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連載・特集

陸奥爆沈70年 <上> 遺産

砲塔再生 平和祈る鐘に

放射線測定の遮蔽材にも

 戦艦陸奥が山口県岩国市柱島沖で謎の爆沈をして8日で70年。海中に没した巨艦の鉄はその後、引き揚げられ、研究機器や鐘として今も生き続けている。一方で、1121人が犠牲となった爆沈の記憶は、長い年月とともに次第に薄れつつある。数少なくなった当時を知る人たちの証言や遺産を通じ、陸奥の今を追った。(久行大輝)

 平和を願う厳かな鐘の音が響く。周南市の徳山港から南西へ約10キロ。大津島の山道を10分ほど上ると、徳山湾を望む小高い丘に人間魚雷の史実を伝える回天記念館がある。

 1974年に建立された前庭の釣り鐘は直径90センチ、重さ850キロ。このうち100キロ分は43年6月8日に爆沈した陸奥の砲塔が鋳込まれたものだ。

 毎年、終戦の日には集会が開かれ、この鐘が鳴らされる。「平和の祈りが込められた鐘を長く引き継いでいきたい」。松本紀是(としゆき)館長(67)は一方で「陸奥の悲しい歴史も伝えるようにしている」と穏やかな口調で説明する。

 爆沈から27年後に引き揚げが始まった陸奥の鉄は、群馬県渋川市や新潟市の寺の鐘にも姿を変え、平和への願いを響かせ続ける。

 回天記念館を見学に訪れた下関市の米田勉さん(78)は「回天の搭乗員に加え、陸奥の乗組員の無念さもこの鐘は知っている」と驚いていた。

 陸奥の鉄が使われたのは、寺院の鐘だけではない。放射線測定装置の遮蔽(しゃへい)材として、全国各地の研究所や原子力発電所で活用されている。

 中国電力島根原発(松江市)の環境放射能測定室。検査機を囲む金属製の箱は陸奥の第3砲塔を切断して組み立てられたものだ。厚さ約20センチ。自然界の微量放射線を完全に遮断し、原発周辺で採取された農水産物の放射線の量や種類を測る。

 金沢大の低レベル放射能実験施設(石川県能美市)では、福島第1原発事故後、現場周辺で採取された土や海水、河川水などの測定を続ける。井上睦夫助教(46)は「陸奥鉄のおかげで、わずかな放射線も検査できる」と話す。

 砲塔や砲身は、海上自衛隊第1術科学校(江田島市)や大和ミュージアム(呉市)などに展示されている。爆沈現場に近い周防大島町伊保田の陸奥記念公園にも艦首や副砲が置かれ、「平和の重み」を今に伝える。

(2013年6月7日朝刊掲載)

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