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連載・特集

トホホ福島日記 終わらぬ除染 異常な光景 原発事故から3年のフクシマ

 福島市で高校美術教師を務める赤城修司さん(46)が、福島第1原発事故後のフクシマを漫画とエッセーで伝える「トホホ福島日記」。本紙朝刊くらし面で昨年3月まで計15回連載してきました。原発事故から3年―。赤城さんから16回目の報告です。

 避難地域で誰もいなくなった村の話ではない。今も毎日人々が変わりなく暮らす、人口28万人余りの県庁所在地、福島市の話である。

 学校の除染が最初だった。2011年の6月にそれを見た。校庭に巨大な穴が掘られた。次に公園など公共性の高い場所が、そして線量の高い地区の住宅が除染されていった。

 汚染土は引き受け手がない。人口密集地の福島市は場所がなく、学校も住宅も「その場所で仮置き」が原則である。自宅の庭に穴を掘って埋めるが、水や木の根、パイプがあり埋められないときは、汚染されていない土とブルーシートで汚染土を覆って地上に置く。「中間処理施設が決まるまで」だそうだ。

 いま福島市は、住宅・事業所約9万5千件の約30%(2月1日現在)の除染が終わり、残りにあと2年半ほどかかるという。

 除染が済んだ地区を歩くと、すべての家に、埋めた跡かブルーシートの山があるわけである。僕は目の前の光景が、歴史的に異常な場面に見えて仕方がない。

 しかし、多くの会社員や学生は、早朝から遅くまで真面目に努力しており、朝9時から夕方5時までの作業を目にする機会がほとんどない。さらにそれらは「見たくない」現実なのかもしれない。学生の頃、写真の先生が言っていた。「人は自分の見たいものだけを見ている」

 「除染について、周囲の反応はどうなんだ?」と遠くの人に聞かれることがある。「反応は特にない。会話にも上がらない」と答えている。僕の周囲で、除染のことが日常会話に上がることはほとんどない。

 家族が避難している福島県会津若松市の自宅に帰宅するといつものように、妻と中学1年と小学4年の娘が、東京で作られたバラエティー番組を見て笑っている。なにごともなかったかのように。

 「自分だけ感覚がおかしいのだろうか」と思いながら、僕は今もできるだけ福島市内の光景を写真に撮り続けている。これらが歴史的な資料になるのではないか、そう思って記録している。

HPにも掲載

 トホホ福島日記の1~15回は、ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトの「連載・特集」コーナーの「2013年」に掲載しています。日本語版と英語版があります。アドレスは次の通り。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/

写真でも発信 尾道で展示会

 赤城さんの写真展「路傍の土」が、尾道市土堂の「やまねこカフェ」、同市久保のレストラン「BISOU(ビズー)」で開かれている。それぞれ、赤城さんが福島市内で撮影した除染風景など3・11から3年を追う約30点を展示している。30日まで。尾道市立中央図書館でも4月2~13日、約130点を紹介する。いずれも無料。主催はCDショップ「れいこう堂」。Tel090(1336)4757=信恵(のぶえ)さん。

(2014年3月12日朝刊掲載)

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