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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 10月


1989/10/1
島根県飯石郡三刀屋町でローマ法王庁大司教のウィリアム・アクウィン・カルー駐日大使を迎え故永井隆博士の追悼ミサ。「永井隆記念館」も新装オープン
1989/10/2
ジュネーブで米ソ核実験制限・禁止交渉再開。中心議題は核実験の検証議定書作成
1989/10/2
日本被団協が被爆者援護法が制定された場合の費用は年間2,471億円と試算。1990年度被爆者対策概算要求額1,242億円の約2倍
1989/10/3
オーストラリア・ビクトリア州ギップスランドの児童、生徒、父母、教員の研修団42人が広島市の市立本川小を訪れ、交流と平和学習。広島市出身の日本語教師サチコ・フォーサイスさんが橋渡し
1989/10/3
長崎県被爆者手帳友の会が「長崎の鐘」のハワイ寄贈を当面中止。米海軍艦長が献花した花輪を被爆者が踏みつけた事件で米側の感情を考慮
1989/10/3
「デルタ・女の会」が広島平和文化センターにヒロシマ読本掲載の「中曽根句碑」の削除を申し入れ
1989/10/4
西尾邑次鳥取県知事が動力炉・核燃料開発事業団に同県東伯町のウラン残土の撤去を再要請
1989/10/4
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が1990年の創立10年を記念して国際平和証券を発行。2年間で1,000万ドルの寄付を募る。配当は「世界の平和」活動資金に
1989/10/4
広島県黒瀬町が「アウシュビッツ関係の遺品はすべてポーランドに返還」の方針決める。「ヒロシマ・アウシュビッツ委員会」からの寄贈分も含め181点
1989/10/4
開発途上国の若手外交官を中心にした国連軍縮フェローシップ25人が原爆資料館を見学
1989/10/4
ソ連週刊紙モスクワ・ニュースが1949年8月29日にセミパラチンスクで行われた最初のソ連原爆実験の秘話と国防省映画班撮影のキノコ雲と実験場の写真を公開。原爆製造を決意したスターリンは1942年末、開発責任者にクルチャトフ教授を指名。教授は43年3月、原爆開発の「第2研究所」所長に任命された。計画全体を取り仕切ったのはベリヤ内務人民委員。計画はすべて囚人の労働力を使って極秘に進められた。スターリンは最初の原爆用プルトニウムを手に「温かいな。いつも温かいのか」
1989/10/4
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。モスクワ放送が伝える
1989/10/5
荒木広島市長がソ連核実験に抗議文
1989/10/5
原爆被害者相談員の会(鈴木勉代表)が核戦争防止国際医師会議(IPPNW)用に、被爆者の苦しみを訴える英文冊子「HIBAKUSYA」を発刊
1989/10/5
ソ連カザフ共和国の反核グループ「ネバダ・セミパラチンスク運動」が、セミパラチンスクでの核実験をやめなければ炭鉱労働者がストライキ、と警告
1989/10/5
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が4日のソ連核実験に抗議の声明を広島市で発表
1989/10/5
米CNNテレビが、ニュース番組で、国連本部の展示中に紛失した被爆時計を返してと呼びかけ
1989/10/5
広島修道大が核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のバーナード・ラウン会長(米)とミハイル・クジン会長(ソ)の2人に名誉博士号の称号授与決める
1989/10/6
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が広島市で国際評議員会。韓国、パレスチナ、クウェート、エクアドル、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジュラス、モンゴルの8カ国・地域の新規加盟を承認。会議参加の医学生らは学生プログラムで原医研、放射線影響研究所、原爆養護ホームなどを見学
1989/10/7
4日のソ連核実験に抗議し、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み。IPPNW出席のカナダ、インドの医師らも加わる
1989/10/7
ソ連カザフ共和国、カザフ腫瘍学・放射線研究所のサイム・バルムハノフ科学副所長が、IPPNW広島大会会場で、セミパラチンスク周辺の核実験抗議の写真36枚を初公開
1989/10/7
荒木広島市長が、広島市を訪れたソ連のニコライ・ソロビヨフ大使に、ゴルバチョフ書記長が1991年、訪日する際に広島を訪れるよう要請
1989/10/7
岡山市で開いた中国弁護士大会で岡山県上斎原村の人形峠付近のウラン残土について「付近住民の健康調査や環境への影響などについて調査を求める」宣言
1989/10/7
「ノーモア・ヒロシマこの決意永遠に」をテーマに、海外75カ国1,300人、国内1,700人の医師が参加し核戦争防止国際医師会議(IPPNW)広島大会=第9回世界大会=が開幕。広島の被爆医師を代表し眼科医の大田萩枝さんがあいさつ。中島宏・世界保健機関(WHO)事務局長、スウェーデンのマイ・ブリット・テオリン軍縮大使、米のユージン・キャロル国防情報センター副所長、バーナード・ラウンIPPNW会長が記念講演。10日まで
