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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 4月


1962/4/1
原子力研究の中堅技術者や原子力工員を訓練する全国初の茨城総合職業訓練所(水戸市)の原子力科が4月1日から開所。放射線利用、原子炉運転、原子燃料製造の3コースで高校卒の訓練生30人を受け入れ
1962/4/1
米紙ワシントン・スターが「前年秋のベルリン危機のさなか、北極レーダー警報網の故障から米戦略空軍の水爆積載機に離陸準備が指令された」と報じる。同空軍司令部も警報網の誤報事件は認める
1962/4/1
長崎大学医学部に付属原爆後障害医療研究施設を設置(「長崎年表」)
1962/4/1
核兵器の製造、持ち込み、貯蔵など核武装を憲法で禁止すべきかどうかを問うスイス非核憲法案の国民投票が25州中、賛成4州だけで否決。1958年に政府が核武装宣言して以来の反対運動が敗北
1962/4/1
原医研が広島大付属病院に「被爆診療科」を新設。原医研スタッフで内科、外科の外来診療を開始 1962/4/2
東大原子核研究所が電子シンクロトロンでパイ中間子が作られた-と発表。湯川秀樹博士の中間子の予言以来、27年目に純国産加速器でパイ中間子が誕生
1962/4/2
浜井広島市長がソ連ボルゴグラード市から申し入れのあった姉妹都市縁組について、ディンキン市長に初の回答を送る。「両市の代表団、記録映画、写真展、情報交換は直ちに実行したい」としながら、縁組については「市議会の決定があるまで待ってほしい」
1962/4/3
米国務省が、核実験国際査察に反対するソ連の政策変更を要請する声明を発表
1962/4/3
ソ連が国連軍縮委員会に覚書を送り、ジュネーブ核実験停止会議を継続する用意があると言明
1962/4/3
中国共産党機関紙「人民日報」が初めてジュネーブ18カ国軍縮会議を社説で論評。「全面軍縮のための闘争は、米をはじめとする帝国主義の戦争、侵略政策に対する闘争。反帝闘争は全面軍縮促進に役立つ」
1962/4/4
米政府原子力委員会が太平洋上の英領クリスマス島周辺水域を核実験場区域に指定すると発表。同島を囲む幅960キロ、長さ1,280キロの長方形水域に船舶、航空機が立ち入らないよう警告。9日、危険水域を拡大。同時にジョンストン島周辺水域も新たに危険区域に指定、4月30日から立ち入り禁止に
1962/4/6
原子力委員会が原子力関係物質の輸出について統一見解。「日本から外国に核原料・核燃料物質、原子炉炉心部品などを供給する場合は、平和目的に限定して利用するという明確な保証が必要」
1962/4/6
広島市議会が各派代表者会議を開き、ソ連ボルゴグラード市との姉妹都市縁組について協議。「友好関係樹立は結構だが、まだ機が熟していない」との杉村政太郎議長の報告を了承。16日、議長書簡をボ市に送付
1962/4/8
京大工学部の向坂正勝教授が日本物理学会で「中性子が双生児のように2つ結びついた双中性子ともいうべき粒子が存在する」と発表
1962/4/9
気象研究所の猿橋勝子研究官が海洋学会で放射性核廃棄物の海洋投棄について警告。「放射性核生成物を投棄すると、100年後の海洋は現在より1,000倍から1万倍も汚染。コンクリート容器に入れても危険は同じ」
1962/4/10
ソ連に核実験停止条約を受諾するよう呼び掛けた米英両政府の共同声明を米ホワイトハウスが発表。拒否の場合、米核実験再開を示唆する警告をこめる
1962/4/11
米の平和グループの非暴力行為委員会が米大気圏内核実験再開に反対し、6月に太平洋クリスマス島水域に抗議船を乗り入れると発表
1962/4/11
米の「平和のための国際的婦人ストライキ運動」の婦人らがケネディ大統領に面会して大気圏核実験中止を要請するため、ホワイトハウス前で24時間スト
1962/4/11
「ヒロシマ平和巡礼」被爆者代表の松原美代子、英宏昌君の2人が米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請
1962/4/12
核実験停止問題に関して米英がソ連に送った共同声明に対し、フルシチョフ・ソ連首相が英のマクミラン首相に回答。国際査察つきの核実験停止協定を求めた共同声明を拒否。米に対しては回答せず
