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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 10月 ①


1995/10/1
「原爆ドーム世界遺産化展」が、広島市の原爆資料館で始まる。写真や新聞記事100点を展示
1995/10/1
米紙ニューヨーク・タイムズが、北朝鮮が朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の軽水炉提供交渉で道路や送電線など5億ドル以上の付帯施設費用を要求と報道
1995/10/1
核保有5カ国と日本など9カ国が、核兵器解体による分離プルトニウム保有量を100キロ単位、原発の使用済み燃料に含まれるプルトニウムは1トン単位で毎年報告することで合意。米政府筋が明らかに
1995/10/1
マカリー米報道官が、仏核実験について「米国はこの行動を遺憾に思う」との声明を発表
1995/10/1
仏が午後2時半(日本時間2日午前8時半)、南太平洋仏領ポリネシアのファンガタウファ環礁で再開2回目の核実験。爆発規模は前回の5・5倍110キロトン以下。仏国防省は「兵器の安全性と信頼性を保証するための実験」と発表。政庁所在地タヒチ島パペーテは日曜日で市街地も閑散。ニュージーランド地質核科学研究所の観測では規模はマグニチュード5・9
1995/10/2
マカリー米報道官が、仏核実験地のファンガタウファ環礁で抗議活動をしていた米船籍の船に仏特殊部隊が突入した事件について「関係者の自制を促したい」と批判
1995/10/2
北朝鮮が、米朝合意に基づく約45億ドルの軽水炉2基供与に加えて、送電線網建設など10億ドル規模の付帯工事支援を要求し、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)側と対立。米政府筋が明らかに
1995/10/2
グリーンピースが、シラク仏大統領の11月の米国公式訪問の招待取り消しを米政府に求めると声明 1995/10/2
国連軍縮フェローシップ計画の参加者で各国の若手外交官ら31人が広島市の原爆資料館を見学
1995/10/2
中国電力島根原発の耐震性についての国、中電の審査経過で、島根県が「1、2号機とも阪神大震災級の地震にも大丈夫」と県議会環境厚生委員会に報告
1995/10/2
福井県今立町が原発事故で放出される放射性物質による甲状腺(せん)障害を防ぐため、住民にヨウ素剤の配備を決める。原発の立地、準立地でない自治体の独自配備は初めて
1995/10/2
オーストラリアやニュージーランドなど16カ国・地域で構成する南太平洋諸国会議(SPF)の議長国パプアニューギニアのチャン首相が、国連の一般演説で「会議は仏とのすべての対話を停止した」と、関係停止を公表
1995/10/2
仏核実験に、欧州連合(EU)の定例外相理事会でスウェーデンなどEU各国外相から「極めて失望している」と不満の声
1995/10/2
広島県原水協など9団体が、広島市の原爆慰霊碑前で抗議の座り込み
1995/10/2
広島県原水禁など10団体でつくる「フランス・中国の核実験中止を求めるヒロシマ連絡会議」が広島市中区のデパート前で、仏核実験の抗議ビラを配布
1995/10/2
「ヒロシマ平和・リボンの会」(渡辺美代子代表)が仏核実験に抗議し、広島市の平和記念公園で修学旅行生らとともに平和のリボンを連ねる
1995/10/2
河野洋平外相が仏核実験を受けて記者会見。「日本の主張を2国間の場で伝えるだけでは解決しない」と述べ、波多野敬雄前国連大使を首相特使として国連に派遣して核実験停止の決議採択の働き掛けへ。武村正義蔵相(新党さきがけ代表)は松浦晃駐仏大使の召還を主張
1995/10/2
長崎市の伊藤一長市長が仏核実験抗議文を在日仏大使館に送付、インターネットでも流す。北海道、神奈川、埼玉、島根、佐賀県知事らも抗議文・コメントを発表。埼玉、岩手両県は仏製の防災用ヘリコプターの購入・選定中止を決める
1995/10/2
広島市の平岡敬市長が仏核実験に対し、市役所で緊急記者会見して「歴史の流れに逆行する暴挙」と強く非難。「世界最初の被爆都市広島の市民を代表し、怒りを込めて抗議する」との抗議文をウーブリュー駐日大使に送付
