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連載・特集

不安な放射線。でも、古里と家族が恋しい 避難者 支え合い 東日本大震災3年 フクシマとヒロシマ

 福島第1原発事故を引き起こした東日本大震災から11日で3年。

 フクシマの人たちは望郷の思いを胸に抱きながら、時に支え合って避難生活を送っている。

 避難者を支えるためにとどまる人。

 残した家族のために帰る人…。

 ヒロシマで見たいまを伝える。(久保田剛、有岡英俊、桑田勇樹)

 元気に明日へ進む―。会の名前には、古里から離れた地で暮らす避難者たちの願いを込めた。広島県に避難してきた人たちでつくる「ひろしま避難者の会アスチカ」。三浦綾代表(41)たちを中心に結成し、1年5カ月がたった。不安や悩みを共有する交流カフェを月1回開催。周囲から孤立しがちな避難者の見守り活動を続ける。

 震災後間もなく、福島県いわき市から、母が暮らす広島市安芸区に自主避難してきた。放射線の影響を心配する夫の芳一郎さん(44)の強い勧めがあったからだ。会社を経営する夫は、いわき市に残った。小中学生の娘3人を育てながらの二重生活が続く。

 交流カフェでは、同じような経験をした人同士だからこその本音の語らいがある。「仕事がない」「家計が苦しい」…。古里にいつ戻れるか分からないことへの不安を分かち合う。

 回を重ねるごとに顔ぶれは増え、いまでは約120世帯320人と県内の避難者の約7割に上る。「心を癒やすのに3年という月日は短すぎる。避難者のよりどころであり続けたい」と三浦代表。しばらくは広島にとどまり、代表として活動していく覚悟だ。

 廿日市市河津原の山あいにある「シェアハウスとも」。避難者でつくる「いのちひろ異(い)の会」の渡部美和代表(38)が木造2階建ての民家を借り、避難者向けの保養施設として昨年8月に開設した。

 自身も安佐北区出身。震災直後、福島市から長男(3)と2人で広島に自主避難してきた。避難生活が長引くにつれ、家族や健康など将来の不安が募り自分も仲間もすり減っていく。「気軽に集い、語らえる場が欲しかった」と渡部さん。開設から半年余りの間に、福島県や関東地方から計13家族約30人を迎えた。夕食会を開いたり、庭先につくった畑で野菜を収穫したり…。時には広島県内の避難家族を集め、放射線が健康に及ぼす被害について学ぶ勉強会を開く。

 一方で、被災地に帰る決心をした避難者もいる。いわき市から3人の子どもと避難した広島市安佐南区の新妻有紀美さん(38)は4月、小学生の息子2人とともに、夫が残るいわき市で再出発する。

 新妻さんは、広島出身者ではない。保養のため訪れた時、避難者と会って話すうち、放射線被害への関心が高いと知り、思いが重なった。しかし、いわき市の新妻さんの周囲は放射線被害について「心配するな」と言い、避難に反対した。

 「子どもたちを守りたい」。悩みを打ち明ける仲間を広島で見つけた。「2年たてば(古里の)放射線量が減って、住みやすくなる」。そう信じ、夫の了承を得て広島に移った。

 いわき市に戻る期限が迫る。幼い息子たちへの体への影響を思うと「本当にいま帰るべきなのか」と自問を繰り返す。ただ、一人で家事をこなし、家族の帰りを待つ夫の気持ちを考えると…。思いは揺れる。

 3人の子どものうち、高校を卒業した長女(18)は4月以降も広島市に残り、地元の短大に進む。友達が増え、メーキャップアーティストになる夢を描く。

 震災から3年。家族をばらばらにし、苦しい決断を強いる原発事故は許せない。「でも、戻ったら前向きに生きていくしかない」。新妻さんは自らに、そう言い聞かせる。

「保養所」今も高いニーズ 安佐北区のNPO

 広島市で高齢者世帯への配食事業などを展開するNPO法人よもぎのアトリエ(安佐北区)は2011年8月以降、区内の民家や公団住宅を借り受け、被災者向けの「保養所」として提供している。

 2月末までに延べ57家族約210人を受け入れてきた。食事会など被災者同士が悩みを共有できる場を設けたり、甲状腺がんに詳しい内科医師による無料の健康相談会も企画したりする。利用者には、広島までの往復交通費として、大人4万円、中高生3万円、小学生2万円までを上限として会費から負担している。

 経費のほぼ全額を寄付やカンパで賄う。震災後の2年間は東京の独立行政法人などから得ていた補助金があったが、既に底を突いた。今後は、年間で約200万円かかる経費をどう工面していくかが、活動を継続する鍵となる。

 今月は7家族を受け入れる予定で、「震災から3年たついまも被災地からのニーズは絶えない」と室本けい子代表理事(60)。資金確保に奔走し、息の長い活動にしていくつもりだ。

親や友人に会えない悩み 41.3% アスチカ調べ

 古里に残った親や友人と会えないのがつらい―。広島県内への避難者でつくる「ひろしま避難者の会アスチカ」がこのほど集計した会員向けのアンケートで、回答した世帯の約4割が、この問題に悩んでいることが明らかになった。避難生活が長引く中、将来を見通せない避難者たちの不安が浮き彫りになった。

 福島、宮城、岩手の3県や関東地方から避難した全115世帯のうち、63世帯(54.8%)が回答した。「現在の悩み」(複数回答)を問う項目では、「(古里の)親・親戚・友人になかなか会えない」を、最多の26世帯(41.3%)が選んだ。次いで「心の余裕のなさ、精神的な不安定さ」を22世帯(34.9%)、「震災や原発事故が忘れられていると感じること」を18世帯(28.6%)がそれぞれ選び、震災の風化に対する懸念も透ける。

 「今後の不安」(複数回答)では、「健康」が38世帯(60.3%)でトップ。「(仕事や人間関係など)生活が安定するか」が29世帯(46.0%)▽「住宅支援がいつまで続くか」が16世帯(25.4%)―と続いた。

 生活拠点をどこに置くかについては、放射線の影響などを理由に、26世帯(41.3%)が広島県内で定住するとした。21世帯(33.3%)は「決めていない」とし、4世帯(6.3%)は帰郷の意向を示した。

福島からが最多854人 中国5県の避難者

 東日本大震災や福島第1原発事故に伴う中国地方5県への避難者数は計1963人(2月13日現在)で、前年同期に比べて19人減った。岡山県で141人増えたが他県は減った。

 県別では岡山が1046人で最多。県危機管理課は「災害が少ないイメージに加え、被災者支援団体同士のネットワークが強い。暮らしやすいとの評判が広まっている」と分析する。

 他の4県は、広島467人(前年同期比111人減)山口148人(同15人減)島根120人(同13人減)鳥取182人(同21人減)。避難元の内訳は、福島が最多の854人で全体の43・5%を占める。宮城242人(12・3%)岩手39人(2・0%)と続く。

 中国地方5県の公営住宅で暮らす避難者は300人を超す。5県の公立小中高校に昨年5月1日時点で在籍していた児童・生徒は計423人を数える。

(2014年3月11日朝刊掲載)

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