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連載・特集

緑地帯 「アトム書房」を歩く 山下陽光 <4>

 一期一会ではなく三期三会(みごみえ)と、勝手に言葉を作ってそう呼んでいる。三つのことが重なると何かが起こる。筆者にとって、原爆ドームと山路商とアトム書房だ。

 原爆ドームは、被爆の前は産業奨励館だった。ヤン・レツルというチェコ人の設計で1915年に建ったが、世界遺産にしてしまったことをレツルに謝んなきゃいけないんじゃないかと思った。

 服飾ブランドのベネトンが、ボスニア紛争で戦死した兵士の血に染まったシャツとズボンを広告の画像に使ったことがあるが、それは服を作った人の意志とは関係ない。筆者は服を作っているが、自分の作品がそんなふうに残るのは気持ちがいいものではない。

 レツルは原爆を知らずに亡くなっているが、自分の建築が破壊されたままの状態で保存されるのをどう思うだろうか。

 山路は画家で、産業奨励館にも絵を展示していた。ダダイストで詩人、酒飲み。広島の比治山下で営んだ画材店は全くもうからなかったけれど、丸木位里や靉光(あいみつ)、船田玉樹(ぎょくじゅ)といった画家や、演劇人、詩人たち有象無象が集まっていた感じは、今の自分たちのようで共感する。

 山路は41年、特高警察に逮捕され、44年に亡くなった。翌年に原爆が投下される。

 アトム書房と山路、原爆ドームのつながりははっきり分からないけれど、山路は亡くなるわ、産業奨励館は廃虚になるわで、広島何にもねえじゃねえか!というやけくそな気持ちでアトム書房はできたのではないかと思っている。それが筆者に伝染した。(アーティスト=長崎県諫早市)

(2014年3月7日朝刊掲載)

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