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ヒストリー

ヒロシマの記録1966 2月


1966/2/5
原水禁国民会議の訪ソ使節団が横浜港を出発。石黒寅毅同会議常任執行委員を団長に7人。ソ連平和委員会幹部と原水禁運動の進め方などで意見交換へ
1966/2/7
スチュアート英外相が下院討議で中国の核能力について言明。「中国は今や小型原爆を実戦に使用する能力を持っている」
1966/2/7
原水禁国民会議が米の北ベトナム爆撃開始1周年に合わせ、東京・数寄屋橋など全国30都市で市民カンパによるジョンソン米大統領への抗議電報を呼びかけ
1966/2/7
日本原水協が米の北ベトナム爆撃再開に抗議し、ベトナム即時撤退を求める電報を日米政府に打つ
1966/2/8
ジュネーブ軍縮委員会でツァラプキン・ソ連代表が東ドイツ政府声明を読み上げる。「西ドイツが核兵器を放棄するなら、東ドイツは直ちに同様の措置を取る」
1966/2/8
広島原爆病院が沖縄の被爆者を検診する派遣医療班の医師3人を決定。藤本幸雄内科部長、高岸直人整形外科部長、新田国夫臨床検査部病理検査部長
1966/2/11
衆院予算委員会で広島市の原爆スラム問題について大原亨氏(社会)の質問に政府が答弁。「原爆スラムは広島県、広島市と相談し、居住者に迷惑がかからないよう早急に解消する」
1966/2/11
核兵器非保有国による「核実験探知クラブ」構想を推進するため来日したスウェーデンのイデルスタム外務省国連課長、エリクソン国防研究所教授が記者会見。「地下核実験を停止し、全面核停を実現するには、どこの国が地下核実験をやっても探知出来るシステムが必要だ。米ソはそれぞれ独自のシステムを持っているが、中立的な非核保有国による探知システムがなければならない」
1966/2/12
松山市が広島市内で開いた観光物産展(8~13日)の売上金10万円を被爆者救援金として広島市に寄付
1966/2/13
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連のセミパラチンスク地区での史上最大級の地下核爆発を探知した」と発表
1966/2/14
佐藤首相が参院決算委員会で「原子力空母の寄港は安全を確認すれば認める」と答弁(「近代日本総合年表」)
1966/2/15
マクナマラ米国防長官が上院軍事委員会秘密聴聞会(1月下旬と2月上旬)で行ったベトナム戦争に関する証言内容が発表される。「ベトナム紛争が決定的な核の対決にまで発展する恐れを持つ人がいるが、南ベトナムで核兵器を使用する考えはない。北ベトナムに対する軍事作戦でも核兵器を使用したり、核兵器を持った方がよさそうな作戦を進める意図はない」
1966/2/16
グロムイコ・ソ連外相がコーラー駐ソ米大使に覚書を手渡し、核爆弾を積んでいる米機による外国領土上空の飛行中止を要請
1966/2/16
沖縄在住の原爆被災者に対し、1966年度から本土並みの診療実施-。衆院予算委員会で鈴木善幸厚相が答弁。対象は被爆者健康手帳に登録の172人
1966/2/17
外務省の下田武三事務次官が核拡散防止条約に対する基本的な考え方を述べる。「条約を実現させるには5~7年で核兵器を漸減し、全廃させなければ効果はない。条約ができても核保有国が代償を払わないなら署名しない方がよい。そんな条約は現状を固定させるだけだ」
1966/2/17
ジュネーブ軍縮委員会でツァラプキン・ソ連代表が、スペインでの米核爆撃機墜落事故をめぐるソ連政府の非難覚書を読み上げる
1966/2/17
東京漫画会の志村つね平、森比呂志、鈴木平八の3氏が広島原爆病院を慰問し、入院患者40人の似顔絵を描く(「増補ヒロシマの記録被爆40年写真集」)
1966/2/18
長崎県諫早市の土建業土井芳雄さん(広島県安佐郡安佐町出身)が被爆者健康手帳交付のため、証人を捜している-と親戚が中国新聞に訴え。元陸軍西部第7部隊(工兵隊)所属で原爆投下の翌日から8月29日まで爆心地などで死体処理や焼け跡整理に従事
1966/2/19
椎名悦三郎外相が衆院予算委員会で核の傘と日米安保体制の関係について政府統一見解を発表。(1)米が持つ核の抑止力という一般的意味ではわが国も核の傘に入っている(2)しかし核の傘に入ることがわが国の施政権下に核兵器を持ち込む意味なら入っていない(3)北大西洋条約機構(NATO)のような多角的核戦力がアジアに設けられる場合、そのような核の傘にはわが国は参加しない
1966/2/21
米ニューズ・ウィーク誌の最新号(21日発売)が「中国は広島型原爆(TNT火薬2万トンと計算)の2.5倍の運搬可能な原爆1個を保有」と報じる
1966/2/23
マクナマラ米国防長官が米上院合同会議で国防に関する年次報告を発表、中国の核開発について言明。「中国は野心的な核開発計画を遂行しており、早急に熱核兵器を開発するだろう。長距離弾道ミサイルを生産し、これに熱核弾頭を装備できないと考える理由は全くない」
1966/2/24
米ワシントン・ポスト紙が「1961年、B52爆撃機がノースカロライナ州ゴールズボロー近くに墜落した時、起爆装置の外れた水爆1個が軟らかい土中に埋まり、不明になった」と報じる。米国防総省は論評を避ける
1966/2/26
米が核積載機飛行問題でソ連に反論。「米は欧州上空で核積載機を飛行させる権利を持っている。ソ連の脅威に対抗し、自由世界を救うため必要」
1966/2/28
社会党・総評系の広島県原水禁(森滝市郎理事長)と原水禁広島市協議会(会長、浜井広島市長)が合同常任委員会で、ベトナム戦争の平和的解決を訴える「ヒロシマ書簡」をウ・タント国連事務総長、ジョンソン米大統領、佐藤首相に送ることを決める
1966/2/--
小説「夏の花」の著者、原民喜氏の全集出版記念会が広島市の平和記念館で開催。地元の作家、詩人や東京の作家遠藤周作、梶山季之氏ら約60人が出席。「原民喜全集」(2巻)は芳賀書店から1965年末に出版
1966/2/--
広島県原爆被爆者映画製作の会とシナリオライター白井更生さんらが、被爆者の手で被爆の真実を訴える映画「ヒロシマ1966」の製作計画

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