1962/4/13
外務省がグッドイヤー在日米大使館参事官を招き、米核実験に伴う太平洋ジョンストン島周辺の危険区域追加などに抗議する口上書を手渡す。実験再開の中止と危険区域設定による損害補償請求権の留保を申し入れ
1962/4/13
日本原水協が東京で開催しようとした「米英の核実験を阻止する中央集会」が、全学連学生の発言強要で混乱し流会。学生は「原水協はあらゆる核実験に反対すると決めながら、ソ連の核実験には明確な反対闘争を組まなかった」と主張
1962/4/13
世界初の米原子力商船サバンナが初の公開運転
1962/4/17
米ニューヨーク・タイムズが17日の広告欄に、国際協定による核実験停止を世界各国政府に要請する医学者520人のアピールを掲載
1962/4/17
茨城県東海村の原子力研究所の第2号CP-5型原子炉が臨界を達成
1962/4/18
世界平和アピール7人委員会の湯川秀樹博士らが「ジュネーブ18カ国軍縮委員会で中立8カ国が示した新提案を支持する」とのアピールを発表。新提案は核実験停止協定成立のため国際科学者委員会の設立などを提唱
1962/4/18
原子力委員会の再処理専門部会が使用済み燃料の再処理について最終報告書にまとめる。再処理工場を1968年ごろに運転させ、規模は1日0.7トン(年間約170トン)から1トン(同240トン)が最も経済的と報告
1962/4/20
米の核実験再開の動きに抗議し、原水禁広島協議会理事長の森滝市郎氏と同常任理事の吉川清氏が原爆慰霊碑前で座り込みを始める。5月1日打ち切り、延べ5,000人が参加
1962/4/20
日本被団協と原水禁広島協議会の各理事長で広島大教授の森滝市郎氏が「平和運動に専念」と大学へ辞表を提出。その後、撤回
1962/4/20
政府が池田首相の書簡を駐ソ大使を通じてフルシチョフ・ソ連首相に渡す。国際管理を伴う核実験停止協定の早期締結を訴える
1962/4/20
上京中の中津井真前広島県議会議長が、同県議会からケネディ大統領にあてた核実験禁止の要望書を、在日米大使館に手渡す
1962/4/20
社会党の飛鳥田一雄国民運動委員長ら衆参両院議員約30人が、在日米大使館で核実験中止と核停協定の即時締結を要請するケネディ大統領あての書簡を手渡す
1962/4/20
全国漁船労働協議会などの代表が大平正芳官房長官に、(1)核実験再開中止を米政府に申し入れる(2)早急に危険水域周辺に調査船を派遣-など要望
1962/4/20
厚生省が太平洋での米核実験再開に備え、東京都に実験海域付近での漁獲物の放射能検査を開始するよう指示。各都道府県にも検査準備態勢を取るよう通達
1962/4/20
自衛隊広島地方連絡部が平和記念公園内の「原爆の子の像」横で最新の武器や軍艦の写真展。無許可展示だったため、広島市が市公園条例違反で撤去命令
1962/4/21
英のバートランド・ラッセル卿がネール・インド首相ら中立8カ国首脳に米核実験再開阻止を訴える。23日にはケネディ米大統領に抗議電報
1962/4/21
米核実験再開に反対し、ニューヨークで数千人が平和行進。カナダでもオタワ、バンクーバーなどで核軍縮デモ
1962/4/23
原水爆禁止広島市協議会がケネディ米大統領に核実験中止を要請する電報。広島宗教者平和協議会も同大統領に抗議電報
1962/4/23
英核兵器廃止運動主催の大行進がロンドンに到着。野外大会で「ヒロシマ平和巡礼」の被爆者代表の、松原美代子さんと英宏昌君があいさつ。東西ドイツ20カ所でも核実験反対行進
1962/4/24
ケネディ米大統領が米政府原子力委員会と国防総省に対し、太平洋上の大気圏内核実験を許可
1962/4/24
広島商科大学の学生大会で米核実験反対を決議
1962/4/25
米が中部太平洋で大気圏内核実験を再開。クリスマス島付近で1回目を実施したと発表
1962/4/25
世界平和アピール7人委員会が米核実験再開声明に対しケネディ大統領に要望書を打電。「われわれは貴下が世界平和に対する自己の重い使命と国際世論の切なる願いを考慮され、考え直されることを強く要望する」
1962/4/25
日本原水協が米核実験に抗議声明を発表。「米は直ちに実験計画をやめ、実験禁止条約が結ばれるまで核保有国は自発的に実験を停止するよう強く要望」
1962/4/25
