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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 5月


1962/5/1
仏が「1日、サハラ実験場で地下核爆発実験を行った」と発表。1961年4月25日以来5回目
1962/5/1
米の非暴力行動委員会が、太平洋上の米核実験水域に抗議船派遣をケネディ大統領に通告
1962/5/1
英ジョドレルバンク天文台のバーナード・ロベル台長が記者会見で、米の高空核爆発実験の中止を促す。「実験を強行すれば地球を取り巻くバンアレン帯に大穴があき、電波通信に障害」
1962/5/1
第33回メーデー。スローガンに「核実験反対」「平和憲法を守ろう」が加わり、実験への抗議が高まる。東京の中央統一メーデーでは、すべての国の核実験禁止を即時要求する特別決議を採択。広島市の広島県中央統一メーデーでは原水爆禁止決議の後、池田首相とライシャワー駐日米大使への核実験即時停止要請の抗議文を採択
1962/5/2
米国防総省と原子力委員会が「2日、クリスマス島付近で数メガトン級の核実験を行った」と発表
1962/5/2
総理府放射線審議会が放射性降下物の人体影響に対する考え方をまとめ答申。「放射性降下物の人体影響に対し、米英のような警戒線量は設けるべきでないが、放射能対策本部の環境放射能作業班が作った『放射能対策暫定指標』を採用することはやむを得ない」
1962/5/2
政府が2~7日までの間に各在外公館を通じ、18カ国軍縮会議の参加国17カ国政府(仏が不参加)に、核実験停止協定成立への交渉継続努力を要請する口上書
1962/5/2
英のバートランド・ラッセル卿に、浜井広島市長が90歳の誕生日メッセージ。「あなたの指導力が世界の人々に平和の心を植えつけることを切望する」
1962/5/3
ナチの暴虐を描いた記録映画「わが闘争」の製作者、スウェーデンのエルビン・ライザー氏が広島を訪問。2日には、「近く広島で原爆の廃虚から立ち上がった市民と町をテーマにした映画のロケを始める」との手紙が同氏から浜井広島市長に届く
1962/5/4
米国防総省と原子力委員会が「4日、中部太平洋クリスマス島付近で再開後4度目の核爆発実験を実施した」と発表
1962/5/4
広島大で開かれた日本教育学会21回大会の総会で、核実験に反対する意思表示を大会名で行うことを満場一致で決定。「すべての国が核兵器の製造、実験、貯蔵の禁止を含む全般的な軍縮協定を速やかに結ぶよう要請する」
1962/5/5
NATOの高官筋が語る。「NATO理事会は欧州に配置されている核兵器の性能、使用について加盟国間の協議、情報交換をより密接にする-という米案を採択した」 1
962/5/5
広島「折鶴の会」が平和記念公園の原爆の子の像前で、「除幕4周年、核実験反対子供のつどい」を開く。米核実験再開への抗議声明を読み上げ
1962/5/6
米が太平洋で潜水艦発射ミサイルの迎撃実験を行う
1962/5/6
広島で被爆し、広島大付属病院に入院中の73歳の老人男性(福岡市在住)が、核実験に抗議して原爆慰霊碑前で割腹自殺を図る。米ソ両大使館などへあてた遺書が9通
1962/5/7
衆院外務委員会で、社会党の河上丈太郎委員長が沖縄米軍の核武装について質問。池田首相「核武装していると想像する」。小坂善太郎外相「核装備は軍の機密であるため明白に知ることはできないが、沖縄の米軍は核装備している。施政権が及ばないところにいかなる施設があっても日本の責任ではない」
1962/5/7
米政府原子力委員会が「7日、ネバダ実験場で小規模の地下核実験を行った」と発表。1961年9月以来、公表された31回目
1962/5/7
