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連載・特集

3・11後を撮って <上> 写真家 土田ヒロミさん シリーズ「フクシマ」 四季の美に潜む〝破壊〟

 東日本大震災と福島第1原発事故から3年がたつ。この間、被災地に入った写真家や映像作家には、ヒロシマに向き合った経験の深い人もいる。時空をまたいで眼前にある被災の姿、「3・11後」をどう伝えるか。自作の1カットを挙げて語ってもらった。

 きれいでしょう、冬枯れの林。雪化粧の丘を背に、民家があって、谷川が流れて。これが昨年の正月です。4月末にも撮りましたが、家の前の桜が満開。きれいですよ、白い桜と、赤い枝垂れ桜。

 住みたくなる風景ですが、この辺りの民家は皆、無人です。自然と人間との関係が壊れてしまった。放射能の除染にどれくらいかかるか、見当がつかない。家の周りだけ除染してもねえ。

 福島県浪江町津島、国道114号線沿いの風景。カメラのそば(地上約1メートル)に構えた線量計は毎時6・28マイクロシーベルトを表示した。環境省は、同0・23マイクロシーベルト以上の地域を除染計画の対象としている
 個人で計った参考値だけど、高いよね。4月末で毎時3・16マイクロシーベルトだった。6月に行った時は、手前で通行止めになっていました。幹線道だから通していたけど、そうも言っていられないと判断したんでしょう。

 震災から2カ月余り後、初めて撮影に入った
 以後、2、3カ月おきに通っています。東京から新幹線に乗って福島駅か郡山駅で降り、レンタカーで福島県内あちこちを回る。

 最初は入れるぎりぎりの線、原発から20キロの円上の風景を撮って回った。「20キロ圏の意味のなさ」が撮れたらと考えたんだが、そんな思いとは無関係にね、6月の新緑がものすごくきれいだった。

 この見事な自然が放射能に汚染された。立ち入れない、立ち入るべきではない状態になって、いっそう美しい風景に見えてきた。今まで、その美しさに気付いていなかった。方針を変え、それを定点観測で撮ることにしました。日本らしい、劇的な四季の変化とともにね。

 人の手が入らなくなった水田に、もう竹が生えてきたりしている。自然が人間の世界を侵食する、それも撮りたいと思っています。

 定点観測の手法は、ヒロシマをテーマにした撮影で経験があった
 高いビルが増えていく、広島の街の変遷を追ったシリーズ「ヒロシマ・モニュメント」などがあります。震災直後、テレビやネットで流れる映像に圧倒されて体が動かなかったんですが、ヒロシマをライフワークにしてきたことが、フクシマへ向かわせた。

 フクシマは、目に見える破壊でなくても、ものすごいカタストロフ(破滅的変化)。写真でどう伝えられるか、重大な挑戦だと感じています。

 今撮っている福島の風景は、日本の風景の典型としても見てもらえると思う。自分の古里の裏山のように。自分に引き寄せてフクシマを考える力になれたらと願っています。

 年齢的にあと何年撮れるか分からないけれど、まだ入り口。50年、100年、あるいは1万年続くかもしれない惨事を、1年、2年、3年と追っていきます。私たちはどんな文明を生きているのか、自覚できるように。(聞き手は道面雅量)

つちだ・ひろみ
 1939年福井県生まれ。写真集に「ヒロシマ・コレクション」「BERLIN」など。2008年、土門拳賞。東京都在住。

(2014年3月11日朝刊掲載)

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