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ヒストリー

ヒロシマの記録1963 4月


1963/4/1
日本原子力研究所高崎研究所が発足(「近代日本総合年表」)
1963/4/3
東京・俳優座劇場で劇団自由舞台が「象」上演。別役実氏作。病室に閉じ込められた被爆者の苦悩に現代人の置かれた状況をダブらせる(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1963/4/5
ジュネーブ軍縮会議の各国代表がスウェーデンのエルビン・ライザー、トーレ・ショーベルイ氏が製作した記録映画「戦争の顔」を観賞。日、英、米や国連などのフィルムを使って第一次世界大戦、ナチズム・ファシズムの台頭、スペイン内乱、日本の大陸侵略、広島の原爆被災状況と原爆症に悩む市民の生活、朝鮮戦争、ベトナムなどを描く作品。前年4月、広島でロケ
1963/4/6
英に核潜水艦艦隊をつくるため米英がポラリス・ミサイル購入協定に仮調印。英はミサイルを100基まで購入し、核弾頭製造、潜水艦建造は自国で
1963/4/7
茨城県東海村の日本原子力研究所で、ウラン燃料のあるホット・ラボラトリーがボヤ。燃料は無事
1963/4/8
因島市被爆者友の会の織田兼市会長ら3人が広島原爆病院の入院患者の理髪無料奉仕
1963/4/10
ローマ法王ヨハネ二十三世が「地上に平和を」と題する全世界のローマ・カトリック司教への回状を公表。軍備競争の停止、核兵器の禁止などを呼びかける。平和と戦争の問題でローマ法王が通達を出すのはローマ・カトリック2000年の歴史で初めて
1963/4/10
原子力委員会が原潜寄港問題で米の回答を不満として再質問を外務省に要望へ。「放射性廃棄物の海洋投棄許容濃度基準が海岸から12マイル以内で日本の基準の10倍、12マイル以遠の無制限廃棄は危険すぎる」が理由
1963/4/10
米海軍が「原子力潜水艦スレッシャーが予定日に帰還せず、行方不明」と発表。深海潜水中の事故の可能性強まる。3,750トン、定員129人
1963/4/10
NATO理事会が仏含め統一核司令部の創設で一致。米英のほか、仏、カナダ、西ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアから航空機の提供を受け、米から核弾頭の供給を受ける。核弾頭の管理権は米が持つ
1963/4/11
アンダーソン米海軍作戦部長が原潜スレッシャー不明事件で記者会見。129人を乗せ同艦はボストン沖で失われたとの結論に達した、と発表。潜水実験は深さ2,520メートルで実施
1963/4/12
仏教、キリスト教、大本教(人類愛善会)などでつくる日本宗教者平和協議会(大西良慶会長)が原水禁運動の統一を呼びかける声明を発表。また、日本被団協も後援して5月3日から「長崎-広島450キロの原水爆禁止平和達成行脚」実施へ
1963/4/14
復活祭に合わせ欧州各地で核武装反対、原水爆禁止デモ。英=オルダーマストンとロンドン間の恒例核武装反対デモ。約9,000人が参加。「平和のためのスパイ文書」により核攻撃に備える英政府の秘密施設が暴露され、同地を訪れようとするデモ隊と警官隊が衝突▽ジュネーブ=数百人の市民が軍縮交渉会場のパレ・デ・ナシオン前でデモ▽西ドイツ=デュッセルドルフで英国人を中心に無届けデモ。49人が拘束される
1963/4/15
英の核武装反対デモがロンドンのハイドパークに到着。約3万5,000人が参加。デモ隊70人が逮捕される。日本山妙法寺の佐藤行通師と3人の学生も参加
1963/4/16
長野正義横須賀市長が「市民生活を守る市長として原潜の入港は好ましくないと思う。しかし、政府が受け入れを決めるなら市長として反対運動はしない」
1963/4/16
広島を訪問中の西ドイツ保健相のエリザベート・シュバルツハウプト女史が原爆慰霊碑に参拝、資料館を見学。「西ドイツは原爆をつくらないし、持ってもいないがその気持ちを持ち続けたい」
1963/4/17
英海軍最初の原子力潜水艦ドレッドノートが就役
1963/4/19
長崎-広島平和行脚を計画している日本山妙法寺の田島瑞泰氏と人類愛善会総本部の松園栄氏が原水禁広島協議会を訪ね、伊藤満事務局長に協力を要請
1963/4/19
世界平和アピール7人委員会の植村環代表と内山高三事務局長が、黒金泰美官房長官に「スレッシャー事件からみて寄港問題を再検討、米政府に取りやめを求めることを希望する」と要望書を提出。社会党も申し入れ
1963/4/20
カナダ総選挙に勝利したピアソン自由党党首が「核弾頭は受け入れる」と表明
1963/4/21
広島市公会堂で第11回民放大会。足立正民放連会長が原爆慰霊碑に花輪をささげ、平和記念公園に「民放の森」の植樹
1963/4/21
ギリシャ政府がマラソンからアテネまで45キロの核反対平和行進に参加しようとした500人を逮捕
1963/4/24
キリスト教海外医療協会の招きで来日中のシュバイツァー博士の一人娘レナ・エッケルト夫人が広島市へ。「広島は全世界の人間性を象徴する意味を持つ都市です。父シュバイツァーの意思もあり、私自身がこの目で広島の現実を見るためにやってきました」
1963/4/26
日本学術会議総会が「原子力潜水艦の日本寄港は好ましくない」と反対声明。「(原潜寄港問題について学術会議は)わが国の責任ある機関が自主的にその安全性を審査し、その結論を国民の前に明らかにするよう勧告した。この条件が満たされていない現状では、日本国民の安全が脅かされる恐れがあり、寄港は望ましくない」。政府は声明に対し「行政機関である学術会議が政府の方針に反対する声明を出したことは同会議の性格、使命に照らして遺憾」との徳安実蔵総理府総務長官の異例の非難談話を発表
1963/4/27
黒金泰美官房長官が日本学術会議の声明に「内容はともかく手続き面で不穏当。しいていえば越権行為。政府は反対の結論よりもその理由を聞きたい」
1963/4/29
広島県日の丸会本部(高木尊之会長)が平和記念公園に国旗掲揚台を贈る。「祝日に日の丸を掲げよう」と同会副会長の今田庫吉氏が寄付した金で建立
1963/4/29
ボリビア、ブラジル、チリ、エクアドル、メキシコの中南米5カ国大統領が、中南米を非核武装地帯とするよう要請する共同声明を発表
1963/4/--
米カリフォルニア州オークランド市に「折鶴の会」結成。1962年の第8回原水爆禁止世界大会に参加した同市の「手をつなぐ婦人の会」代表フランシス・ダンディ女史が取り持ちロオキー・オルシュウゼンさんらがつくる。広島「折鶴の会」の河本一郎さんに便り
1963/4/--
NATOの多角的核部隊創設に仏が再び難色示す
1963/4/--
仏がタヒチ島南西約1,200キロのムルロア環礁に核実験場の建設を開始。ロイター通信が報道

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