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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 6月


1962/6/1
米連邦放射能審議会が放射能害報告書を発表。「1961年中の核実験の結果、米国民は最悪の場合、30万人に1人の割合で骨髄がんにかかる恐れがある」
1962/6/2
7月のモスクワ世界平和大会に参加する社会党代表団が軍縮について統一見解。核実験停止問題について「核保有国は即時無条件に中止し国際協定締結を」
1962/6/2
広島県被団協が米週刊誌タイムの掲載した「二都の物語」について、「多くの誤りがあるので訂正してほしい」との要請文を同本社に送付
1962/6/3
ソ連政府がジョンストン島周辺の高空で実施される米核実験に対し警告。「広範囲に無線通信を途絶させ、気象さえも変えてしまう恐れ」
1962/6/3
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が千駄ヶ谷区民講堂で第3回被爆者のつどい。約500人が参加、原爆医療法の改正などを協議
1962/6/3
太平洋ジョンストン島上空で米が実施した初の超高空核実験が失敗。核装置を積んだソア・ミサイルを爆発寸前に地上から指令で破壊。米政府原子力委員会は「ソアの追跡装置が故障したため」と発表。4日には「太平洋に落下した核弾頭が核爆発を起こす可能性はない」
1962/6/4
世界平和アピール7人委員会の創立当時からの委員、前田多門氏が死去。78歳(「広島県大百科事典、朝日人物事典」)
1962/6/4
核弾頭および誘導装置実験のためケープカナベラルから発射された米のポラリス・ミサイルがコースを外れ、地上信号で破壊
1962/6/4
社会党が中央執行委員会で次期国会に「非核武装宣言決議」を提案する方針を決定
1962/6/5
日本原水協が米超高空核実験に対し抗議声明を発表。安井郁理事長らが在日米大使館に手渡す。「実験は核実験、核軍拡競争を宇宙にまで拡大する。実験の失敗はミサイル、核弾頭事故による不測の大惨禍をもたらす」
1962/6/5
ウ・タント国連事務総長が米の超高空核実験計画を非難。「大気圏外は一国の所有ではなく、全世界の共有物」
1962/6/5
米政府公衆衛生局が全国放射能諮問評議会の作成した報告書を公表。報告は米政府が放射能対策を早急に強化するよう呼び掛け
1962/6/5
国連大気圏外平和利用委員会の科学・技術小委員会が平和利用の国際情報交換について検討する10カ国作業部会を設置。日本代表の畑中武夫東大教授を議長指名
1962/6/6
原水禁広島協議会の森滝市郎理事長が辞表を提出。「一身上の都合。今後は原水協の適当な部署で活動を続けたい」。8日の同協議会緊急常任理事会で辞任を認める
1962/6/6
原水爆禁止広島市協議会が原爆慰霊碑前で、毎月6日を祈りの日にするための署名運動
1962/6/6
原子力委員会が「原子力平和利用について」と題した談話を発表。「プルトニウム再利用の研究は進めるが、あくまで平和目的に限る」
1962/6/7
広島大理学部放射能研究室が7日朝の雨から1〓当たり1,431カウントの放射能を検出
1962/6/7
ソ連が大気圏外平和利用委員会の法律小委員会で、大気圏外の利用活動などについての基本原則9項目を盛り込んだ国際宣言案を提出。米は全面的反対
1962/6/8
広島と長崎の「二都の物語」を載せた米週刊誌タイムが、8日付でABCCダーリング所長の抗議文を読者投稿欄に掲載。問題指摘部分は削除し、報道に対する謝罪要求の部分も削除して掲載
1962/6/8
米国防総省と原子力委員会が「8日、クリスマス島周辺で15回目の核実験を行った」と発表
1962/6/8
米サンフランシスコ地方裁判所が、禁止命令を無視して出港した米核実験抗議船エブリマンのハロルド・スターリング船長ら3人に禁固30日の判決
1962/6/9
米国防総省と政府原子力委員会が「クリスマス島付近の上空で9日、核爆発実験を行った」と発表。16回目
1962/6/10
米政府原子力委員会が「クリスマス島周辺で10日、メガトン級の核実験を行った」と発表。17回目(6・11夕)
1962/6/10
スウェーデン・ストックホルムで核兵器反対の平和行進。公共広場で市民約1,000人が抗議集会
1962/6/11
池田首相が札幌で記者会見。非核武装問題について「再三、『核武装はしない。核兵器は持ち込まない』と言明している。外国に向かって宣言する必要はない」
1962/6/12
米政府原子力委員会が「12日、クリスマス島周辺で18回目の核装置爆発実験を行った」と発表
1962/6/12
シュトラウス西ドイツ国防相が米ケープカナベラルで記者団に語る。「西ドイツ軍は1964年までに地対地パーシング・ミサイル3個大隊を持つだろう」
1962/6/12
米国防総省が「電子装置を設備したソ連核実験スパイ船が太平洋の米核実験水域に移動した」と発表。クリスマス島周辺で4隻目のソ連船
1962/6/13
米政府原子力委員会が「ネバダで実験再開以来37回目の地下核実験を行った」と発表
1962/6/13
広島女学院大客員教授アール・レイノルズ氏が核実験抗議船エブリマンについての手記「英雄とは何か」を中国新聞に寄稿
1962/6/14
フェドレンコ駐日ソ連大使が核実験停止に関する池田首相あてのフルシチョフ首相の書簡を外務省に渡す。国際管理を伴う核実験停止協定の締結を訴えた池田書簡(4月20日)への返書。「池田親書は西側諸大国の行動を正当化するもの」と反論
