希望を持てない状態だった。ヒロシマについて、名前は知っていても復興状況は知らない人が多かった。

 小坂さんはじめ広島県出身の隊員4人が「復興への希望や平和の大切さを伝えよう」と04年7、8月、「原爆展」を首都マナグアなど3カ所で開いた。

 これを機に、青年海外協力隊員による原爆展が世界各地で開催されるようになった。これまでに計約200人が、ボリビアやモンゴル、モザンビークなど赴任した計56カ国で100回以上、原爆展を開いている。

中高生 フェスタで連帯

ジュニアライター

 平和をテーマに取材、活動する中国新聞ジュニアライター。3月30日に開かれた中高生ピースマイルフェスタで企画・運営を担当した。音楽ステージやワークショップを通して、平和な世界に向けて若者中心の横のつながりをつくったことを報告する。

 音楽ステージには、地元広島の中高生のほか、福島県立葵高(会津若松市)合唱部も出演。最後は、会場の参加者も一緒になってSMAPの「世界に一つだけの花」を歌った。

 ワークショップでは、いじめなど身近なテーマから東日本大震災の被災地復興、国際交流まで七つのテーマで議論。中高生の平和活動グループや、ジュニアライターが取材した団体など14のブースも出展した。

 最後は、宣言文「私たちのピースマイル」を発表。「寛容な気持ちを持つ」「国を超えた人と人との助け合いを大切にする」など七つの行動目標を盛り込み、拍手で賛同を得た。

 フェスタの様子は、インターネットで中継。世界に発信した。

 実行委員長の高3坂田弥優さん(17)は「中高生の目線から平和について考えることで新たな視点が見つかるはず。世界の一人一人がつながる大切さを知ってほしい」と話す。

 ≪主なスケジュール≫

午後1時     開会
   1時 5分 基調講演
   1時45分 事例報告
   2時25分 休憩
   2時40分 パネル討論
   4時半   閉会

 シンポジウム開催には、広島県、広島市、公益財団法人広島平和文化センター、ユニタール広島事務所、JICAの後援と、広島県教育委員会の協賛を得ている。

 宮城県農業高(名取市)の先生と生徒は、東日本大震災被災地を支援する中国新聞社と中国新聞中国会連合会の「届けよう 希望 元気 キャンペーン」の一環で招く。

(2013年5月20日朝刊掲載)

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