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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 3月


1962/3/1
米政府原子力委員会が「英は米との協力のもとに1日、ネバダで地下核実験を行った。規模はTNT2万トン以下の小型」と発表。米での英核実験は初めて
1962/3/2
ケネディ米大統領が「米は4月後半に大気圏内核実験を再開する予定」と発表
1962/3/3
政府の放射能対策本部が緊急会議を開き、米の核実験再開で対策を協議。警戒線量の設定を急ぐ 1962/3/3
ソ連のタス通信と政府機関紙イズベスチヤが、ケネディ米大統領の大気圏内核実験再開声明を非難。イズベスチヤ紙「ソ連は情勢に応じたあらゆる措置を取る」(3・4夕)
1962/3/3
米平和団体の約1,000人がケネディ大統領の大気圏内核実験再開の決定に抗議し、ニューヨークのタイムズ・スクエアでデモ行進と座り込み。25人逮捕。英オックスフォード市内でも約150人が抗議デモ
1962/3/3
原爆直後、油木署から広島市内に応援出動し、白血球減少症で入院中だった広島県警警備課の安原守巡査が死去。34歳。殉職として26日、警察葬
1962/3/3
政府が、ケネディ米大統領の大気圏内核実験再開の声明に抗議する大平正芳官房長官の談話を発表。「日本政府、国民は理由のいかんを問わず核実験に反対」
1962/3/4
フルシチョフ・ソ連首相がケネディ米大統領に書簡を送り、ジュネーブ18カ国軍縮会議を首脳会談でなく外相級で開くことに同意
1962/3/4
米政府原子力委員会が「南極の米海軍基地マクマードサウンドに発電用第1号原子炉が完成、試運転開始」と発表
1962/3/4
湯川秀樹京大教授らでつくる世界平和アピール7人委員会が米の大気圏内核実験再開の決定に対し要望書を発表。「ケネディ大統領が高い立場に立って全人類のため、核実験再開の決定を思い直すよう強く要望する」
1962/3/5
米政府原子力委員会が「5日、ネバダ実験場で小型の地下核実験を実施した」と発表。1961年9月の地下核実験開始以来19回目
1962/3/5
核禁会議の松下正寿議長が米英両国の核実験再開の動きに対しアピールを発表。「両国は核実験停止協定成立のため貢献されたい」
1962/3/5
米ソ、日本など15カ国の科学者が参加する国連放射能調査科学委員会の第11回会合が米ニューヨークで開会。核実験による放射能が人体に及ぼす影響の第2回報告書を作成するため討議。23日「核実験による放射能害を阻止する有効な手段がない以上、実験停止が必要」との結論を出して報告書の内容検討を終える
1962/3/5
田川務長崎市長が米の核実験再開声明に対し、ライシャワ-米駐日大使に抗議電報を送る。長崎市長の核実験抗議は初めて(「長崎年表」)
1962/3/5
小坂善太郎外相が、英のネバダ地下核実験と米の大気圏内核実験再開決定に対し、駐日英、米大使を外務省に招き、抗議の口上書。核兵器実験停止に関する速やかな国際協定の成立を要望
1962/3/6
米政府原子力委員会が「6日、ネバダ実験場で地下核実験を行った」と発表。継続実験の20回目
1962/3/6
水戸地方気象台に国内初の高性能放射能測定装置が完成、観測を開始
1962/3/6
日本原水協が第20回全国理事会で「原水禁運動の基本原則」や機構改正などを決める。事務局長制を廃止し常務理事2人を新設。基本原則は(1)原水禁運動は原水爆と核戦争の脅威から人類を解放する共通の目的のもとに、あらゆる階層の人々を思想、信条や党派の違いを乗り越えて結集する広範な国民運動として発展させる(2)公正の原則を守り、いかなる国、またはブロックによるとを問わず、原水爆禁止と核戦争阻止の政策および行動を支持し、これに反する行動に反対-など12項目