1995/10/2
ジュペ仏首相が「環境的に問題ない。今後も核実験を続行する」と記者会見
1995/10/3
広島の被爆者団体や平和団体など11団体でつくる「核実験中止広島緊急行動委員会」が原爆慰霊碑前で、仏核実験に抗議して初の合同座り込み
1995/10/3
愛知県豊川高校の「平和自転車隊」の9人が、広島市の平和記念公園から豊川市に向けて約600キロ走破の旅に出発
1995/10/3
社会党の久保亘書記長と新党さきがけの武村正義代表(蔵相)ら両党幹部の政策協議会で、仏核実験中止を求めて3与党の代表団派遣で合意
1995/10/3
中国新聞が仏核実験をめぐる緊急市民アンケートを実施。回答者50人。96%が「核実験は許せない」と答え、不買運動には24%が協力
1995/10/3
東京都議会の都市問題調査団が中国・大連と仏・パリの訪問中止が明らかに
1995/10/3
社会党系の福岡県平和運動センター(32単産、約8万人)が仏製品の不買と仏への渡航自粛を決める
1995/10/3
東北電力が建設を計画する巻原発の地元、新潟県巻町議会が全国で初めて原発立地の賛否を問う住民投票の実施を先送りする条例改正案を可決
1995/10/3
広島弁護士会(新田義和会長)が、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に広島、長崎両市長の証人採用。裁判官の広島訪問、調査-などの要望書提出を決める
1995/10/3
南太平洋フィージーの野党、国民連合のジェイ・ラム・レディ党首らが広島市の原爆資料館を視察。「われわれの国は小さいが、仏など核保有国がこの恐ろしい核兵器を廃絶するよう訴えていきたい」と述べる
1995/10/3
世界初の原爆実験地がある米ニューメキシコ州のアルバカーキ市の芸術家組合(約400人)が「加害、被害の違いを超えて核兵器廃絶を」と、会員のローリー・グランボイスさんの彫刻「母なる大地の使者」を広島市の原爆資料館に寄贈へ
1995/10/3
グリーンピースが仏核実験に抗議し、駐ニュージーランドのジャック・ルブラン仏大使公邸の門を鎖で封鎖
1995/10/3
米とカザフスタンが、地下核実験用トンネルで世界最大規模のカザフスタン領内デジェレン山の施設封鎖の協力協定に調印
1995/10/3
仏ルモンド紙が、仏軍作製の1980年の地図で核実験地ムルロア環礁の火山周辺で多数の亀裂が発生していたと報道。仏国防省は「地図は偽物」と否定
1995/10/3
放射線の人体実験に関する米大統領の諮問委員会が、推定被験者は1944年らら74年ごろにかけ約4千件、数万人との報告書をまとめる。クリントン大統領は被害者への謝罪と補償内容の検討をエネルギー省などに指示
1995/10/4
自民、社会、新党さきがけの政府与党が仏核実験に抗議し、3役クラスの抗議代表団の派遣を決定 1995/10/4
動力炉・核燃料開発事業団と電力会社などが1993年度から3年計画で進める核燃料用の新型ウラン濃縮機の共同開発が、試運転不足で1年延長に
1995/10/4
ラトビア医学アカデミー職業医学研究所のマイヤ・エグリーテ所長が、広島県などの放射線被曝者医療国際協力推進協議会の招きで来広し、1カ月の研修へ
1995/10/4
広島市が、世界遺産リストに推薦された原爆ドーム周辺、平和記念公園を含む42・7ヘクタールの「美観形成」基準制定に向け、初の地元説明会
1995/10/4
仏核実験に抗議し、広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の被爆者ら約80人が広島市の原爆慰霊碑前で座り込み。平和学習で訪れた広島県内の小・中学生約20人も飛び入り参加
1995/10/4
広島の子どもたちの平和グループ「サダコ・クラブ・ヒロシマ」がシラク仏大統領にあてた核実験抗議の手紙に返信が届く。「核実験は平和のために不可欠」と強調
1995/10/5
仏シラク大統領の支持率が、日刊紙フィガロの調査で9月より13ポイント低下し41%に、不支持率は13ポイント上昇して57%に。南太平洋での核実験強行や歳出削減政策が背景
1995/10/5