核実験反対広島抗議集会が広島市の原爆資料館の下で開かれる。原水禁広島協議会、広島県被団協の主催で約1,000人が参加。米核実験再開への抗議文と原水爆禁止決議を採択
1962/4/26
小坂善太郎外相が駐日米公使を招き、核実験再開への抗議の口上書を手渡す
1962/4/26
日本原水協が常任理事会で、米核実験に対する緊急行動として東京・数寄屋橋公園、広島の原爆慰霊碑前を中心に全国各都市で座り込み運動を決定。27日から広島抗議団の9人が数寄屋橋公園で座り込み
1962/4/26
広島原爆病院の入院患者120人がケネディ米大統領に核実験再開への抗議文を郵送
1962/4/26
広島大教養部学友会が米核実験に対する緊急抗議集会。学生約250人が参加、米大使館に実験即時中止を求める抗議文を送付。27日には同学友会の学生ら約1,000人が市内デモ
1962/4/26
内閣の放射能対策本部が緊急会議を開き、米核実験に伴い調査船の派遣を検討
1962/4/26
ソ連のツァラプキン代表がジュネーブ軍縮会議で「ソ連も自国の安全保障のため核兵器実験を実施することになろう」と述べる
1962/4/27
上京した核実験再開広島抗議団の9人が在日米大使館に、「直ちに実験を停止するよう本国政府に伝えてほしい」と申し入れ
1962/4/27
広島県議会の真田亀一議長が、ケネディ米大統領に「核実験即時中止」の抗議、フルシチョフ・ソ連首相に「核実験を再開しないよう」求める要請電報
1962/4/27
米政府原子力委員会が「27日、太平洋クリスマス島周辺で2回目の大気圏内核実験を行った」と発表。ネバダ実験場でも小規模の地下核実験
1962/4/27
米の前CIA長官アレン・ダレス氏がCBCテレビの対談で、広島、長崎への原爆投下で見解。CBC記者「原爆投下は日本の降伏をもたらすためには不必要だったと思うか」。ダレス氏「日本がどの程度まで崩壊しているのか、日本が効果的に戦争を継続する能力がどのくらいあるのかという点で、情報の解釈に誤りがあったと考えている」
1962/4/28
核禁会議が東京・芝公園平和塔前で核実験抗議集会。約1,500人が参加、氷川公園までデモ
1962/4/28
日本山妙法寺の僧で日ソ協会支部事務局長の西本敦さんが群馬県伊勢崎市内でひき逃げされ死亡。1958年原水禁世界大会で広島-東京間の第1回平和大行進の全コースを歩く
1962/4/29
米空軍当局が「核兵器の暴発予防のため、2月以来、全核兵器部隊に精神医学テストによる将兵選抜をしている」と発表
1962/4/30
ライシャワー駐日米大使が、小坂善太郎外相の米核実験抗議に、米側見解の口上書を手渡す。(1)ソ連が一方的に核実験停止を破った以上、実験を再開せざるを得ない(2)公海上の実験は国際法違反ではない(3)万一、日本側に被害が出た場合は補償の用意
1962/4/30
核禁会議の紀平行雄専務理事らが在日米大使館にケネディ大統領あての核実験抗議の公開質問状。(1)核兵器の使用は平和な人類に対する罪(2)力の均衡以外にも世界平和への道はある
1962/4/30
オーストラリア訪問中のオドネル米太平洋空軍司令官が記者会見。「米は日本を含む太平洋の諸基地に核装備をした軍用機を配備」。米国務省は否定。国防総省は「核兵器を運搬できる飛行機を持っていると述べたにすぎない」と語る。日本外務省も「事実はない」
1962/4/30
日本原水協が5月1日から、米核実験抗議の座り込みを各県1カ所ずつに広げることを決定
1962/4/30
「ヒロシマ平和巡礼」代表の松原美代子さん、英宏昌君の2人がジュネーブに到着。米大使館を訪れ浜井広島市長などの核実験反対メッセージを渡す。1日には軍縮会議のゾーリン・ソ連代表、2日にはディーン米代表と会い、それぞれ核実験停止を訴える
1962/4/30
米国防総省スポークスマンが「6月か7月に高空核爆発実験を3回行う予定」と発表
1962/4/--
英の平和運動家バートランド・ラッセル卿から原水禁広島協議会の森滝市郎理事長に手紙。「広島と同じような破滅を防ぐように全力をあげて奮闘している。英では今、官憲の弾圧が加わっているが、われわれの抵抗を押し止めることはできない」
1962/4/--
英領クリスマス島での米核実験再開についてアール・レイノルズ氏(広島在住)が語る。「日本政府は独立国の自信をもって反対を実行してほしい」

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