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連載・特集

遠き古里 ビキニ水爆実験60年 <中> 希望と不安 文化伝承 除染は限定的

 ビキニ水爆実験の被害者を追悼する太平洋・マーシャル諸島の政府主催の式典があった1日。ロンゲラップ環礁出身の女性グループが、首都マジュロ中心部にあるデラップ公園に姿を見せた。正装ムームーに身を包み、陽気な音楽に合わせて伝統のダンスを披露した。

 残留放射線の影響に苦しみ、ロンゲラップの全島民が古里を離れたのは1985年。既に29年がたっているものの、グループの一人、元上院議員アバッカ・マディソンさん(47)が「私たちの文化は、私たちの人生。冠婚葬祭では、土地に根ざした生活の心得や価値観を伝えるようにしているの」と教えてくれた。

 ロンゲラップの元島民や子孫は、マジュロやメジャト島、米軍基地の仕事があるイバイ島に数百人ずつが分かれて住んでいる。親類宅を長期間にわたり泊まり歩く風習があるため、自治体も正確な人数を把握していないのが現状だ。

 マジュロに住む大学1年ベルーシナ・カリーさん(22)は祖父がロンゲラップ出身。「古里に誇りを持っている」と強調する一方、「生活基盤はマジュロだし、古里はお店もない。短期滞在ならいいけど…」と言葉を濁した。訪れたことのない古里に愛着を抱き、伝統や文化をつなぐのはたやすくないようだ。

 放射性降下物「死の灰」を浴びた元島民の心情は、なお複雑だ。髪の毛が抜けるなどの体験をしたネルジェ・ジョセフさん(66)は「美しい古里の島に帰るのは長年の夢。マーシャルの伝統に従い、生まれた土地で死に、埋めてほしい」と訴えた。ところが、今は帰島しないと決めている。「子や孫のことを一番に考えようというのが結論。安全が保障されていない」

 ジョセフさんたちには苦い記憶がある。被曝(ひばく)の3年後、米国の安全宣言を信じて戻ったものの、がんや異常妊娠に苦しんだ。ジョセフさんも2回流産したという。

 ロンゲラップ自治体の進める再定住計画で、土壌を除去する区域は住居エリアだけ。島全体の約6%しかなく、不安に思う元島民は少なくない。

 水爆実験から60年の節目に、2月末から3月にかけて日本原水協はマジュロで元島民を対象にした健康相談をした。今すぐにロンゲラップ島に「帰りたい」と答えたのは30人中3人。20人が「帰らない」とし、うち15人が「残留放射線が怖い」と答えた。

 原水協とは別に元島民の聞き取り調査をした福島市のフリージャーナリスト藍原寛子さん(46)は言う。「安易に比較はできないが、目に見えない放射線への不安は共通している」と、福島第1原発事故の被災者に思いをはせた。(藤村潤平)

ロンゲラップ環礁
 太平洋・マーシャル諸島にある29環礁のうち、ロンゲラップ島を中心とした環礁。米国による1954年3月1日の水爆実験で、島民86人(胎児4人を含む)が大量の放射性降下物「死の灰」を浴びた。島民は2日後、米艦船で避難した。米国が57年に「安全宣言」を出し、多くは帰島。しかし、がんの発症や異常妊娠が相次いだため、85年に全住民325人が島を離れ、南方約200キロの無人島メジャトに移った。

(2014年3月16日朝刊掲載)

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