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遠き古里 ビキニ水爆実験60年 <下> 償いを求めて ヒロシマとの連帯期待

 太平洋・マーシャル諸島の首都マジュロにある核被害補償裁判所の事務所。「基金が底を突いた。今はパートの職員が過去の書類をスキャナーで読み込む作業をしているだけだよ」。雑然と積まれた資料の中で、元スタッフで米国人のビル・グレアムさん(67)が悔しそうに語った。

 この裁判所は、米国の水爆実験によるがんや白血病といった健康被害や土地などの財産の損害を認定し、補償金を支給する機関。米国の信託統治領だったマーシャル諸島が1986年に独立した際、米国が出した1億5千万ドル(当時のレートで約240億円)を基金として運用してきた。基金が枯渇した2009年、活動は事実上ストップした。

 事務所が機能停止しても被害を訴える申請は絶えなかった。マーシャル諸島政府が調査を要請した国連人権理事会は12年9月、米国に事実上の追加補償を促す特別報告書を公表した。ところが米国は従わず、手詰まり状態が続いている。

 降り注いだ「死の灰」による残留放射線のため、島民全員が離れたロンゲラップ環礁。地元選出のケネス・ケディ上院議員(42)は「私たちは負の遺産と今も闘っている。米政府は責任を十分果たしていない」。さらなる土壌の除染やインフラ整備なしに悲願の帰島は実現しない、と憤る。

 ケディ氏は、米ネバダ州での核実験で周辺住民に支払われた補償金がマーシャルの約15倍に上ると指摘。米政府が追加の補償に応じない場合は「核実験に関わった企業や研究機関を米国内で提訴する」と長期戦も見据える。

 太平洋の小さな島国が、米国という超大国に求める核被害への償い。水爆実験から60年を迎えた今も展望が見えない中、マーシャル諸島政府ナンバー3のトニー・デブラム大統領補佐大臣(69)は訴える。「核被害を受けた者同士が声を一つにして、大きな力を発揮できないだろうか」

 その視線は広島に向けられている。2月に来日したロヤック大統領は、本人の意向で初めて広島を公式訪問し、被爆地との連帯を訴えた。

 マーシャル諸島で米国の原水爆実験が始まったのは、広島への原爆投下から11カ月後の1946年7月1日。58年までに計67回の実験が繰り返された。太平洋を挟み、約4千キロ離れた広島とマーシャル諸島は、米国の核開発史の中で実はつながっている。

 日本平和学会の分科会「グローバルヒバクシャ」共同代表の竹峰誠一郎明星大准教授(37)は「マーシャルの核被害は世界的には無名で、忘れられかねない。知名度が高いヒロシマこそが、核被害地の連帯の先頭に立ち、代弁者であってほしい」と期待を込める。(藤村潤平)

マーシャル諸島の核被害への補償
 マーシャル諸島政府は米国の信託統治領からの独立に当たり、自由連合協定を締結。米国に軍事や安全保障の権限を与える一方、経済援助や核実験被害補償1億5千万ドルを得た。これを元手に基金を創設し、医療給付や米国が被曝(ひばく)を認めた4環礁の財産補償などを賄った。2003年の協定改定に際し、マーシャル諸島は米国に追加補償を求めたが、盛り込まれなかった。これとは別に、ロンゲラップ環礁自治体は米国と直接交渉し、1996年に再定住などのための資金4500万ドルを得ている。

(2014年3月17日朝刊掲載)

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