韓国の国防委員会で、民主党の姜昌成議員が「1978年に朴正煕大統領から核兵器を開発中で、95%程度成功の可能性がある」と語る
1995/10/5
広島県議会が中国と仏の核実験に抗議し、核実験の即時停止と核兵器廃絶の早期実現を求める決議を全会一致で可決。中国・四川省に建設予定の「広島・四川友好会館」の建設資金提供は認める
1995/10/5
超党派の日仏友好議連幹部がウーブリュー駐日大使に核実験中止の申し入れ。大使は「日本も米の核の傘の下にある」と反論
1995/10/5
ニュージーランド郵政局が仏核実験に抗議して発行した記念切手が国内でも販売。女性の右目に青い地球、口元に緑のピースマークの図柄
1995/10/6
中国電力島根原発(島根県八束郡鹿島町)に核燃料が輸送され、反原発グループが「使用済み核燃料はフランスで再処理され、最終的に核兵器になる」と抗議行動を展開
1995/10/6
「広島県『黒い雨・自宅介護等』原爆被害者の会連絡協議会」(村上経行事務局長)が、原爆投下直後に降った「黒い雨」の指定地域拡大を求めて厚生省に5,390人の署名を添えた陳情書を提出
1995/10/6
南アフリカのヌゾ外相が国連総会で、中国と仏核実験は核拡散防止条約(NPT)が定めた核軍縮の原則に反すると演説
1995/10/7
中国の最高実力者〓小平氏の3女で中国国際友好連絡会副会長の蕭榕さんが、長崎市で講演し「政府間無償援助の中止は同調できない」と、中国の核実験に対する日本政府の措置を批判(〓ト・ショウヘイのトは「登」の右に「おおざと」の字)
1995/10/7
中国・四川省の雅安市を訪れた三次市雅安友好訪問団(団長・大坪義和助役)が、「今後核実験をすることなく核兵器廃絶の先導的役割を果たされるよう中央政府に要請してほしい」との福岡義登市長の抗議親書を手渡す
1995/10/7
仏領ポリネシア・タヒチ島の核実験抗議集会に参加した呉市の竹村奈緒美さんが、呉YWCAで「タヒチ住民に対する人権感覚の欠如が核実験強行を支えている」と仏の統治政策を紹介
1995/10/9
広島市が、世界平和連帯都市市長会議(会長・平岡敬広島市長)が7月にシラク仏大統領あてに出した核実験再開抗議文への返書を公表。大統領は「一連の核実験終了をもって1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)に加盟できる」と従来の立場を主張
1995/10/9
仏核実験の中止を要請する与党3党の代表団(座長・千葉景子社会党副委員長)がパリに向け出発
1995/10/9
被爆者調査の半世紀をテーマにした米での国際シンポジウムで、広島赤十字・原爆病院の土肥博雄第4内科部長が「(放影研の前身)原爆傷害調査委員会(ABCC)と被爆者の関係がいつも理想的だったわけではない」と異例のあいさつ
1995/10/9
スリランカ、ミャンマー、カンボジア、チベット、韓国の五カ国の僧侶ら約200人が、広島市の平和記念公園で世界平和祈願と原爆犠牲者の供養
1995/10/9
広島大平和科学研究センター(松尾雅嗣センター長)の創設20周年記念シンポジウム「21世紀の平和学と広島の貢献」が、広島市の広島国際会議場で開かれる
1995/10/9
広島県世羅郡世羅町の県立世羅高校3年生有志が、仏核実験抗議の署名集めを始める
1995/10/9
広島市の旧陸軍幼年学校の同期生43人が、庄原市にある被爆死した級友の慰霊碑に参拝
1995/10/10
中国放送(RCC)が、被爆者で児童文学作家の那須正幹さんの半生を追ったドキュメンタリー「ヒロシマ 50年の軌跡」を放映
1995/10/10
福山市春日町の培遠中学校2年生120人が空き缶を利用して原爆ドームの壁画を制作、文化祭で披露
1995/10/10
米政府が、核兵器の小型化に必要なトリチウム(三重水素)を生産する方法として検討していた専用原子炉の建設を断念し、今後既存の商業炉、あるいは新設の粒子加速器を利用する方法を検討へ
1995/10/11
友好都市の中国・四川省の都江堰市を訪問していた大竹市の豊田伊久雄市長が帰国会見で、都江堰市の載興泉市長に核廃絶を訴えたと公表
1995/10/11
広島の子供たちでつくる「サダコ・クラブ・ヒロシマ」(事務局・広島平和教育研究所)が、シラク仏大統領あての約26,600人の核実験抗議署名と、村山首相や土井衆院議長あての要請文を発送