1962/3/7
フェドレンコ駐日ソ連大使が広島市を訪問。「広島市とボルゴグラード市が姉妹都市縁組することは平和のため意義がある」。8日、同市役所でボ市のディンキン市長の手紙を浜井市長に手渡す
1962/3/8
米政府原子力委員会が「ネバダ実験場で21回目の地下核実験を行った」と発表
1962/3/9
ポーランド政府がウ・タント国連事務総長に書簡を送り、世界各地に非核武装地帯の拡大を提案
1962/3/10
池田首相が山田久就駐ソ大使を通じソ連のフルシチョフ首相に親書。あらゆる核兵器実験に全面的に反対し、18カ国軍縮会議で核兵器実験停止の国際協定締結に向けた最善の努力を要請
1962/3/10
世界へ原水爆禁止を呼び掛ける「ヒロシマ平和巡礼」の被爆者代表ら2人、松原美代子さんと英宏昌君が、運動を提唱したバーバラ・レイノルズさんと一緒に広島を出発。国連などにあてた浜井広島市長、大原博夫広島県知事のメッセージや広島、長崎両被爆市民の抗議文も預かる
1962/3/11
広島市の世界平和記念聖堂で、西ドイツとオーストリアから寄贈されたモザイク「再臨のキリスト」と周辺のステンドグラスの完工式
1962/3/11
国連10カ国経済専門家グループが「軍縮の経済的、社会的影響に関する報告」を発表。「適切な事前措置を講ずれば、景気後退なしに軍備全廃は可能」
1962/3/12
モーランド駐日英大使が小坂善太郎外相に、英のネバダ地下核実験に対する抗議に回答。(1)実験は自由世界の安全のためやむを得なかった(2)核実験停止のためジュネーブ会議でも努力
1962/3/13
外務省がジュネーブ18カ国軍縮会議の参加国のうち、米ソを除く16カ国に対し、核実験禁止協定締結への努力を要請する口上書を各国駐在大公使を通じて伝達
1962/3/13
核禁広島県民会議が常任理事会で運動方針を決定。(1)8月を平和運動月間にあて国民運動を盛り上げる(2)8月5日には内外の平和運動指導者を広島に招き大会(3)8月6日は「祈りの日」として喪章をつける運動(4)8月15日は東京を中心に全国規模で核禁大会
1962/3/14
「平和のための国際的婦人ストライキ運動」(WISP)から「平和のために手をつなぐ会」の安井田鶴子さんに、「ジュネーブで開かれる核実験停止会議に日米両国婦人の共同行動を起こしたい」と電報 1962/3/14
ジュネーブ18カ国軍縮会議が開幕。不参加の仏を除く17カ国が出席。15日、米ソ両国代表がそれぞれ軍縮案を提出。ソ連案は4年間で各国が全兵力を解体するなど世界の全面完全軍縮の実施を要請。米案は軍備30%削減や兵器用核分裂物質の生産停止などを提案。核実験停止条約の修正をめぐり早くも米英とソ連が対立
1962/3/15
米政府原子力委員会が「ネバダ実験場で15日、地下核実験を行った」と発表。継続中の22回目
1962/3/15
衆院本会議で自民、社会、民社3党共同提案の「核実験禁止に関する決議案」を可決。池田首相が「核実験による人類の悲劇を二度と繰り返さぬよう、政府は決議の趣旨に沿って積極的に努力」と発言
1962/3/17
ウィーンで開かれる「軍縮のための世界婦人集会」(23~25日)に参加する日本代表団が東京・全逓会館で結成。小笠原貞子団長ら17人、20日出発
1962/3/18
社会党の和田春生国際局長と民社党の曽祢益書記長が来日中のハリマン米極東担当国務次官補と会談。和田局長が「米の核実験再開は極めて遺憾。力の政策をやめてほしい」と要望。ハリマン次官補が「社会党はソ連に核実験反対の申し入れをしたことがあるか」と反論
1962/3/19
