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連載・特集

「学ぼうヒロシマ」使ってます 広島女学院高/山陽女学園高/加計高芸北分校/大州中/油木高/尾道商高

 平和を願う心と被爆体験の継承を目指して制作された、ちゅーピー中学生・高校生新聞特別号「学ぼうヒロシマ」を使った授業が、広島県内の各校に広がっている。英語での学習や歌詞創作に役立てたり、原爆・平和問題への関心を高める素材にしたり…。工夫を凝らした授業を通して、さまざまな角度で原爆、戦争を捉えるとともに、自らが考え行動しようと取り組む生徒たちの姿をピックアップして紹介する。(二井理江、増田咲子、鈴木大介)

広島女学院高

英訳で読む被爆体験

 「まずは、1段落目から読みましょう」。広島女学院高(広島市中区)2年の英語の授業。高見知伸(ちのぶ)教諭(47)が、増野幸子さんと児玉豊子さんの被爆証言記事の英訳文を読み上げる。張りのある声が教室に響く。

 続いて、手作りのワークシートを基に「幸子さんは、どこにどのような傷を負ったか」「けがの原因は」などと次々に質問。「burn(やけど)」について学んだ後、「時間がたつと、ケロイド・スカー(keloid scar)と言います」と、関連の単語も説明していく。

 被爆体験を英文で読む授業は「教科書に出てこない単語や文章を知るいい機会になる」と高見教諭。「他の言語を使って平和について伝えないといけない、という意識につながっているはず」

 中高一貫教育の6年間を通し「平和カリキュラム」を組む同校。中学1年で、被爆した同校卒業生が書いた被災誌の学習に始まり、長崎の原爆や、日本の加害の歴史、沖縄戦、現在の核の時代についてなど、高校3年まで知識を体系的に蓄えられるようにしている。

 こうした日本語での学びに加え、被爆証言の英文授業を受ける辻岡愛菜さん(17)は「英語の方が被害を受けた様子が端的に伝わる」と感じる。「ガラスが背中一面に突き刺さった」という表現が、英語では「飛んでいるガラス(flying glass)が、背中を襲った(struck her back)」とよりイメージしやすくなるからだ。

 8月から約10カ月間ノルウェーに留学する竹中優加さん(16)も「被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんを中心に、現地の人に英語で説明したい」と話している。

山陽女学園高

新聞手に慰霊碑巡る

 修学旅行生に交じって、平和記念公園(広島市中区)の慰霊碑を巡る山陽女学園高等部(廿日市市)2年生の姿があった。手には「学ぼうヒロシマ」。「碑文を読んだだけでは分かりにくいけど、これには詳しく書いてあるからいい」と栗林佳穂さん(16)は話す。事前学習では、被爆証言の記事を読んで、タイトルやまとめ文を付ける作業もした。

 生徒は、4月から約3カ月間かけて平和学習に取り組む。教諭たちによる特攻隊員を描いた創作劇を見たり、放送部や演劇部の生徒が中心になって原爆の朗読劇をしたり。海上自衛隊第1術科学校(江田島市)や大和ミュージアム(呉市)も訪れた。

 長江正利学年主任は「『学ぼうヒロシマ』を使って、憲法改正や軍隊など今、話題になっているテーマまで考えられるようになれば」と期待を込める。

加計高芸北分校

被爆2世校長 全生徒に訴え

 加計高芸北分校(広島県北広島町)では、ロングホームルームの時間を使って、細川洋・分校長(54)が全校生徒67人に授業をした。

 取り上げたのは、「おすすめの本」のページに載っていた1冊「広島第一県女一年六組 森脇瑤子の日記」。

 「この本は実は、私の父が出しました」。被爆した父の浩史さん(85)が、建物疎開の作業中に被爆し、その夜亡くなった妹、森脇瑤子さん=当時(13)=が原爆投下の前日まで記していた日記をまとめたという。

 「明日からは家屋疎開の整理だ。一生懸命頑張ろうと思う」。細川分校長は、叔母の日記を読み上げて、「普通の暮らしとささやかな幸せを奪ったのが原爆だ」と、真剣な表情で聞く生徒に訴えた。

 続いて、原爆投下の背景や被爆者へのいわれなき差別などを紙面を見ながら説明。瑤子さんが動員された「建物疎開」の用語解説も活用した。

 戦争や原爆の犠牲になった旧芸北町の人たちの慰霊碑が学校近くにあることも紹介した。「芸北も戦争と無縁ではない」と強調。「原爆を語り継いでいくと同時に、日々の生活の中で自分や他人を大切にしてほしい。それが平和への近道だ」と呼び掛けた。

 3年新苗楓さん(17)は「先生の身近な人の話で原爆について理解しやすかった」。3年高野恭典君(17)は「次の世代に伝えられるよう、もっと勉強したい」と話していた。

大州中

平和を願う歌詞づくり

 ♪心も体も痛めずに 誰もが笑顔の世界 築こうよ―

 大州中(広島市南区)2年の授業。平和学習に長年取り組んできた松井久治教諭(59)が、35人の生徒に記事を読んで聞かせる。増野幸子さんと児玉豊子さんの被爆証言だ。

 増野さんらが被爆したのは、生徒たちと同じ10代のころ。原爆の爆風で割れたガラスが背中に刺さり、傷痕は114カ所も残る。広島県外の勤め先の寮で入浴中、背中の傷を見た同僚に原爆に遭ったと説明すると、「毒がうつる」と言われ、みんな出ていったという。