1995/10/11
広島県立福山北養護学校(宮田治夫校長、68人)高等部2年生の7人が、自分たちで育てた被爆アオギリの2世を広島市の長性院(塩野久光住職)に植樹
1995/10/11
山口地裁岩国支部は、中国電力が山口県熊毛郡上関町の原発予定地沖の海域で進めている立地環境調査について、原発に反対する祝島漁協(山戸貞夫組合長、正組合員121人)が求めていた調査差し止めの仮処分申請を却下
1995/10/11
広島在住の児童文学者5人による「平和を語り継ぐ」講座(日本児童文学者協会広島支部主催)が始まる
1995/10/11
大相撲パリ公演のため、パリを訪れている日本相撲協会の出羽海理事長は、シラク仏大統領に核実験の中止を要望
1995/10/11
島根県職労(勝部洋一委員長、5,400人)は、中国と仏核実験に抗議し、県内10支部のうち7支部が昼休み時間に一斉座り込み
1995/10/11
軍事情報専門紙TTUは、シラク仏大統領が核弾頭を搭載した長距離巡航ミサイルの開発に着手すると報道
1995/10/11
宇部市の市民グループ「ドゥルージバ」(石川悦子代表)が招いた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の被曝(ばく)児童が、宇部市の藤田忠夫市長を表敬訪問
1995/10/11
韓国の週刊誌、時事ジャーナルが、韓国の現役軍人の約97%が韓国の核開発を肯定し、約66%が南北統一後の仮想敵国を日本と考えているとのアンケート結果を報道
1995/10/11
仏紙ウエスト・フランスが、仏核実験の行われている南太平洋のムルロア環礁、核実験によるとみられる巨大な亀裂が走っている写真を掲載
1995/10/11
欧州連合(EU)のサンテール欧州委員長が、欧州議会で仏政府あてに南太平洋での核実験に関する新たなデータの提出を求める書簡を12日に送り、EUとして司法手続きを開始するかどうかを23日に検討すると発言
1995/10/12
核実験中止を仏政府に求める与党合同代表団(座長・千葉景子社会党副委員長)が、シラク仏大統領との会談を果たせずに帰国
1995/10/12
仏核実験に反対し、核兵器廃絶と核実験中止を求めて、「10フィート映画を上映する下関市民の会」(赤司瞭雄代表)のメンバー70人が、下関市役所の非核平和都市宣言塔前で座り込み
1995/10/12
米民間の非核環境団体「天然資源保護協会」(NRDC)が、米軍の核弾頭が米国内16州と欧州7カ国の計32基地に約9,000個配備されているとの調査結果を公表
1995/10/12
のドシャレット仏外相が、南太平洋での核実験は予定の来年5月末を待たずに終了するとの可能性を示唆
1995/10/12
英国の人気画家グラハム・クラークさんが、広島市の広島赤十字・原爆病院(冨重守院長)を訪れ、自作の水彩画「平和の鳩(はと)」を寄贈
1995/10/12
広島市の三菱重工業で被爆した韓国人元徴用工の韓国・平沢郡朴昌煥さん(72)ら8人が、国と三菱重工業を相手に、未払い賃金の支払いなどを11月にも起こすことになり、支援の市民グループが広島市東区内の会合で、弁護団の結成などを決定
1995/10/13
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の理事会が、米ニューヨークであり、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との交渉を前に日本、米国、韓国の三国の立場を調整
1995/10/13
ノルウェーのノーベル賞委員会が、科学者の立場から核兵器廃絶を目指してきた国際組織「パグウォッシュ会議」(本部・ロンドン)と、会議創設者の1人で英国人のジョセフ・ロートブラット会長(86)にノーベル平和賞を授与すると発表
1995/10/13
今年のノーベル平和賞受賞が決まったパグウォッシュ会議のジョゼフ・ロートブラッド会長が、インタビューに「シラク大統領は世界の反核感情を認め、誤りを正すべきだ」と発言
1995/10/13
仏外務省スポークスマンは、仏核実験問題との関連には触れず、「パグウォッシュ会議にノーベル平和賞が授与されることを祝う」と発言
1995/10/13