1989/10/8
学習塾全国連絡協議会西日本ブロックが広島市で「平和教育と学習塾」をテーマのセミナー開く。声優の堀絢子さんが原爆をテーマにした一人芝居「朝ちゃん」を上演、「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」の江口保会長、詩人月下美紀さんらがパネルディスカッション
1989/10/8
IPPNW広島大会2日目。パルメ前スウェーデン首相未亡人リスベス・パルメさんが「核爆弾の道徳的・倫理的ジレンマとの対決」シンポジウムに参加。被爆医師の浜田忠雄、藤本泰男、児玉彊作、渡辺千代子、寄田享、渡辺甫、藤田雄二、小山綾夫の8氏が証言。米空母ミッドウェー元艦長のユージン・キャロル氏は「米海軍は一度搭載した核を他国に寄港するからといって、降ろしたりはしない」と発言。200人の医師が広島赤十字・原爆病院を視察
1989/10/9
IPPNW広島大会3日目。「放射線の犠牲者」シンポジウムで「世界のヒバクシャ」が証言。ソ連チェルノブイリ原発事故で消火活動に当たったキエフ地区消防庁のレオニード・テリャトニコフ副部長、韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長、英被曝退役軍人ケン・マッギンレイさん、グリーンランドの水爆搭載機墜落で放射能を浴びたデンマークのオール・マークセンさん、広島平和文化センターの高橋昭博事業部長。仏領ポリネシアのペニ・アトジェ第一副首相も核実験被害の調査を訴え。大会は核被害の解明のため「核兵器生産の人間の健康及び環境への影響国際調査委員会」の発足を決める
1989/10/9
中米グアテマラの作曲、指揮者のホルヘ・サルミエントスさんが原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1989/10/10
IPPNW広島大会に参加したソ連チェルノブイリ原発事故の消防士レオニード・テリャトニコフさん、英被曝退役軍人協会長ケン・マッギンレイさんの2人が放射線影響研究所で血液検査
1989/10/10
ソ連の反核団体「ネバダ・セミパラチンスク運動」のオルザス・スレイメノフ議長が、ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長、ヤゾフ国防相、米のチェイニー国防長官に電報を送り、ソ連が10月4日にセミパラチンスクで核実験をしたことに憂慮の念を表明
1989/10/10
1988年のアキバ・プロジェクト招請記者サンフランシスコ・クロニクル紙のカメラマン、フレデリック・ラーソンさんがカールトン・ブルート写真報道賞(写真エッセー部門)を受賞。対象作は広島、長崎で撮影した被爆者の写真「最後の生き証人」
1989/10/10
IPPNW広島大会が閉幕。核実験の即時停止、2000年までに軍事費の50%削減を求める「広島・長崎アピール」を採択
1989/10/11
高田勇長崎県知事がアマコスト駐日米大使を訪ね、9月16日の平和公園での花輪踏みつけ事件でおわび。「本島等長崎市長からもおわびを託された」
1989/10/11
IPPNW長崎大会が開幕。「平和は長崎から-長崎を最後の被爆地に」をテーマに33カ国約400人が参加。12日、平和公園で平和集会、全日程を終了
1989/10/12
米の「核時代社会心理問題センター」(本部ニューヨーク)が、被爆都市の市長として世界平和に貢献と本島等長崎市長に世界平和賞
1989/10/12
広島市の平和記念館が改修工事のため1990年3月末まで休館に
1989/10/13
核実験の度に大学のキャンパスに抗議の植樹をしようと広島修道大学の学生グループ「STOP」(高橋希奈代表)が発足
1989/10/14
被爆者援護法制定をめざし、東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が、東京で「被爆45年に被爆者援護法制定をめざすつどい」。500人が参加
1989/10/14
IPPNW広島大会を記念し富士山にバーナード・ラウンIPPNW会長らのメッセージを入れたカプセルを6カ国の医師が登山し埋める
1989/10/14
米のアニメ映画「サダコと千羽づる(SADAKO)」のプロデューサー、ジョージ・レベンソンさんが「原爆の子の像」を見学
1989/10/15
愛知県豊橋市の私立桜丘高校で福岡県星野村の原爆の火をともした「平和の塔」が完成。19日、塔のガラスが割られる
1989/10/15
1953年、映画「原爆の子」(新藤兼人監督)の第6回カンヌ映画祭への出品に米が圧力をかけ、受賞に外務省が妨害工作を試みたことが、外交文書公開で判明。しかし、大使館側は最終的には「政府が介入すればかえって世界の注目をひくだけ」と「現地代表をしてなんらの措置をとらずに見送らせることにした」と指示通りには動かず
1989/10/16
英、仏からの再処理プルトニウム海上輸送護衛問題で、海部首相らが衆院予算委員会で「自衛隊の護衛艦使用は考えていない」と発言。10月28日、海上保安庁の巡視船使用で決着
1989/10/16
東京・新宿区と広島原爆ドーム保存募金新宿区協力会が80万円を広島市に寄付
1989/10/17
今村昌平監督の映画「黒い雨」がフランス・マルティニ・エ・ロッシ社の第2回「マルティニ映画大賞」を受賞
1989/10/17