日本の科学者、哲学者、作家らが平和を討議する「科学者京都会議」が京都の天竜寺で開会。9日まで。湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一博士ら13人が参加。米ソ核競争の中で「日本人として世界平和のために何をなすべきか」をテーマにした日本版パグウォッシュ会議。最終日に声明を発表。要旨「核兵器実験が軍備競争、国際緊張激化、核戦争の危険の増大をもたらすという点から、実験禁止協定の一日も早い締結を要求する。真の問題解決は核兵器を含む軍縮、さらに完全軍備撤廃の実現以外にはない。戦争と軍備競争の時代を終え、完全軍縮の新しい平和の時代を作ることは全人類の歴史的大事業である」
1962/5/8
米政府原子力委員会が「クリスマス島周辺で8日、6回目の大気圏内核実験を行った」と発表
1962/5/8
萩原徹駐仏大使が仏外務省に、核実験を行わないよう重ねて要請
1962/5/8
米国防総省と原子力委員会が技術情報書「核兵器の影響」第3次改訂版を発表。1958年に太平洋や大西洋で行った核実験の特徴を初めて公式に詳細記述
1962/5/8
原水爆禁止広島市協議会が毎月6日を「平和祈願の日」として、原爆慰霊碑に参拝を決定
1962/5/9
米政府原子力委員会が「クリスマス島付近で9日、7回目の大気圏内核実験を行った」と発表
1962/5/10
米第5空軍司令部(東京都府中市)が水爆積載能力を持つF105Dサンダーチーフ・ジェット戦闘機1個連隊を夏から沖縄の嘉手納基地に配置すると発表
1962/5/10
就役前の米原子力潜水艦パーミットがサンフランシスコ沖50キロのファラロン諸島沖で貨物船と衝突。米海軍が発表。「さし当たって危険はない」
1962/5/10
文部省が1962年度の科学研究費の交付内容を発表。広島大工学部の笠典夫教授らの「速中性子による放射線損傷」研究に400万円を配分
1962/5/10
核禁広島県民会議が平和への願いを書いたはがきを5人に出し、受け取った人が次の5人に出す「核禁平和の鎖」運動を開始
1962/5/11
米政府原子力委員会が「11日、低威力の核装置を太平洋の海中で爆発させた」と発表。継続中の9回目で、海中実験は初めて。同日、8回目の大気圏内核実験をクリスマス島でも実施
1962/5/11
ヒューム英外相が核実験停止協定問題で日本に回答。政府がジュネーブ軍縮会議の参加17カ国に協定実現を要請(5月2日)したことへの返書。(1)「国際管理の原則は実験停止協定締結のため必要」との日本の見解を歓迎(2)英はジュネーブ会議における中立8カ国案を交渉の基礎として、成立へのあらゆる努力を払う
1962/5/12
米政府原子力委員会が「クリスマス島周辺で12日、核爆発実験を行った」と発表。10回目。ネバダでも中規模の地下核実験
1962/5/15
ドゴール仏大統領が「自国防衛と独立のため、NATOの助けを借りて近代的な核部隊を作らねばならない」と言明(5・17)
1962/5/15
広島を舞台に平和を訴える映画「人間の顔」(仮題)製作のため広島を訪れたスウェーデンのエルビン・ライザー監督らが広島原爆病院でロケを開始
1962/5/16
日本原水協が全国理事会で、全学連の除名を正式決定。全学連の学生が「米英の核実験を阻止する中央集会」(4月13日)を妨害した、との理由
1962/5/16
フルシチョフ・ソ連首相が訪問先のブルガリアで「ソ連は米の大気圏内核実験の再開に対抗するため、一連の核実験を準備」と言明
1962/5/16
ヨーロッパ核装備反対運動の議長で英の牧師キャノン・コリンズ氏から浜井広島市長に、6月にアフリカ・ガーナで開く民間人の国際軍縮会議への招待状が届く
1962/5/17
米ソの核実験禁止を訴え広島大教養部学友会の学生が無届けデモ。リーダー1人が逮捕
1962/5/18
米週刊誌タイム5月18日号が、「二都の物語」と題し、広島と長崎を対比させた記事を掲載。「広島は過去のキノコ雲に依然としてこだわる売名的な都市だが、長崎は古くから海外に門戸を開き、キリスト教の長い伝統に培われた寛容の精神をもって現在に生きている」