全国原爆被爆教職員の会の石田明会長が、東京港区の仏大使館を訪れ、核実験に反対する子供たちが集めたシラク大統領あての抗議署名を提出
1995/10/13
中国弁護士大会が松江市で開かれ、中国、仏の核実験即時中止とオランダ・ハーグにある国際司法裁判所に対し、核兵器を国際法違反とする「勧告的意見」を求めることを決議
1995/10/13
平岡敬広島市長が会長を務める世界平和連帯都市市長会議の理事会出席のため、ロシア・ボルゴグラードに向け、広島市を出発
1995/10/13
島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)の耐震安全性について、中国電力は「1、2号機とも余裕を持った耐震安全性が確保されている」と島根県と鹿島町に回答
1995/10/13
広島県山県郡加計町観光協会(二宮邦夫会長)が、仏核実験に抗議して呼び掛けた「黒い千羽づる」が1万羽集まり、在日仏大使館に持参
1995/10/13
村山富市首相が22日、ニューヨークの国連50周年記念総会特別会合で行う演説の骨子固まる。包括的核実験禁止条約(CTBT)早期締結などを主張
1995/10/14
広島県賀茂郡大和町が、町内の中国・四川省内江市雑技団公演で、核実験中止を求める要望書を雑技団団長に手渡す
1995/10/14
原爆被災から今日までのヒロシマの軌跡と市民復興の歩みを中国新聞の記事と写真などでつづる「原爆・平和報道50年展」(中国新聞主催)が、広島市中区の中国新聞ビルで始まる
1995/10/14
放射線被曝者医療国際協力推進協議会(重松逸造会長)が、広島市の広島国際会議場で被爆50周年国際シンポジウムを開催
1995/10/14
戦後50年を記念して、島根県が松江市の県民会館で平和を考える集いを開催
1995/10/15
仏軍の潜水艦基地ロンゲ島に近いブルターニュ半島のルフレで核実験に抗議するデモがあり、環境保護団体メンバーら8,000人以上が参加
1995/10/15
中国新聞社主催の「原爆・平和報道50年展」で15日、広島で被爆死した少女をテーマにした映画「夏少女」の特別試写会と、脚本を書いた早坂暁さんの講演会を開く
1995/10/15
財団法人・政策科学研究所地層処分研究会のメンバーの天沼〓元名古屋大教授が今春、原子力委員会などに提出した同研究会報告書で「原発から出る高レベル廃棄物は数百から1,000年、地上か地下の施設で冷却保存を考えるべき」と提言していることがわかる(〓はにんべんに京)
1995/10/16
ロシア南部のボルゴグラード市で「世界平和連帯都市市長会議」の理事会会合が始まる
1995/10/16
米誌「USニューズ・アンド・ワールドリポート」が、1993年にリトアニアで差し押さえられた放射性物質ベリリウムはモスクワから密輸されたもので、背後にはロシアのマフィア組織が関与と報道
1995/10/16
広島県内の小、中学生の反核平和グループ「サダコ・クラブ・ヒロシマ」会長の世羅郡世羅町、世羅中二年田丸尚絵さん(14)が、東京都内の衆院議長公邸で土井たか子議長に面会し、仏核実験への反対行動を要請
1995/10/16
岩国地域労連や岩国平和委員会などによる「アメリカ軍の横暴に抗議し、フランス・中国の核実験に反対する」緊急岩国集会が、岩国市で開かれ、約100人が参加
1995/10/16
広島市の被爆者保養施設「神田山荘」が掘り当てた温泉の成分分析検査で、湯温が36・6度あることなどがわかる
1995/10/16
仏クレルモンフェラン大の火山学者ピエール・ヴァンサン教授が、欧州議会の公聴会で「ムルロアの火山は不安定」なので海底で地滑りが発生する可能性があると指摘。その結果に起こる津波で「ポリネシア全域が水没する可能性も」と警告
1995/10/16
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)と北朝鮮の軽水炉提供協定をめぐる全体協議が、ニューヨークで始まる。KEDO側が軽水炉に合わせて提供する付帯施設の範囲や北朝鮮からの資金償還問題を中心に協議
1995/10/17
第5回イベロアメリカ首脳会議は、仏・中国の核実験を非難する宣言を発表。「核実験は人類の健康、安全、環境を潜在的な危険にさらす」と指摘