ジョン・グレン米上院議員が「ワシントン州ハンフォードと南カロライナ州サバンナリバーの両核施設の核廃棄物タンクに化学物質が混入し、爆発の危険」と上院軍事委員会公聴会で証言
1989/10/18
広島市出身の劇作家村井志摩子氏の新作「新・広島の女」の第1作「向日葵」が東京・新宿の全労済ホールで上演。宝塚歌劇団出身の真帆志ぶきさんと松竹歌劇団の高城美輝さんが出演。11月3日、広島市でも
1989/10/19
ソ連がカザフ共和国東部で核実験。オランダ気象研究所が発表
1989/10/20
米原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」を描いた映画「ファットマンとリトルボーイ」が完成、全米で公開。ローランド・ジョフェ監督、ポール・ニューマン、ドウェイト・シュルツ氏ら出演。パラマウント社
1989/10/20
荒木広島市長がソ連核実験に抗議文
1989/10/21
日本被団協が広島・長崎の被爆証言集「あの日の証言」を携え国連に代表団20人を派遣。被団協6人、日本青年団協議会11人、日本生活協同組合連合会3人
1989/10/21
1945年に広島市の段原国民学校6年に在籍していた30人が43年ぶりに卒業式。原爆で卒業生名簿を失った袋町国民学校の1941年卒業生も同窓会を開き、放送作家の高橋玄洋さんら参加
1989/10/21
ソ連カザフ共和国の核実験場セミパラチンスク付近や首都のアルマアタで6万人が参加して反核デモ。反核団体「ネバダ・セミパラチンスク運動」が主催
1989/10/22
広島県被団協の森滝市郎理事長らが19日のソ連核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1989/10/22
最新の洋上防空システム「イージス装置」を搭載した米第7艦隊のミサイル巡洋艦ビンセンスをはじめとする米艦艇6隻が、佐世保港に入港
1989/10/23
中国電力上関原発の立地環境調査に同町の四代漁協が同意。漁業権を持つ関係8漁協のうちでは初
1989/10/23
広島修道大の核実験抗議の植樹第1号にソ連のプレート。女子学生らのグループ「STOP」が立てる
1989/10/23
仏産キノコに高濃度放射能。ソ連原発事故の影響か。厚生省が輸入禁止
1989/10/24
「星空に戦略防衛構想(SDI)は不要」と、岡山の天文団体「岡山星空を愛する会」(武田英夫会長)が国連に1万2,466人の署名を提出
1989/10/24
日本原水協などが呼び掛け国連軍縮週間に合わせ70カ国で「第3の平和の波」行動。広島では反核デモ
1989/10/24
本島等長崎市長がアマコスト駐日米大使を訪ね、花輪踏みつけ事件を陳謝
1989/10/25
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が発表
1989/10/25
荒木広島市長が仏核実験に抗議文
1989/10/25
1949年から51年までABCC長崎支所長を務めたジェームス・ヤマサキ・カリフォルニア大ロサンゼルス校医学部教授が、広島市を訪れ被爆証言を集める
1989/10/25
故佐々木禎子さんの命日に母校の広島市立幟町小学校で平和集会。3年前から始める
1989/10/26
オーストラリア・ビクトリア州のラザーグレン小の児童から広島市の原爆の子の像に折りづる1,000羽届く
1989/10/26
ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が「1990年末までに、バルト海に配備している通常型ゴルフ級核ミサイル搭載潜水艦6隻とこれに積載する核弾頭を一方的に廃棄」と言明。「北欧非核地帯化構想への第一歩」
1989/10/27
被爆者らが25日の仏核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み。広島修道大の「STOP」はマロニエの植樹プレートを立てる
1989/10/28
米核実験場があったマーシャル諸島など太平洋地域の教師13人がヒロシマ学習。日本ユネスコ協会連盟が招く
1989/10/30
ベトナムの枯れ葉剤被害と医療をテーマとするシンポジウム(大阪市)に参加のベトナム医師会会長のホアン・ディン・カウ厚生副大臣ら8人が広島市を訪れ、被爆者らと交流
1989/10/30
広島国際会議場で第4回「市民平和の集い」。ノンフィクション作家の吉原公一郎さんが脚本を書いた「榎の木は甦った」を劇団民芸の日色ともゑさんと伊藤孝雄さんが琵琶を伴奏に語る。広島市立舟入高校の伊藤隆弘教諭作の二人芝居「夕映え」も
1989/10/31
広島市の原爆ドーム保存工事が始まり、安全祈願式。工事費約2億円、半分の1億円を募金で賄う。募金総額は31日現在で2億6,476万円。目標を上回った募金は将来の補修のための基金に
1989/10/31
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1989/10/--
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)広島大会で被爆体験を話す8人の被爆者の証言集の英語版が完成。広島県歯科医師会が1985年に出版した「閃光の証言」の英訳版もできる
1989/10/--
米スリーマイル島原発の事故を起こした2号機で、870万リットルの汚染水処理始まる

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