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連載・特集

ヒロシマを伝えるために 感情の根底まで世代超え届ける 作家・那須正幹さん

 児童文学最大のベストセラー「ズッコケ三人組」の作者である那須正幹さん(70)は、幼いころ広島で被爆した。原爆をテーマにした作品も著し、英語や韓国語に翻訳されている。世代や国境を超えてヒロシマを伝えるには、何が問われているのか。中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンターの設立5周年記念シンポジウムに合わせ、談話を寄せた。

 戦争や原爆の悲惨さは忘れてはならない。しかし今、若い人たちにきちんと伝わっているだろうか、受けとめられているでしょうか。

 僕は自分の被爆体験を含めて昨年8月6日、大分県の大学で講演をしました。「平和学習は嫌いだった」と答えた学生が多いのに驚いた。これは山口大の先生から聞いた話ですが、「日本が平和なのは米軍が守っているから」とみる学生が多数だという。被爆証言者も学校の先生も一生懸命に伝えようとしているが、子どもらの共感を得るようなものになっていないのではと思います。

 原爆から70年近い歳月となり、若い人からすれば、昔の出来事と感じる。だったら、戦争・原爆の話を家族や地域の民間伝承にすればいい。先人たちが民話を代々伝えてきたように、かしこまらずに肩の力を抜いてもっと気軽に話すわけです。

 若いころ参加していた同人誌の合評会では、原爆は体験した者でないと分からないという見方が強かった。僕は逆に体験していない人が書くからこそ大事だと思った。外にいるから見える、気づくことがある。

 僕自身、妻の実家があった防府に移り住んだのを機に広島を見つめ直した。佐々木禎子さんと同級生の思いを描いた「折り鶴の子どもたち」(1984年刊)を著し、お好み焼き店を営む女性3代が主人公のヒロシマ3部作「歩きだした日」(2011年刊)なども書くことができた。

 被爆者だからといって広島で皆が「反核」に声を上げてきたわけではない。実際、多くの人はがむしゃらに被爆した戦後を生き抜いてきた。ただ、空襲や引き揚げなどの過酷な戦争体験をした人たちと違うのは、放射線を浴びた不安が消えない。子どもの誕生から自身が老いても病気になると、被爆の影響があるんじゃないかとの不安がつきまとう。

 平和運動にかかわっていなくても核武装は認められない、戦争はしてはならないとの思いに結びついている。チェルノブイリや福島の原発事故の被害者に自らの辛苦を重ねて「核」はこりごりだと思う。生活や感情に根差した強さがある。

 戦争はなぜ起こるのか。どうしたら防げるのか。理屈の論議も大切だが、人を動かすのは感情が大きい。子どもは成長過程で民話を聞くことで道徳律を培う。「核」の問題は人間にとって重要だからこそ、世代や国境を超えて人の感情の根底まで届く、共感を得られる伝え方が必要です。幅広い取り組みをヒロシマに期待するし、広げていってほしいと思います。(談)

なす・まさもと
 1942年8月6日生まれ。爆心地から約3キロ、現在の広島市西区己斐本町で被爆。「ズッコケ三人組」シリーズ(巌谷小波賞)は累計2300万部を超える。「ヒロシマ」3部作は昨年の日本児童文学者協会賞。防府市在住。

(2013年5月24日別刷掲載)

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