×

連載・特集

若さでつながる 広島→福島 ボランティア隊の交流 <下> 大人の支え

リスク上回る成果実感

被爆地の心を託す協賛の輪

 「祭りの屋台が来たみたい」。広島市から訪れた高校生のへらさばきに、被災者から歓声が上がった。福島県南相馬市の仮設住宅で昨年末あったお好み焼き交流会。ジュージューと食欲をかき立てた鉄板は、高校生災害復興支援ボランティア派遣隊(広島市安佐南区)にオタフクソース(西区)が無料で貸し出した。

 同社のお好み焼課の新見改歴(かいれき)課長は「高校生が真剣に焼く姿を見せれば、長距離の移動などの苦労も被災者に察してもらえるはず。大人がやる以上に応援する気持ちが伝わる」と協賛した狙いを話す。生徒には焼き方も伝授し「広島代表として心を込めて焼けよ」と励ました。

 同社以外にも、貸し切りバス代金の割引、仮設住宅での換気扇掃除の仕方の指導などを通じ、派遣隊には20以上の企業・団体が協賛した。「寄付は難しいが、自社商品の提供なら」と応じる社もあった。旅費も、市民の「善意」が頼り。土日曜日に、生徒たちが広島市中心部の繁華街に立ち、募金を呼び掛けている。

 派遣隊の活動は、停滞した時期もあった。結成から半年たった昨年秋、「放射線量が高い福島県に若者を連れて行くべきでない」とある団体から批判を浴びた。「一時は活動中止も考えた」と、サポーター代表を務める広島県立西高の日上雅義教諭(48)が振り返る。

 活動を毎時1マイクロシーベルト未満の場所に限り、ほこりが立つ作業では医療用マスクを着けるなど、対策は講じてきたつもりだった。日上教諭は、放射線の専門家に問い合わせて「短期間の滞在なら、飛行機に乗って浴びる量を下回るケースもある」との助言を受け、傾きかけた自信を取り戻した。

 「孫が来てくれたみたい」と喜び、別れ際に涙を流した被災者の顔も浮かんだ。「広島の多くの企業や市民が応援してくれていると知り、感動した」とつづる手紙も被災者からもらい、継続への力になった。

 送り出す側の保護者は、受験勉強との両立や放射線の影響などについて、さまざまな考えをめぐらせる。福山市の松永中3年竹光一登君(15)の父亮彦さん(40)は、昨年5月の派遣隊に親子で参加。放射線測定器を持参し、高線量の地域で活動しないことを自ら確認でき、安心したという。

 2回目の福島行きでは、参加を望む一登君に、被曝(ひばく)リスクを自分でも考えて結論を出すよう促した。学校の成績も条件を課したが、見事クリア。「被災者の生の声を聞いたからか関心が広がり、社会保障のことを尋ねてきたりして驚く」と亮彦さん。リスク以上の教育効果を感じている。

 市立広島工業高2年沖本優太君(16)の母八束さん(40)も「よくしゃべり、笑うようになった」と変化を実感している。

 優太君は福島を訪ねた後、「被爆地の広島だからできることを」と、被爆樹木の苗を福島に植える活動を発案した。自主的に参加したイベントで、平和活動に取り組むNPO法人「ANT―Hiroshima」(中区)の渡部朋子理事長と知り合い、協力の約束を取り付けた。

 わが子の成長ぶりに目を細めつつ、八束さんは「自分の力とはき違えず、支援への感謝を忘れないで」と言い聞かせている。

 今月3日。放課後にANTに立ち寄った優太君に、渡部さんは「自分の思いだけでなく、先方で鍵になる人も要るよ。木の世話をしてくれる人を見つけなきゃ」と助言。「やってみんちゃい」と背中を押した。

 十六、七歳ごろの体験は、生涯のテーマ形成につながる―。渡部さんは、自信を付けていく優太君の姿に、著作「『自分の木』の下で」での大江健三郎さんの指摘を重ね合わせる。「だからこそいろんな人、世界に出会ってほしい。大人は、子どもの提案にぱっと応えられる存在でありたい」と渡部さんは願う。(馬場洋太)

(2014年2月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