 やけどや、けがだけではなく、偏見にも苦しんだ被爆者。どれほどの心痛だったか記事を基に説明した上で、松井教諭は呼び掛けた。「平和のため、自分たちに何ができるか考えながら歌詞をつくってみよう」

 早速、同校で生まれた平和の歌「ねがい」の続きの歌詞づくりに頭をひねる。5~7人のグループごとに、被爆証言などの記事に出てくる言葉を参考にしながら話し合った。

 「核兵器をなくす」「爆音ではなく歌声が響いたら」…。思いついた歌詞を黒板に記していく。棟方龍佳さん(13)は「被爆証言を読んで戦争の大変さがよく分かり、次々に言葉が出てきた」。石元貴大君(13)は「心身にいつまでも傷が残る戦争はよくない」。

 みんなで考えたフレーズをつないで一つにまとめる。松井教諭がギターを弾く。伴奏に合わせ、生徒は意味をかみしめるように力強く歌った。

 松井教諭は「記事を読んで、生徒たちは原爆を追体験でき、歌詞づくりに真剣に取り組めた」と話していた。

油木高

学童疎開に思いはせて

 「餓死した原爆孤児の口の中に、小石が入っていた。何か口に入れておかないと、(空腹で)身が持たなかった」。カメラを前に被爆者の川本省三さん(79)が話すのを、油木高(広島県神石高原町)3年の生徒が、食い入るように見つめる。

 川本さんは当時、広島県北の神杉村(現三次市)に学童疎開中。原爆の直撃は免れたものの、家族を失って原爆孤児になった。

 生徒は、国語の授業で「学ぼうヒロシマ」の体験記を読んだ上で、ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに載っている動画で声を聞いた。

 3年の国語のテキストでは、東京大空襲をめぐる学童疎開や戦争孤児を題材にした物語の一部が使われている。担当の坂本哲也教諭(52)は「原爆に置き換えることで、生徒たちはぐっと身近に感じられる」と話す。授業では、戦時中、神石高原町にも呉市などから疎開してきた子どもたちがいた話もした。

 佐崎良俊さん(18)の自宅の寺には広島市内から約20人が疎開していた。「交通の便もよくない中、ここに来るだけでも大変だったと思う」と、当時の子どもたちに思いをはせていた。

尾道商高

核の恐怖 伝え方考える

 尾道商高(尾道市)は、「学ぼうヒロシマ」を教材に1~3年の全校生徒578人が同時に授業を受けた。同校の独自教科「尾商学」の時間を使ったユニークな取り組みだ。

 今回のテーマは「関心」。3年4組の教室では、「どうしたらみんなに関心を持ってもらえるだろうか」とNIE(教育に新聞を)担当の清水美江教諭が37人に問い掛けた。

 被爆者を取材したジュニアライターの座談会記事が題材。生徒数人が音読した後、4、5人の班に分かれ、意見を出し合った。「写真や図を使って具体的に説明する」「難しい言葉を分かりやすい表現に変えて伝える」「家族など身近な人に伝えて輪を広げる」などのアイデアが次々と上がった。

 情報管理科3年井上ひかるさん(17)は、アニメーションや歌で核兵器の恐ろしさを伝える方法を提案。さらに「直接、被爆者の言葉を聞くことが大切だと思った」。清水教諭は「平和や原爆について、あらためて考えるきっかけになったのでは。何事にも関心を持つ人になってほしい」と期待していた。

 同校は本年度から毎週月曜を「新聞の日」にした。朝のホームルームで生徒が教諭の選んだ記事を配り、読む取り組みだ。各教科の授業でも、時事や経済分野の新聞記事を導入部分で使うなど積極的に活用している。小林利幸校長は「新聞を読む習慣を通して、幅広い視野を養い、就職や進学に生かしていきたい」と話していた。

◆ちゅーピー中学生・高校生新聞特別号「学ぼうヒロシマ」◆

 タブロイド判、カラー、24ページ。被爆体験に基づき世界平和を訴えてきた被爆地広島の願いを若者に受け継いでもらうため、中国新聞社が、広島国際文化財団の協賛を得て、5月に制作した。広島県教委や各市町教委、各中学・高校の協力で、広島県内の全中学生・高校生に配布。山口県でも、市町教委が中国新聞社と新聞活用協定を結んでいる東部9市町にある国公立中学校に生徒全員分を届けた。両県で合わせて18万人以上に配った。

 内容は、朝刊連載中の被爆証言を聞く企画「記憶を受け継ぐ」がメーン。「学徒動員」「学童疎開」「入市被爆」など戦争と原爆に関する用語説明、原爆投下の背景や世界の核兵器の現状などの解説、ワークシート、ブックガイド、被爆者を取材した中国新聞ジュニアライターの座談会なども盛り込んでいる。被爆証言の一部は英訳も掲載。中学、高校のレベルに合わせた英語の確認問題も載せた。

平和の歌「ねがい」
 大州中(広島市南区)の生徒が2001年に作った「平和宣言」や平和学習の感想を基に、02年春、4番まで完成した。同校に当時勤務していた横山基晴教諭(現在は東区の牛田中勤務)が歌にしようと提案し、広島合唱団に作曲などを頼んだ。その後、「5番目の歌詞をつくろう」との活動が国内外に広がり、2千を超す歌詞が寄せられている。

(2013年6月17日朝刊掲載)

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