1995/10/17
ロシア・ボルゴグラードで開催した世界平和連帯都市市長会議の理事会が、「核兵器使用の国際法違反を訴える決議」「核実験の即時停止を求める緊急アピール」を採択。決議文を国際司法裁判所に送付へ。1997年に広島・長崎両市で第4回総会開催を決定
1995/10/17
山口県熊毛郡上関町長島の沖で、中国電力の上関原発建設計画に伴う立地環境調査(流況調査)が始まる
1995/10/17
仏ワイン「ボジョレ・ヌーボー」の日本での消費量が核実験抗議の仏製品不買運動の影響で減少見込み。エールフランスの見込みでは日本への空輸量は400-500トンに半減
1995/10/17
ウクライナのチェルノブイリ原発は、8月から修理点検のため停止していた1号機の運転を再開。1986年、大事故を起こした4号機が閉鎖され、2号機は修理中、3号機は通常運転している。ウクライナ政府は閉鎖に伴う西側からの資金援助が少ないと閉鎖に消極的
1995/10/17
静岡市古庄の県立静岡農業高2年生約270人が修学旅行で広島を訪れ、中国新聞の「原爆・平和報道50年展」を見学
1995/10/17
日本医師会(村瀬敏郎会長)が、森井忠良厚相に核実験の即時中止を求める要望書を提出
1995/10/17
第48回新聞大会で中国新聞社の「ヒロシマ50年」報道が新聞協会賞・編集部門を受賞。特集「検証ヒロシマ1945|1995」、連載「核と人間」、インタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」の3部構成。9回目の受賞
1995/10/17
広島市が、原爆死没者追悼平和祈念館の建設について被爆者7団体の代表らを招いて説明会。三宅吉彦原爆被害対策部長が国の基本設計を説明。被爆者団体側は「もっと被爆者の意見を反映すべきだ」と指摘
1995/10/18
韓国原爆被害者協会などが今夏韓国で開いた「戦争と原爆展」が、広島市中区平野町、カレントコスモで始まる。写真パネル約80点や被爆資料など20点のほか、韓国人の感想文も展示
1995/10/18
仏、米、英の3カ国は、仏の南太平洋での一連の核実験終了後、南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)への加盟を計画している、と米政府当局者が言明
1995/10/18
日本社会党と仏社会党が、仏核実験に抗議し、実験中止を求める共同声明を発表。「連帯して実験再開決定を撤回させ、中止させるための努力をする」と表明
1995/10/18
中国・四国インターネット協議会の「AーBomb WWW Museum(原爆WWW資料館)」の利用件数が、延べ25万件を突破。7月25日以来、1日当たり約2,900件の利用。大場充広島市立大教授の呼び掛けで、約40人がボランティアで協力して開設
1995/10/18
ロシアのプリマコフ対外情報局長が、北大西洋条約機構(NATO)拡大問題で、新規加盟国への戦術核配備がロシアにとって重大な脅威になると発言
1995/10/18
原水爆禁止松江市民会議と松江地区労政協が、松江市の島根県庁前で中国、仏の核実験に抗議し座り込み
1995/10/19
仏訪問中の平岡敬・広島市長、伊藤一長・長崎市長が、仏上院のジェルマン・オティエ議員(社会党)を訪問。南太平洋で続けている核実験の中止を訴える
1995/10/19
仏訪問中の平岡敬・広島市長、伊藤一長・長崎市長が、仏外務省のブランシュメゾン・アジア局長を訪ね、シラク大統領あての連名の抗議文を手渡す。抗議文は「2回の実験強行は国際社会の信頼を裏切る暴挙」と非難
1995/10/19
「原爆の図」など反戦的・社会的主題の作品を数多く残した広島市安佐北区安佐町飯室出身の日本画家丸木位里氏が脳こうそくで死去。94歳。
1995/10/19
宮崎市在住の被爆者、図末渉さんが、広島市安佐北区倉掛3丁目の原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」に、冷凍真空パックにしたサツマ芋の焼き芋を贈る。被爆証人捜しで段原国民学校時代の友人と再開したのがきっかけ

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