1962/6/14
日ソ友好協会広島支部の手島正毅会長(広島大助教授)ら代表が、浜井広島市長にソ連ボルゴグラード市との姉妹都市縁組促進署名1,000人分を提出
1962/6/14
ジュネーブでの18カ国軍縮会議が1カ月の休会に入る
1962/6/15
ニューヨークで米科学者722人が参加し「生存に関する科学者会議」。17日まで。最終日にケネディ大統領に核実験停止を呼びかける勧告を採択
1962/6/15
外務省が太平洋ジョンストン島周辺での米超高空核実験で、重ねて米政府に抗議
1962/6/15
英最初の商業用原子力発電所が、バークレー近隣で家庭、事務所、工場への送電を開始
1962/6/16
マクナマラ米国防長官が欧州で大規模な戦争が起きた場合の核戦略について見解。「NATOは万全」として、独自の核武装計画を進める仏を非難
1962/6/17
米の戦略・外交問題の権威、ハーバード大教授のヘンリー・キッシンジャー博士が季刊誌フォーリン・アフェアーズ(17日発行)に「欧州防衛の未解決な問題」と題する論文を寄稿。「北大西洋条約機構(NATO)の戦略を再検討する場合の最大の障害は、米仏両国の意見対立」とし、仏核武装を一定に認める必要性を指摘
1962/6/18
ニューデリーで3日間開かれた「核兵器反対世界大会」(ガンジー平和財団主催)で、インドのネール首相が核実験停止を求める演説。「核実験を即時停止しアジア、アフリカおよび欧州に非核武装地帯を設置すべき」(6・20、6・12)
1962/6/18
日本共産党が米超高空核実験に対し、ケネディ大統領に実験中止を求める抗議電報
1962/6/19
太平洋ジョンストン島での米超高空核実験が3日に続いてまた失敗。ソア・ロケットと核弾頭は打ち上げ数秒後に破壊
1962/6/19
原水禁広島協議会が森滝市郎理事長の辞任に伴う機構改革を協議。理事長制を廃止し、代表委員6人による集団指導制を取ることを決定
1962/6/20
広島市が原爆ドーム付近の細工町、猿楽町一帯の不法建築約60戸に対し、「25日までに立ち退かない場合は強制的に取り壊す」と最後通告。23日、吉川清氏ら約30人が広島市に強制執行の延期と話し合いを要望
1962/6/21
米のノーベル化学賞受賞者ライナス・ポーリング博士ら世界22カ国186人の国際グループが、米政府原子力委員会とソ連政府に核実験を控える強制命令を下すよう求めた訴えをワシントンとモスクワの法廷に提出。日本からは湯川秀樹京大教授や浜井広島市長、山田節男参院議員(広島)ら9人が原告に
1962/6/21
アフリカ・ガーナのアクラ市で民間人の国際軍縮会議「爆弾のない世界」が開会。広島から浜井広島市長と広島大教授の森滝市郎氏が参加。全面完全軍縮条約の締結を関係国に呼び掛ける決議を採択
1962/6/21
モスクワで開かれる「全般的軍縮と平和のための世界大会」(7月9日から)に、山田浩広島大助教授が日本代表として出席へ
1962/6/22
米国防総省と政府原子力委員会が「太平洋クリスマス島周辺で一連の22回目の大気圏内核実験を行った」と発表
1962/6/23
長崎市で開かれた長崎医学会で、長崎ABCC内科血液研究室の糸賀敬博士が「長崎の被爆者の白血病発病率は年々減少」と発表
1962/6/23
仏パリの大衆紙フランス・ソワールが権威筋の言明として「仏の原爆は今や量産体制」と報じる。仏国防省は論評を拒否
1962/6/23
太平洋ジョンストン島周辺の米核実験に抗議するため、第2エブリマンが米カリフォルニア州の平和主義者3人を乗せ、ハワイ・ホノルルを出港。危険水域に入った3人を30日、米連邦保安官が逮捕
1962/6/24
広島「折鶴の会」が広島市基町のYMCA講堂で「4周年記念のつどい」を開き、「原水爆のない明るい社会を築くために、すべてをささげます」と宣言
1962/6/26
マクミラン英首相が下院討議で、仏が核保有国であることを認める。外国政府首脳が仏核保有を公式に言明したのは初めて
1962/6/27
ケネディ米大統領が記者会見で「仏の核武装は有害」と述べる。「仏独自の核武装はNATOにとって有害で、他の国の核武装化を促進」
1962/6/27
米政府原子力委員会がネバダ実験場でこれまで最大の地下核実験を実施。39回目。太平洋クリスマス島周辺でもメガトン級の大気圏内核実験を実施、23回目
1962/6/29
在日ソ連大使館が核実験停止に関するソ連政府の口上書を外務省に渡す。「ソ連への非難は米核実験に向けよ」。日本政府が5月初旬、ジュネーブ18カ国軍縮会議の参加国に申し入れた核実験停止協定の口上書への回答
1962/6/30
ソ連ボルゴグラード市の市議会から「姉妹都市縁組促進を議会で決めた」と広島市にメッセージ
1962/6/30
米国防総省と政府原子力委員会が「30日、クリスマス島付近で24回目の大気圏内核実験を行った」と発表。ネバダでも小型の地下核実験を実施、41回目
1962/6/--
アフリカ・ガーナで開かれる民間人の国際軍縮会議に出席する原水禁広島協議会の森滝市郎理事長が同会議第3分科会で意見発表する英文の提案書を送付へ。「原子時代の新しい道徳について」と題し、「世界共同体的意識を打ち立てて力から愛の原理を確立しなければ平和な世界は生まれない」と強調
1962/6/--
米のヒロシマ・ピース・センター協力会から広島の原爆孤児の大学生4人に奨学金44万余円が届く。精神養子援助から大学奨励資金に切り替わって4回目

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