×

連載・特集

海自呉地方隊60年 第2部 時代の目撃者 <2> 創設期(1954~58年) 自衛隊発足 国産艦を配備

 海上自衛隊呉地方隊呉地方総監部の開庁式典は1954年10月1日だった。保安庁警備隊呉地方基地隊を母体に発足して3カ月。明治時代から終戦の年の11月まで「海軍さん」と共に歩んだ街は、祝賀ムードに包まれた。

 保安庁時代の主要な任務「人命と財産の保護」は「侵略からの防衛」へと変わった。旧海軍出身で自衛隊員となった志満巖さん(92)=呉市中通=は「旧軍港に再び拠点ができるのは喜びだった。隊の規模が小さく、どうなるのかとは思ったが」と当時を振り返る。

 終戦から9年、海自隊は米軍の艦船を活用せざるを得なかった。日米艦艇貸与協定に基づき53年、米から保安庁に艦船が順次貸与された。フリゲート艦18隻と上陸支援艇50隻。呉地方隊は、そのうち上陸支援艇8隻を引き継ぎ二つの警戒隊を編成、海上警備の主力とした。

 呉地方隊とは別部隊所属で呉基地を母港とする艦船もあり、同基地全体では46隻でのスタートだった。中には旧海軍時代の艦船もあった。

 「新造艦の完成まで時間がかかる。友好国として米海軍の兵器の様式を取り入れる必要もあった」とは、大和ミュージアム(呉市宝町)の相原謙次副館長(59)の見方だ。

 程なく国産艦建造が再開。呉基地の組織再編も進み、56年3月に警備艦いなづまが配備された。続くあけぼの、いかづちの計3艦で第7護衛隊を編成。艦船数は増え続け、58年には100隻を超えるなど陣容を整えていった。(小島正和)

新しい歴史を 使命感支え

煙崎伸樹さん(78)=呉市三条

 保安庁警備隊横須賀地方総監部(神奈川県横須賀市)に所属していたんだが、海上自衛隊が発足した1954年7月に呉基地に転属になった。自衛隊に替わったという感慨はさほどなかった。任務は同じだったからね。

 米国から貸与されたフリゲート艦まつで信号員をした。呉に同月に配備されたんだ。お下がりだから古かったよ。艦橋には屋根がない。海上での訓練中、雨が降れば天幕を張っていた。それでも、びしょぬれになる。とにかく寒かった。

 装備は十分とはいえなかった。しかし強い使命感が支えになっていた。日本を守る組織を背負って立つんだ、新しい歴史をわれわれがつくるんだと言ってね。

 発足して間もないから大量の人員が必要だったのだろう。旧海軍出身者も多かった。豪快な人が多く、「けんかは負けて帰ってくるな」なんて怒られた。

 残念ながら、10月1日の総監部開庁式のことは記憶にない。海軍のまちだから、自衛隊に対する市民感情は良かった。市内の下宿先では、週末になるとごちそうが出た。

 3年後の57年、国産初の警備艦いなづま配属となった。呉から横須賀基地に行くことが多く、対潜水艦戦や対空戦の訓練を繰り返した。

 いなづまはまつよりも格段に速く、乗っていて誇らしかった。国産艦の時代になった。日本も一歩自立したんだな、としみじみ感じた。

(2014年4月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