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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 10月


1986/10/1
米空軍がB1戦略爆撃機を実戦配備。B52に代わる最新鋭機。カーター政権は開発計画を中止
1986/10/1
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1986/10/1
庄原市議会が広島県内12市で最後の非核自治体宣言を決議
1986/10/2
英労働党大会で、独自の核戦力破棄と米軍核基地の閉鎖を党政策として採択。キノック党首が「政権をとれば1年以内に英国内から核兵器一掃」と表明
1986/10/3
国連軍縮フェローシップ計画の21カ国21人の若手外交官が広島市を訪問。5日まで滞在
1986/10/3
ソ連タス通信が「大西洋バミューダ諸島沖で、ソ連の弾道ミサイル搭載ヤンキー級原子力潜水艦が火災。3人死亡、負傷者も出た」と報道
1986/10/3
米核実験に抗議し被爆者らが広島県内28カ所で座り込み
1986/10/3
原水禁国民会議が全国委員会で、地域での行動強化、被爆者援護法制定など運動方針決める。運動課題として(1)核被害者の救済と連帯(2)アジアと太平洋非核化(3)原発・核燃料サイクル反対(4)核実験禁止と核軍縮推進-を掲げ、統一問題は組織の主体性を基本に市民団体との共同行動を打ち出す
1986/10/3
広島の被爆少女を題材にした浅川春男さん作曲のピアノ連弾曲「オリヅル」が東京で披露
1986/10/4
米国原爆被爆者協会(倉本寛司会長)が設立15周年大会を開き社団法人に改組。協会を組織、資金両面から強化し、支援団体の幅を広げるねらい
1986/10/5
ソ連タス通信が「ソ連南部イランやトルコ国境の標高4,000メートルの山を、米ソ友好のシンボルとなった少女にちなみサマンサ・スミス峰と命名」と報道
1986/10/5
広島県山県郡加計町の安野中学校生徒が広島市の平和公園で、卒業生が作った平和の塔に平和の灯を採火。33キロ離れた同校まで平和行進
1986/10/5
英紙サンデー・タイムズが「イスラエルは過去20年間、秘密工場で核兵器を生産し、弾頭100~200発を保有する世界で6番目の核大国」と報道
1986/10/6
レーガン米大統領がレイキャビクの米ソ首脳会談について「本会談に向けた準備の場で、軍縮協定合意の見通しはない」と過大な期待戒める
1986/10/6
米国防総省が「ソ連の火災原潜は6日、バミューダ諸島東1,000キロ沖合で、曳航中に沈没」と発表。タス通信は「汚染の心配はない」と発表
1986/10/7
広島県原水禁が理事会で、1987年にニューヨークで開く核被害者世界大会へ全力を挙げることを決定。宮崎安男事務局長の後任に横原由紀夫県労副議長
1986/10/7
政府が米戦略防衛構想(SDI)への研究参加の具体的な枠組みづくりのため、外務、通産、防衛、科学技術の4省庁で構成する代表団を米に派遣へ
1986/10/7
シュルツ米国務長官が記者会見で、戦略核全廃を条件に戦略防衛構想(SDI)の規模縮小交渉に応じる用意があることを示唆
1986/10/9
朝鮮人被爆者を主役にした原爆記録映画「アリランのうた-ヒロシマ、ナガサキを生きる」(朴寿南監督)のヒロシマ編が完成。東京で試写会
1986/10/9
ソビエツカヤ・ロシア紙が、核戦争、核軍縮についての世論調査の結果を報道。ソ連国民の9割が「核戦争は防げる」と回答
1986/10/9
国と広島、長崎両県が共同で派遣する第2回南米被爆者巡回医師団が出発。新たにペルー、ボリビアを加え5カ国で健康相談や療養指導
1986/10/10
「ヒロシマを写生し、その心を伝えよう」と、全日本職場美術協議会が呼びかけたヒロシマ・イベントが始まる。13日まで。アマチュア画家ら130人参加
1986/10/11
広島で第4回「平和を願う念仏者の集い」。400人が出席
1986/10/11
レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がアイスランドのレイキャビクで会談。米が核実験制限で新提案
1986/10/12
レイキャビクの米ソ首脳会談が、戦略防衛構想(SDI)をめぐって対立が解けず、事実上物別れ。次回会談の日程も未確定。5年以内の戦略核半減、中距離核戦力(INF)の欧州地域での全廃、核実験の回数制限交渉などではいったん合意。西欧各国は落胆
1986/10/12
英紙サンデー・タイムズが仏核兵器生産計画の責任者だったフランシス・ペラン教授の「イスラエルに原爆生産の技術を供与していたのは仏」との証言を掲載
1986/10/12
核禁広島県民会議が第13次在韓被爆者診療医師団を派遣
1986/10/13
広島原爆病院の本館取り壊し工事が始まる。広島赤十字病院との合同病棟建設へ
1986/10/14
ゴルバチョフ・ソ連書記長がレイキャビク首脳会談の結果についてテレビ演説し、軍縮合意に向け対話継続の意向表明。レーガン米大統領も交渉の継続を表明
1986/10/14
1986年のノーベル平和賞にユダヤ系米人作家のエリ・ウィーゼル氏。ナチ強制収容所の生き残りで、ホロコースト(大虐殺)という言葉を定着させる
1986/10/15
戦争体験を継承する「わだつみ会」の安田武氏が死去。63歳
1986/10/16
広島市が21日から北京で開催される「核戦争の脅威と核エネルギーの平和利用展」への永田明副議長ら3人の派遣を決める
1986/10/16
