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ヒストリー

ヒロシマの記録1964 10月


1964/10/1
愛知揆一原子力委員長(科学技術庁長官)が衆院科学振興対策特別委員会で「原子力委員会は米原子力潜水艦の安全性について審議する法的な権限がある」と発言。社会党は「原子力委員会の権限は平和目的に限られている。軍事利用も審議できるとしたら重大な体質改変」と反発
1964/10/2
沖縄在住の被爆者1人が初めて広島原爆病院で精密検査を受ける。沖縄原水協と沖縄被爆者連盟が援助。検査を受けた岸本久三さんは「原因不明の病気で19年間苦しみ続けた。渡航費が高い本土には渡れず、日本政府が専門医を早く派遣してくれるよう切望している」
1964/10/2
ヒューム英首相が「英米両国は核兵器拡散防止条約草案の準備を整えている」と記者会見で語る。「仏もこの条約に同意することを望む。ソ連は北大西洋条約機構(NATO)の多角的核戦力構想がこの種の条約の障害だと言っているが、ソ連の同意を取り付けることは可能」。米国務省スポークスマンはソ連の同意に悲観的
1964/10/3
平和問題研究グループの談和会(世話人、今堀誠二広島大教授)が「原水爆被災白書」作成運動を提唱。骨子(1)1965年の国勢調査の付帯調査として原爆被災者の全国調査実施(2)現代科学の総力を尽くした調査結果を総合し被災白書作成(3)国際的な原水爆被害の科学研究を発表するよう、政府から国連に提案を
1964/10/3
東京で第3回米原子力潜水艦寄港反対科学者集会。安井郁日本原水協理事長、北川隆吉法大助教授ら80人が参加。(1)原潜寄港は事実上の核持ち込み(2)東南アジアの情勢などからアジアの緊張を激しくする-などの決議文を採択
1964/10/3
ジョンソン米大統領がヒューム英首相の発言を受け「核兵器の拡散防止のため協定に達するよう引き続き努力する」と記者会見で語る
1964/10/4
英紙オブザーバーは、インドのバーバ原子力委員会長官が「インドは必要なら18カ月以内に核爆発を行うことができる。しかし中国が本年中に実験をするにせよ、核兵器を製造しないというインド政府の方針に変化が生じることはない」と語った、と伝える
1964/10/4
カイロで開かれる第2回非同盟諸国首脳会議にオブザーバーとして出席した江田三郎社会党組織局長が「中国が核武装の必要性を感じなくてもすむ条件をつくり出すことが必要だ。条件は北京政府に国連代表権を与え、太平洋地域に非核武装地帯を設けることだ」と語る
1964/10/4
広島市で米原子力潜水艦寄港反対集会。100人が参加。広島宗教者平和協議会と広島大学人の会が中心
1964/10/6
カイロで第2回非同盟諸国首脳会議始まる。インド、キューバ、インドネシア3国が平和共存決議案を提出
1964/10/7
広島市がノーマン・カズンズ氏を1965年度のノーベル平和賞候補者として推薦決定
1964/10/7
広島市議会が革新系提出の原潜寄港反対決議案を否決。反対17、賛成10(「ヒロシマの記録」)
1964/10/7
第2回非同盟諸国首脳会議でシャストリ・インド首相が中国に核兵器開発を中止するよう説得する使節団派遣を提案
1964/10/8
第2回非同盟諸国首脳会議でバンダラナイケ・セイロン首相がアフリカ大陸、インド洋、南大西洋の非核武装化を提案
1964/10/8
ラスク米国務長官が「中国の核実験は、核兵器の拡散に重大な問題を提起している。今後数年間に15、20、25と新しい核保有国が増えるという問題である」と記者会見で語る
1964/10/8
仏紙ルモンドが「中国がアジア・アフリカ諸国に近く原爆を爆発させると通告」と伝える
1964/10/9
米がネバダで地下核実験(「ヒロシマの記録」)
1964/10/12
廖承志・中日友好協会長が日本人記者団と会見。「中国の核実験が迫っていると発言したラスク米国務長官はノイローゼにかかっている」
1964/10/16
原潜寄港阻止広島県実行委員会などが広島市で総決起大会。総評系労組員ら約350人参加。「原潜寄港は、日本の核戦略基地化につながり絶対反対」と決議
1964/10/16
中国が西部地区で初の原爆実験に成功。5番目の核保有国に。米も探知。中国政府が世界首脳会談を提唱。「わが国の核兵器開発の目的は核保有諸国の核独占を破り、核兵器をなくすことである。核兵器保有国および近くそうなる国が核兵器を使わないことを約束する首脳会談の開催を提案する」。ラスク米国務長官は提案を拒否
1964/10/16
浜井広島市長が談話。「中国の核実験は被爆を体験した広島市民としてだけでなく、人類にとって悲しむべきこと」
1964/10/16
佐久間澄広島県原水協(共産党系)理事長「核実験に反対していた中国が実験したことは非常に残念だ。ただ、沖縄の問題、原潜寄港、F105機の日本移駐問題のために、日本人の立場として中国に抗議できないのを大変残念に思う」。伊藤満原水禁広島協議会(社会党、総評系)事務局長「いかなる国の核実験、核兵器にも反対する立場をとってきたわれわれは、中国の実験はまことに遺憾だ。中国が実験を行った背景を冷静に検討する必要がある」
1964/10/17
防衛庁が自衛隊機で中国核実験に伴う高空放射能チリの収集調査を開始
