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ヒストリー

ヒロシマの記録1963 10月  


1963/10/2
米の平和運動家アール・レイノルズ夫妻が第2次平和巡礼団を提唱し、「被爆者平和促進研究会海外派遣団」準備委員会(原田東岷委員長)が発足。名誉会長に浜井広島、田川長崎市長。メンバーは広島、長崎で被爆した学生、母親、科学者、宗教者、労働者代表15~20人。4月下旬に出発し米ソの主要な都市を訪れる
1963/10/4
原水禁広島市協議会が新活動方針の第1回起草委員会。(1)被爆時の体験を中心に市民みんなが参加できる(2)被爆者の援護を織り込んだ運動-が基本
1963/10/4
長崎県議会が原子力潜水艦の寄港反対決議文と同請願書を不採択
1963/10/5
共産圏にいながら東西のキリスト教に影響を及ぼしているチェコスロバキアのカルロフ大コメニウス神学校校長ロマドカ博士が広島を訪問。見真講堂で「軍備全廃への道」と題し講演
1963/10/8
バーバラ・レイノルズさん提唱の平和巡礼派遣実行委員会を広島市で開き、委員長に原田東岷医師、副委員長にバーバラさんを選出。基金10万ドルの募金を計画、一般市民、財界に協力を要請
1963/10/9
日本被団協、日本宗教者平和協議会の「折り鶴行脚」で西日本コースを回る日本山妙法寺の田島瑞泰さんが長崎を出発
1963/10/9
日本の核基地化に反対する「平和アピール1千人牧師委員会」の平山照次代表(東京山手教会牧師)、小崎道雄元日本基督教団議長、植村環日本YWCA会長らが、ライシャワー米大使に米原潜の日本寄港反対とF105機の撤去を申し入れ。同委員会は7月に小崎牧師らが世話人になって呼びかけ9月末に結成
1963/10/10
部分的核実験停止条約が発効
1963/10/11
東南アジア青年使節団の一行6人が広島市を訪問。慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1963/10/16
国連総会第1委員会がフランスを除くジュネーブ軍縮委員会の全構成国17カ国が提案した「核兵器その他の大量破壊兵器軌道打ち上げと宇宙空間にとどめることを禁止する決議案」を満場一致で採択。17日の総会でも全会一致採択
1963/10/17
広島市とアウシュビッツに象徴される悲惨な戦争体験を二度と繰り返さないようにと「広島・アウシュビッツ委員会」が発足。広島県医師会館に日本山妙法寺の佐藤行通師ら60人が集まり結成総会。運動方針として(1)広島、長崎、アウシュビッツの被害の実情紹介(2)平和行進団が持ち帰ったアウシュビッツの遺骨安置所建設(3)国際平和アピールの行動
1963/10/17
原爆の犠牲となった国民義勇隊(市町村、職場、学校)、学徒隊の約7,800人が靖国神社へ合祭
1963/10/19
広島市公会堂で原爆被害者援護法制定促進広島大会。約60人が参加
1963/10/22
松井明国連大使が国連総会第1委員会で演説。部分核停条約を評価した上で(1)条約を拒否している国の加入促進(2)地下実験を含む全面核停条約を実現させる-と強調
1963/10/26
日本原子力研究所で日本初の原子力発電による電灯ともる。動力試験炉(JPDR・濃縮ウラン・沸騰水型)、電気出力2,000キロワット。世界で11番目
1963/10/27
広島大工学部の矢野保雄講師らが原爆ドームの耐震調査。広島商工会議所ビル新築に伴う影響調査
1963/10/28
陳毅中国外相兼副首相が日本人記者団と北京で会見。「原爆実験は必ずやるが、実現までにはさらに数年かかるかもしれない」
1963/10/29
日本初の原子の灯をともした日本原子力研究所の動力試験炉が工事施工者のゼネラル・エレクトリック・ジャパン社の指令で運転を中止。労使関係を懸念
1963/10/30
米G・E社が原研動力試験炉の運転中止の理由は「労組の抜き打ちストが最大の問題」と説明
1963/10/--
広島商工会議所のビル新築で、原爆ドーム崩壊の恐れがあるため、同会議所が広島大工学部に調査を依頼へ。浜井広島市長「ドームを補強してまで保存する価値はないと思う」
1963/10/--
ノーベル平和賞に米のライナス・ポーリング博士決まる。同博士は1954年に化学賞を受けており、再度の受賞。1901年米ポートランド市生まれ。46年7月、仏のジョリオ・キュリーらと世界科学者連盟を結成、軍縮と核兵器の廃棄を訴え。バートランド・ラッセル、アインシュタイン博士らとパグウォッシュ会議をつくった。59年には広島で開かれた第5回原水爆禁止世界大会に参加し大会議長
1963/10/--
故佐々木禎子さんをテーマにした詩劇「鶴」がモスクワでも上演。劇作家のワフタング・ボラシビリ氏の作品。国立中央児童劇団が演じる。「今日のソ連邦」(9月15日号)でも紹介
1963/10/--
広島市が広島県被団協(森滝市郎理事長)、広島宗教者平和協議会(桑原英昭会長)主催の原爆被害者援護法制定促進大会の平和記念公園使用を断る。同市が原爆関係の集会に原爆慰霊碑前の広場を含む同公園の使用を断ったのは初めて。理由は「秋の観光シーズンの人出が混乱しては困る」。集会は市公会堂に移す

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