「ヒロシマ平和巡礼」の被爆者代表の松原美代子さんと英宏昌君、バーバラ・レイノルズさんがシアトル経由でサンフランシスコに到着し、記者会見。松原さん「被爆者の苦悩と体験が戦争をなくし平和をもたらすことに役立てば、という悲願をもって訴え続けます」
1962/3/19
国連大気圏外平和利用委員会(日本など28カ国)が国連本部で本会議を開会。20日、モロゾフ・ソ連代表が「気象通信衛星の打ち上げ、人工衛星による地球・磁気地図の作製を積極検討する用意がある」と言明
1962/3/19
インドのネール首相が演説で、米はジュネーブ軍縮会議中は大気圏内核実験をしないよう要請
1962/3/21
フルシチョフ・ソ連首相がケネディ米大統領に書簡を送り、「共同で宇宙開発を」と提案
1962/3/21
米英ソ3国核実験停止会議が、1月29日以来2カ月ぶりに再開。難航する核実験停止交渉の打開へ、18カ国軍縮会議の特別小委員会の形で開く。22日、交渉は早くも行き詰まり
1962/3/22
国連大気圏外平和利用委員会で岡崎勝男国連代表が、大気圏外の平和利用促進を呼びかける演説。「1964年東京オリンピックが通信衛星によって全世界にテレビ中継される可能性があり、政府も期待している」
1962/3/23
広島宗教者平和協議会の結成総会が広島YMCAで開催(「広島県史・別編年表」)
1962/3/24
岡山県都窪郡山手村の童謡詩人、風早正男氏が原水爆禁止の願いを込め作った歌曲「母の涙は広島の河のごとくに」のテープを浜井広島市長に贈る
1962/3/25
平和運動の指導者で広島大名誉教授の故・長田新氏の遺稿論文集「平和をもとめて」(B6判)が1周忌を前に広島大新聞会から発刊。戦時中、日の目を見なかった長田氏の最初の論文「最近の体育問題」も収録
1962/3/26
ソ連のジューコフ対外文化交流委員会議長が広島市を訪問。ボルゴグラード市と広島市の姉妹都市縁組について浜井市長らと協議。市民間の文通や両市の復興・文化資料の交換で意見一致
1962/3/26
ソ連が人工衛星、宇宙ロケット、宇宙衛星船など16回の打ち上げを含む1957~62年の宇宙活動に関する詳細な報告を国連に提出
1962/3/27
政府が閣議で原爆医療法施行令の一部改正を決定。特別被爆者の適用範囲を爆心地から3キロまでに拡大。4月1日実施へ
1962/3/27
米政府高官筋が「米は1965年までに核弾頭の貯蔵を倍増」と語る
1962/3/28
米政府原子力委員会が「28日、ネバダで小型の核実験を行った」と発表。継続中の23回目
1962/3/29
国連大気圏外平和利用委員会が、技術、法律両分科委員会をジュネーブで5月28日から開くことを承認し閉会
1962/3/30
米国防総省スポークスマンが「マーシャル諸島クェゼリン環礁ロイ・ナムル島上空は今後数年間、航空機は立ち入り禁止」と語る。大陸間弾道ミサイル迎撃兵器の開発に伴う電磁性放射能の危険のため
1962/3/31
内閣の放射能対策部会の環境放射能作業班が、核実験による放射性降下物に対処する行政措置の中間報告を発表。降下物の量や増加速度などにより緊急事態と持続事態に分けてそれぞれ対策暫定指標を示す
1962/3/31
米政府原子力委員会が「ネバダ実験場で31日、核実験を行った」と発表。継続中の24回目
1962/3/31
1961年度の原爆資料館の入館者数が50万8,500人に。前年度より9万7,300人増える
1962/3/--
広島市が1962年度から3カ年計画で「広島原子爆弾戦災誌」の編集を計画。被爆の惨状や原爆から立ち上がった広島の全ぼうをまとめる予定

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