1964/10/17
鈴木善幸官房長官が中国核実験について談話。「政府として改めて抗議文書は送らない。現在の核戦略体制が根本から影響されることはない。今後核実験を繰り返さぬよう部分核停条約に参加を求める」
1964/10/17
広島市原爆被爆者協議会、広島県被団協、広島・アウシュビッツ委員会が中国核実験に抗議電報
1964/10/17
世界平和アピール7人委員会が核保有5カ国に要望書。「中国が核実験を強行したことは、核兵器保有国の増加を招く危険に拍車をかけるもので遺憾だ。すみやかに国際会議を開き、核実験の全面阻止、完全軍縮への道を開くよう要望する」
1964/10/17
社会党が周恩来中国首相に核実験に対する抗議電報打電を決める。共産党の宮本顕治書記長は「中国の核実験は祖国の防衛だけでなく、アジアにおける核戦争を防止するための防衛的な措置である」と声明
1964/10/17
社会党訪中使節団の成田知巳団長が北京で中国核実験は遺憾との談話。歓迎会でも実験反対を表明
1964/10/17
英の労働党新内閣が「中国の核実験はアジアの軍事情勢に影響を与えない」と声明
1964/10/18
東京五輪レスリングの金メダリスト、アレクサンドル・イワニツキー選手らソ連代表4人が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1964/10/18
ジョンソン米大統領がテレビ演説。中国の核実験は新疆ウイグル自治区のロプノルで行われたと指摘。中国核実験の対策として(1)部分核停条約の支持を続ける(2)検証を伴う協定を結び、核実験を禁止する努力を続ける(3)ソ連と協力して核不拡散に努力する(4)核兵器を持たない国が支援を求めれば米は応じる-の4点を挙げる
1964/10/18
ラスク米国務長官がテレビインタビューで「中国はまもなく2回目の核爆発を行うだろう。中国の核実験は米が1945年に行った最初の核爆発、TNT火薬2万トン級」と発言
1964/10/18
新潟大理学部が新潟市内に降った雨から強放射能チリを検出。中国核実験の影響とみられる
1964/10/19
周恩来中国首相が池田首相に核実験についての書簡。「中国政府は一貫して核兵器の全面禁止、徹底的な廃棄を主張しており、核実験はやむをえず行った。中国の核兵器保有は防衛のためで、先に使用することはない」
1964/10/19
核禁広島県民会議が中国核実験に抗議声明
1964/10/19
内閣放射能対策本部が中国核実験に伴う放射能測定結果を発表。「放射能は少量で心配はない」
1964/10/20
原水禁広島協議会(社会党、総評系)が中国政府へ核実験抗議の電報
1964/10/20
浜井広島市長が「国際協力と軍備のためのオーストラリア会議」出席のため広島を出発
1964/10/21
米政府原子力委員会が「中国の核実験はウラン235を使用」と発表。空中のチリを分析、中国の核技術の高さを裏付け
1964/10/22
米政府原子力委員会が「22日、ミシシッピ州南部の地下核実験場で広島型原爆の四分の一の威力の核実験を行った」と発表
1964/10/22
中国の人民日報が「核独占を打破し核兵器を無くそう」との社説を掲げ、実験の継続を示唆
1964/10/22
マクナマラ米国防長官が「中国が運搬しうる核兵器、それに必要な爆撃機またはミサイルを開発するには数年を要するだろう」と記者会見で発言
1964/10/22
ウ・タント国連事務総長が中国を含めた核保有5カ国会談「核クラブ会議」を提唱
1964/10/23
米国務省が「もし中国が軍縮、核兵器禁止について他の核保有国との話し合いを欲しているならば、その道は開かれている」と声明
1964/10/25
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「25日ソ連のノバヤゼムリャで地下核実験によるとみられる振動を記録した」と発表
1964/10/26
第1回「原子力の日」。日本が原子力の平和利用を始めて10年を記念し制定
1964/10/26
AP通信が「米空軍はグアム島に核爆弾搭載可能のB52重爆撃機15機を配備」と伝える
1964/10/27
核禁広島県民会議が広島市の平和記念公園で中国核実験反対世界平和祈願広島集会開く。500人がたいまつを掲げ抗議
1964/10/28
日教組が中国核実験に反対し周恩来首相に抗議文送付を決定
1964/10/28
日本学術会議総会が原潜寄港反対声明をめぐり紛糾
1964/10/28
社会党訪中使節団と中国人民外交学会が共同声明。原爆実験について違った意見を表明したが、中国が提案した原水禁首脳会議の開催は一致
1964/10/29
全学連主流派(反日共系各派)が原潜寄港反対全国統一行動。広島では100人が市内をデモ
1964/10/29
周恩来中国首相がドゴール仏大統領から周書簡(10月17日付)に対する返書受け取る。「真の軍縮は核軍縮を優先すべきことは当然である」
1964/10/30
日本学術会議総会が核兵器全廃を訴えるアピールを採択
1964/10/31
米政府原子力委員会が「31日、ネバダで小型の地下核実験を行った」と発表。この年18回目

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