1962/5/19
米政府原子力委員会が「19日、クリスマス島付近の大気圏内で12回目の核実験を行い、ネバダ実験場で33回目の地下核実験をした」と発表
1962/5/22
広島女学院大客員教授アール・レイノルズ氏が、米核実験に対する抗議船計画を進める米の非暴力行為委員会に「航海の安全を祈る」との激励電報を打つ
1962/5/22
広島、長崎、島根の被爆者が全日本原爆被爆者協議会を結成。会長に任都栗司広島市原爆被爆者協議会長。広島市公会堂で開かれた原爆医療法改正に感謝し米ソ核実験に抗議する広島・長崎原爆被爆者大会の席上、結成
1962/5/24
総評の招きで来日した中華全国連合会常務員の王照華さんら中国青年代表5人が広島市を訪問し、原爆慰霊碑を参拝。25日は被爆者と懇談
1962/5/24
ソ連ボルゴグラード市議会が広島市へ姉妹都市縁組の申し入れを決める(「ヒロシマの記録」)
1962/5/25
米週刊誌タイムの「二都の物語」の記事に、浜井広島市長が反論。「この記事は一部のアメリカ人が抱いている広島観を代表しているものと思う。原爆の非人道性は絶対に許せない。どんなに広島が中傷されようと、原爆に対する態度は変わらない。あくまでも原水爆禁止の強い意志を貫く」
1962/5/25
広島大教養部学友会の学生ら約300人が反戦国際学生統一行動日に合わせ、同大で米ソ核実験抗議集会。授業放棄して市内をデモ行進
1962/5/25
米週刊誌タイムの「二都の物語」でABCCのジョージ・ダーリング所長がタイム本社に抗議電報を打ったことを明らかにする。ABCCから取材したとされる不正確な記事への抗議。「広島および長崎に関する記事中、ABCCに関する不謹慎な言及があったことは、多数の人々を傷つけるとともに、さらに多くの混乱を巻き起こさせないではおかない。無責任な報道に対し、私は再び謝罪を要求する」。21日に東京駐在のタイム誌代表者に直接抗議
1962/5/25
米政府原子力委員会が「13回目の大気圏内核実験が25日、クリスマス島周辺で行われた」と発表。ネバダでも低威力の地下核実験を実施したと発表
1962/5/25
米核実験に抗議し実験水域のクリスマス島に向けサンフランシスコを出港予定だった抗議船エブリマンに、米地方裁判所が出港禁止命令
1962/5/26
広島平和巡礼委員会が「二都の物語」を掲載した米週刊誌タイム本社に抗議と訂正要求の電報
1962/5/26
出港禁止命令が出ていた米核実験抗議船エブリマンがサンフランシスコを出港、逮捕。乗組員3人が29日、法廷侮辱罪で起訴
1962/5/27
米政府原子力委員会が「27日、クリスマス島付近で14回目の大気圏内核実験を行った」と発表
1962/5/28
米国防総省と政府原子力委員会が「太平洋のジョンストン島で超高空核実験を約4日後に開始」と発表
1962/5/29
米軍第8機動部隊が、6月2日午前11時以降、ジョンストン島付近地域への民間航空機立ち入りを禁止した-と米連邦航空庁から日航へ連絡
1962/5/29
室蘭工大工業化学科材料研究室が、29日に降った雨から1リットル当たり毎分約7,500カウントの放射能を検出
1962/5/30
外務省が米の超高空核実験に対し、米側の事前通告と危険防止の安全措置を申し入れることを決定
1962/5/30
核禁会議が参院議員会館で拡大団体代表者会議を開き、8月に広島、長崎で市民大会を開くなどの行動方針を決定
1962/5/30
ジュネーブ軍縮会議でソ連が、「国際平和軍」を設けようとの西側提案を真っ向から否定
1962/5/--
広島市が米シアトルで開会中の「21世紀世界平和博」に被爆状況と復興を示す写真60点の出品を決定。6月12日、パネル写真が出来上がる

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