米エネルギー省が「ネバダ実験場の地下600メートルで16日、核実験を行った」と発表▽ソ連タス通信が「首脳会談が終わったことへの『祝砲』」と非難
1986/10/17
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1986/10/18
ジュネーブ軍縮会議のミルヤン・コマチナ事務総長が広島市を訪問。荒木広島市長に「平和を願う都市連帯のリーダーとしてこれからも貢献を」と要望
1986/10/18
チェルノブイリ原発事故の被曝者治療に協力するため栗原登広島大原医研所長、蔵本潔教授が訪ソ。日本対外文化協会が派遣する医学協力団(団長、熊取敏之前国立放射線医学総合研究所長、4人)のメンバー。26日までモスクワに滞在
1986/10/19
米核実験に抗議し被爆者らが原爆慰霊碑前など広島県内24カ所で座り込み
1986/10/20
ノーベル賞受賞者45人を擁する米科学者連盟(FAS)がレイキャビク首脳会談でレーガン大統領が示した弾道ミサイル全廃提案支持を表明
1986/10/21
ジュネーブ軍縮会議日本代表部の山田中正軍縮大使が国連総会で「核実験の段階的禁止」を提唱 1986/10/21
北京で「核兵器―現代社会の脅威展」始まる。国連広報部と創価学会が開催。31日まで
1986/10/22
広島県退職婦人教職員の会が戦争体験手記「失った日から」を発行
1986/10/23
日本弁護士連合会が厚生、外務両省に在韓被爆者の渡日治療継続を要請
1986/10/23
核廃絶を訴え米大陸を横断していた市民グループ「平和大行進」(グレート・ピース・マーチ)がロサンゼルス出発から8カ月ぶりにニューヨークに到着
1986/10/24
米下院エネルギー保存小委員会が「1940年代半ばから70年代初めにかけ、米政府が受刑者や病人などに、放射能の人体実験をした」と発表。米エネルギー省の記録から調査。実験数は31回に上り、計695人に放射性物質を注射や投与。マギー同小委員会委員長がヘリントン・エネルギー長官に実験対象者の追跡調査を求める
1986/10/24
東京で日本被団協結成30周年記念式典。森滝市郎元理事長ら61人を表彰
1986/10/24
広島県労会議が反戦・反核・平和を求める県中央集会。2,000人が参加。大阪総評も1万5,000人の反核集会
1986/10/26
全国原爆被爆教職員の会が被爆教師7人を含む8人を平和教育交流で中国へ派遣
1986/10/26
3人のノーベル物理学賞受賞者を含む545人の英科学者グループが、英の米戦略防衛構想(SDI)研究参加に反対する声明を発表
1986/10/26
日本被団協が、高齢化した被爆者運動を再構築し継承するため「平和基金」創設決める。3年がかりで5億円を目標
1986/10/27
アウシュビッツ強制収容所の生き証人、ポーランド人のタデウス・シマンスキーさんが広島市を訪れ被爆者と懇談。収容所時代のスケッチと囚人服の切れ端を原爆資料館に寄贈
1986/10/27
広島県原水禁が米政府の放射能人体実験に抗議する手紙を米レーガン大統領に送る
1986/10/27
日本原水協が東京で「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名推進の全国交流集会開く
1986/10/27
世界の宗教家が宗派を超えイタリアのアッシジで世界平和祈願集会。150人が参加。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が1日停戦を提唱
1986/10/29
英国教会カンタベリー大主教のロバート・ランシー師の広島訪問(1987年5月)が決まる
1986/10/30
米戦略防衛構想(SDI)参加で訪米した渡辺允外務省北米局審議官が記者会見。「秘密保護、研究成果の帰属などで意見交換したが、結論は出なかった」
1986/10/30
英の放射線科学者J・ロートブラット博士が長崎市で「広島原爆の全致死線量は通説より低い400ラド」と発表
1986/10/31
英夕刊紙スタンダードが「イスラエルが100発以上の核弾頭を所有しているなど暴露証言した同国の元原子力施設技師モルデチャイ・バヌヌ氏がイスラエルの情報機関モサドによって本国に連れ戻された」と報道▽11月9日、イスラエル政府が逮捕を公表▽11月16日付の英紙サンデー・タイムズは「バヌヌ氏を英国外に誘惑し連れ出したのは通称『シンディ』というモサドの金髪美人職員で、連れ戻しを命じたのは当時のペレス首相」と報道
1986/10/--
放射線影響研究所の吉本泰彦疫学部研究員が「原爆で高線量の放射能を浴びた胎内被爆者は成人後、がん発生率が高い」と追跡調査で実証
1986/10/--
東京・上平井中学校の元教師江口保さんが広島市を拠点に「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」をつくる
1986/10/--
日本被団協の原爆被爆者中央相談所が冊子「全国地方自治体の被爆者援護状況」をまとめる。針きゅうなど漢方治療や温泉療養に対する補助などきめ細かい施策が進む一方、被爆者対策を国に任せきりにしている自治体が9割を占め、自治体間の格差浮き彫り
1986/10/--
大阪市大、阪大、関大、立命館大の軍縮学連の学生が、米ソ両首脳に軍縮と平和への行動を求める「ピース・レター・キャンペーン」を始める
1986/10/--
広島県神石郡油木町の油木高校生徒会が核兵器の全廃を求める宣言。県内の各学校に宣言文を配布

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