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ヒストリー

ヒロシマの記録1970 11月


1970/11/1
広島市江波本町のフレンズ世界大学極東センターが京都市に移転
1970/11/1
社会党第5次訪中団(団長、成田知巳委員長)と中国代表団(団長、郭沫若中日友好協会名誉会長)が共同声明に調印。日本軍国主義の復活阻止を強調し、核兵器不使用協定のための世界首脳会議開催を提唱
1970/11/2
米ソの戦略兵器制限交渉(SALT)がヘルシンキで再開
1970/11/2
広島・長崎ABCCが原爆被爆者の遺伝的調査で、被爆二世516人のうち4人から細胞染色体異常を発見。岡山市で開かれた日本人類遺伝学会で長崎ABCCの錬石昇太郎研究員が発表
1970/11/2
被爆者の怪獣扱い問題で円谷プロダクションが広島県被団協(森滝市郎理事長)に謝罪文。「配慮が足りなかったことを反省し、今後スペル星人(ひばくせい人)の資料提供は一切差し控える」
1970/11/5
原爆記録映画「ヒロシマ原爆の記録」が那覇市で上映。9日までに7,000人が入場
1970/11/6
「ヒロシマ会議」委員会が市民会議の参加者募集を始める。20日までに179人が応募
1970/11/6
ミシガン大遺伝学教授でABCC委員のジェームズ・ニール博士が、「被爆二世を対象に原爆の遺伝的影響を調査する」と表明
1970/11/8
宮崎県内の原爆被爆者がつづる体験記「閃光は今もなお-宮崎県内被爆者25年目の証言」が完成、発刊記念式開く
1970/11/11
日本原子力発電会社の敦賀原子力発電所で、濃縮ウラン燃料棒から放射能漏れ見つかる
1970/11/11
三菱系2社と米ウェスチングハウス社が濃縮ウラン製造のための合弁会社を設立したことに関し、中国の新華社が「日本の核兵器製造に道を開く」と非難
1970/11/11
国連総会第1委員会で、ビルマ、インドなど非同盟諸国9カ国と日本を含む30カ国が核実験停止を呼びかける2つの決議案を提出
1970/11/12
広島市原爆被爆者協議会が計画している被爆者療養研究センター用地の造成工事始まる
1970/11/14
原水禁国民会議(社会党・総評系)が原子力発電所と再処理工場に反対する全国連絡会議開く。茨城県那珂湊市で100人が参加。16日まで。原発・再処理工場設置計画について「安全確保が難しいうえ、将来の軍事転用や公害源となる危険性が高い」とし、今後、設置計画地域を中心に監視、調査体制を作るなど組織的な反対闘争を強める方針決める
1970/11/16
原子力委員会原子炉安全専門審査会が東北電力・女川、中部電力・浜岡、九州電力・玄海の3原子力発電所の安全審査を完了、建設が本決まり
1970/11/16
アルゼンチン、ビルマなど非同盟諸国12カ国が国連総会第1委員会に、核保有国に対し核軍拡競争を直ちにやめ、攻撃、防御を問わずすべての核兵器の実験、配備をやめるよう求める決議案を提出
1970/11/17
国連総会第1政治委員会が核兵器の海底配置などを禁じた海底軍事利用禁止条約を採択
1970/11/17
リー・クアン・ユー・シンガポール首相が東京で記者会見。「日本が核武装しないなら脅威にはならない。日本の軍事力は米、西欧、非共産諸国の安全保障の1部を担うもの」
1970/11/18
全米各地で反戦・平和と核兵器の使用禁止を訴える原水禁国民会議の被爆者訪米団(瀬戸高行団長、4人)が羽田を出発
1970/11/21
呉市の両城中の生徒が、白血病で死亡した被爆二世、名越史樹ちゃんの両親がつづった闘病記「ぼく、生きたかった」を基に学校劇を制作、文化祭で発表
1970/11/22
米ニューズ・ウィーク誌が「中国は射程8,000キロの新たな大陸間弾道ミサイル(ICBM)2基の発射実験の準備を開始した」と報道
1970/11/23
ニューヨーク・タイムズが「中国はソ連の中心部を射程内に収める中距離核ミサイルの配備を進めている」と報道
1970/11/26
ガンジー・インド首相が議会で「平和利用で地下核爆発の技術を研究中」と述べる
1970/11/26
平和運動家バーバラ・レイノルズさんが1年8カ月ぶりに広島市へ。ヒロシマ会議出席のため
1970/11/27
イタリアの非暴力による市民運動指導者、ダニロ・ドルチ氏が広島市を訪問。「慰霊碑に向かって広がる芝生、平和の灯をめぐる池のコイ…。何のためにこれらが必要なのか。広島の廃虚はそっくり残すべきだった」
1970/11/28
米国防総省が「ソ連は25日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)のSS13改良型ミサイルを中部太平洋に向けて発射実験を行った」と発表
1970/11/29
英スコットランドのホリー・ロッホ港の米原子力潜水艦基地で原潜補給艦が火災。原潜2隻は無事
1970/11/29
「ヒロシマ会議」が開幕。ノーベル平和賞受賞者の英フィリップ・ノエルベーカー氏をはじめロベルト・ユンク氏、チボル・バルタ氏(ハンガリー)、ユージン・ラビノビッチ氏(米)、ダニロ・ドルチ氏(イタリア)ら海外から6人、湯川秀樹、朝永振一郎、飯島宗一氏ら国内から13人の科学者や平和運動家を招待。広島市公会堂を主会場に12月2日まで。核時代脱却の道を探る基調講演でノエルベーカー氏「1人1人が行動を起こし、政府や軍の『心の原爆症』をたたき直せ」。湯川氏「国家主権の一部を世界連邦にゆだねた社会建設を」。飯島氏「今や平和は人類の未来の生存にとって『絶対の条件』となった」。午後全体会議。市民代表が被災の実態、被爆者の実情について報告
1970/11/30
国連総会第1委員会が(1)濃縮ウラン製造の新技術が軍事目的に使用されないよう国際原子力機関(IAEA)に注意を促す(2)すべての核実験、核兵器配備を中止するよう核兵器保有国に求める-との2つの決議を採択
1970/11/30
レアード米国防長官が「ソ連は新型大陸間弾道ミサイルSS13の打ち上げ実験を行った」と発表
1970/11/30
「ヒロシマ会議」が本会議と市民会議で本格討議。本会議は「核時代と人間」をテーマに広島商工会議所で「核の廃絶か戦争の廃絶か」をめぐり白熱。一般公募した市民会議は平和記念館に約100人が参加して人間差別、ヒロシマとは何かについて意見交換。「核廃絶のために何ができるか」を探る。庄野直美事務局長が「ヒロシマ平和研究所」の設立構想を表明
1970/11/--
米政府特別委員会が核爆発を利用した大規模運河建設案を却下
1970/11/--
被爆者援護法の早期制定を呼びかけ、原水禁国民会議(社会党・総評系)が派遣した被爆者全国行脚の一行が広島へ帰る。吉川清広島県被団協常任理事「被爆者問題に対する各自治体の理解度はまちまち。原爆記録映画の上映が大きな反響を呼んでいる」
1970/11/--
中国放送が8月に放映した被爆25周年記念番組「『ヒロシマ』との対話」を出版。ロベルト・ユンク氏や湯川秀樹氏ら16人のヒロシマと平和に関する意見
1970/11/--
原爆被爆者小浜温泉保養所「大和荘」の増築工事が完成(「長崎年表」)

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